ページ16 キャッチコピー

「どうしたもんかね……」


「どうしよう……」


 放課後、また沢咲さんに呼び出されてしまった。


 そして、当たり前のようにえりこも会議室にいた。


 2人して頭を抱えてなにかを悩んでいたので、俺が来たのにも気づかなかった。


 俺が来るまでずっとこの調子だったら、もうかれこれ1時間になる。


「こんばんは」


「どうしたもんかね……」


「どうしよう……」


 俺の挨拶に対して、2人は壊れたレコーダーのようにさっきのセリフをリピートしただけだった。


「あの……」


「あら、雅くんだ!」


「雅先生だ!」


 俺が再び声をかけたら、2人揃って俺の方を見た。


 沢咲さん、「先生」はどこに行ったんですか。


 えりこに紹介するときだけ「雅先生」って、この新卒編集は想像以上にポンコツだ。


「雅くんも食べる?」


 沢咲さんはそう言って、呑気にテーブルの上のポテチを指さした。


 なにかを悩んでいたじゃないのかよ。


 よく見てみたら、テーブルの上にはポテチのほかにチョコ、ビスケットなどのお菓子やジュースが無造作に並んでいた。


 俺が来る前に沢咲さんとえりこは何をしていたのだろう。


「はあ」


 とりあえず、言われるまま空いてる方の椅子に座り、ポテチを1枚つまんで口に入れた。


 なんとも言えないような絶妙な美味さ。


「雅先生、ジュースをどうぞ~」


 えりこは紙コップにジュースを注いで、俺の前に置いた。


 それを呷る。


 ポテチのあとのジュースはいつもより美味しく感じた……って、違う!


 なにか大事な話があるって呼び出されたのに、ここでお菓子とジュースをのんびりと飲み食いする場合じゃない。


「香織お姉ちゃん! 2人して何してるんですか! なんで至急来てくれって言ってるわりに呑気にお菓子食ってるんですか!」


 ビクッ!


 俺の質問に2人は少し震えた。


「雅くん、これにはわけがあるんだよ」


「そうそう!」


 沢咲さんは腕を組んで俯いたまま意味深に話したら、えりこもそれに同意して頭を縦に振った。


 えりこもそういうならきっとほんとになにかわけがあるはず。


「わけ?」


「お腹がすいたらなんとやらじゃない?」


「だから、お菓子を食べながら考えてたの」


 ダメだ。理解できない。


「100歩譲ってお菓子食べるのはいいよ? ポテチ美味かったですし……」


「分かってくれたか!」


 芸能人ばりの容姿をしている沢咲さんはその言葉を待っていたとばかりに俺の手を両手で握り、何度も頷いた。


 何気に柔らかい。


「ポテチは美味いでしょう!」


 うん、美味いけどなんか違う。


 同意して欲しいのはそこじゃない。


「話は最後まで聞いてください! お菓子食べながらのんびり打ち合わせしているんだったら、別に電話で至急来てくれって言わないで欲しいです。こっちは走って家に戻って準備してきたんですよ!」


 沢咲さんのことはもう信用しないって誓ったのに、また「至急」という言葉に惑わされた。


 自分の性根が憎い。


「いや、ほんとに至急な用事だったんだよね? えりこちゃん」


「うん、至急な用事だった」


 だった? 過去形?


「でも、雅先生がいないと話が進まなかったから、それならお菓子食べようって話になって……」


「あっ、のりしお味のポテチは私がチョイスしたの!」


 なぜそういう話になるんだよ……


 えりこも途中からさりげなく自分のセンスを自慢してくるし。


 真面目に話してもこっちが疲れるだけだから、もういいよ。


 俺はポテチの袋に手を突っ込んで、またポテチ1枚を口に運んだ。


 そう、適応は大事だよね。


 環境に適応できない生物から絶滅していくんだ。


 出版社って案外こんなものかもしれない。

 ※違います。


 そして、ジュースのペットボトルを取って、空になった紙コップにジュースを注ぎ、またそれをあおる。


「美味しい?」


 えりこは目をキラキラさせて聞いてきた。


 まじまじと見てくるえりこが可愛すぎたので、俺は思わず顔を逸らす。


「……美味しい」


 さらに、えりこが風呂に入ってる間にRINEのやりとりをしてたことを思い出して、緊張して喋り方がぎこちなくなった。


「それで、なんの用事だったんですか?」


「キャッチコピーです」


「それを雅先生が来るまで2人で考えていたの」


「それってそんなに重要なことですか?」


「は? 雅くん、新刊の宣伝を舐めてるの!?」


「そうよ、雅先生、キャッチコピーってすごく大事なんだよ!」


 俺はただ疑問を口にしただけなのに、なぜか2人の地雷を踏み抜いたようだ。


 2人して俺をばかなの? みたいな目で見てくる。


 ほんとによく分からない。


 さっきまでお泊まり会みたいな感じで、のんびりお菓子食べてジュース飲みながらキャッチコピーを考えていたやつらにそれの大事さを説かれてもイマイチピンと来ない。


 基準がよく分からない……それとも俺の方がズレているのか。


「すみません。キャッチコピーの大切さは分かった気がします……それで、俺が来るまでに2人が考えた案を聞かせて貰えますか?」


 ビクッ!


