ページ15 電話
ベッドの上で横たわり、携帯の画面を凝視していた。
窓の外はすでに暗くなり、時間はとっくに九時を過ぎていた。
俺の視線はRINEの「新しい友達」に表示されている「えりこ」のところに釘付けになっている。
えりことRINEの交換をした。
「あれ? 2人は連絡先交換しないの?」
打ち合わせの後に沢咲はさりげなくそう言った。
俺は黙ったまま、携帯を取りだし、RINEのQRコードをえりこに見せた。
別にかっこつけてるわけじゃない。言葉が喉から出てこないからだ。
今までどんなことを言って人と連絡先を交換してたっけ。思い出せない。
えりこはにこりとした笑顔を崩さずに、それを読み取った。
沢咲さんが馬鹿でよかったと、心の底から思った。
えりこのアイコンを見つめてかれこれ1時間は経っているだろう。
彼女のRINEのアイコンは写真集にも載っていないようなパジャマ姿だった。
にこりと笑っていて、拳を自分の頭に当てているという、ちょっと誰かにいたずらしたあとバツが悪そうな感じの写真。
こんな表情もするんだな、と見惚れていた。
メッセージを送ろうかと文字を入力しては、馴れ馴れしいと思われたらどうしようと思い、またそれを消した。
俺はただ、えりこが宣伝を手伝っている数多のラノベ作家の中の一人に過ぎない。
でも、俺とえりこは一応仕事のパートナーだよね。
なら、挨拶のメッセージを送っても何も問題はないはず。
俺は自然と渚さんに電話をかけた。
現実逃避した結果なのであった。
『もしもし、渚さん?』
『一ノ瀬くん? どうしたの?』
『なんか声が反響してる』
『今お風呂に浸かってるからね~』
『かけ直す』
『ちょ待って! なんでよ』
『だって、いま渚さんはその、裸なんでしょう……』
自分で言ってて恥ずかしくなった。
『別に見られてるわけじゃないし、平気! それともお姉ちゃんの裸想像しちゃったの~?』
『うん、ちょっと……』
『うっ……』
『どうしたの? 黙っちゃって』
『……す、素直なのは嫌いじゃないけど』
『なんのこと?』
『もういいです』
『俺、お風呂に入ってる女の子と電話したことないよ』
『私もお風呂に入ったまま男の子と電話したことないよ! なんか私は経験済みみたいな言い方やめて!?』
『えっ? 違うの?』
『違います……』
『なんか余裕たっぷりだったから』
『その余裕も一ノ瀬くんのおかげで今なくなったんだけどね』
『どういたしまして?』
『はあ……で、急に電話してきてどうしたの?』
『……えりこにRINE送りたいんだけど』
『普通に送ればいいじゃないの? まさかそのためだけに私に電話してきたの?』
『なんで……驚かないんですか?』
『なにに?』
『俺がえりことRINE交換したことに』
『えっ? あっ! 驚いてる! 驚いてる! あーあ、びっくりした!』
『渚さんってさ』
『うん?』
『もしかして鈍感?』
『……一ノ瀬くんにだけは言われたくないよ』
『なんて送ればいいかな』
『それ、私に聞くの? うーん、こんばんはとかでいいんじゃない?』
こんばんは、と。
『送ったよ』
なぜか渚さんに言われたら、すんなり送信ボタンを