 またしても沢咲さんとえりこは2人揃って震え出した。


「考えたには考えたんだけど……」


「それがどれもピンと来ないというか……」


 2人とも少し歯切れが悪かった。


 でも、沢咲さんは編集で、えりこはトップアイドルだから、考えたものがそんなに酷いものとは思えない。


「アイドルの心を射抜くファイアランス!」


「君のハートにキュン♡!」


 ……


 沢咲さん、俺のラブコメに「ファイアランス」の「フ」の字もないよ……ジャンル間違えてんじゃないの?


 えりこ、それアイドルのライブのやつだから……ラブコメのキャッチコピーじゃないから。


 やっと、俺が来るまで2人が諦めてお菓子を食べ始めた理由がわかった。


 とりあえず、一旦落ち着こう。


 空になった紙コップにまたジュースを注いで、それを震える手で口に持っていく。


「大丈夫!? 雅くん!」


「ハンカチ! ハンカチ!」


 動揺のあまり、紙コップの中身を盛大に服の上に注いだ。


 えりこはすぐにかばんを開いて、ハンカチを漁り始めた。


 そして、思い出したように、かばんを閉じて、謝ってきた。


「ごめん、ハンカチなくなったの忘れてた……」


 それはえりこが謝ることじゃない……まあ、こうなった原因はえりこにもあるけど。


 それにしてもハンカチか……


 そういえば、俺はまだ渚さんにハンカチ返せてなかったな。


 今でも渚さんのハンカチを机の引き出しに大事に保管してある。


 今度はちゃんと返そう……


「ははは」


「やだ、雅くんが壊れてる……」


「雅先生が悪者みたいに笑ってるよ……」


「キャッチコピー考え直そう?」


「「はい……」」


 自覚はあったのか、2人して頭を下げて素直に返事した。




「旋風を巻き起こす一世代の恋?」


「却下。そこまでスケールデカくありません」


「キラキラ!悩殺ビーム~」


「えりこさん、可愛いけど却下」


「そんな……」


「作品とまったく関係ないから」


「確かに」


 原稿は一段落したけど、俺にはまだまだやることがある。


 最後の推敲だったり、矛盾した設定がないかチェックしたり。


 大幅に加筆修正したから、そういう作業は欠かせない。


 俺が来たらキャッチコピーも早々に決まってそのまま解散と思っていたが、考えが甘かった。


 それから30分経っても、2人はろくな案を出してこない。


 このまま2人を放置して帰ったら、発売日に度肝を抜かれる自信はある。


 まあ、今の時間はまったく悪いというわけでもないしね。


 えりこが隣に座っていて、一緒にお菓子を食べてる。


 なんか友達みたい。


 えりこはへんな案しか出さないから、ツッコミばかり入れてたら、いつの間にか俺はえりこと普通に話せるようになった。


「さあ、今行くぞ! 最強の恋とやらは?」


「却下。恋に強さは関係ありません」


「マジックラブリーショータイム!」


「うん、可愛いね、えりこさんの自分のライブのキャッチコピーに使ってね?」


「雅くん、さっきからダメだしばかりしてるー」


「そうそう、雅先生も案出してよ?」


 そういえば、沢咲さんとえりこに任せっきりで自分じゃ考えてなかったな。


 俺の『冴えない僕とアイドルな彼女』はただの高校生とアイドルの物語だから、本来結ばれることのない二人が結ばれるわけで……


「あなたは運命の赤い糸を信じますか? なんてどうかな?」


「「それいいね!!」」


 こうして、あっさりと俺の作品のキャッチコピーが決まった。


 今までの時間はなんだったんだろう。


 ていうか、キャッチコピーを考えるのは編集の仕事じゃないの?


 なんで俺とえりこを巻き込んでるんだろう。




「雅先生」


 キャッチコピーが決まって、解散しようとしたとき、えりこは俺に話しかけてきた。


「どうしたの?」


「雅先生ってさっきジュースこぼしたから、まだ春なんだし、外に出たら寒いと思うよ?」


「平気だよ」


 えりこが心配してくれてるなんて夢みたいだ。


 ほんとに平気。あなたのその言葉があるだけで心が暖かいよ。


「これ良かったら着てください」


 そう言って、えりこは自分のコートを俺に寄越した。


 気のせいか、このコートはどこかで見たことある気がした。


 えりこのコートを抱えて俺は少し困惑する。


「えりこさんは寒くないの?」


「大丈夫! タクシーで帰るから」


「いや、そこまでして……」


「着て!」


「その……」


「着て!」


「……はい」


 えりこのコートに腕を通すと、体じゃない何処かが暖かくなった。


 気づいたら涙腺が少し緩くなった気がする。


 ずっと憧れているえりこが俺の事を心配してコートまで貸してくれた……


「クリーニングして返すから……」


「あはは、それマンガでよく見るセリフだ~ でも大丈夫……そのままでいいよ」


「……」


 言葉が出なかった。


 俺はハンカチの他に、女の子に返さなきゃいけないものができた。

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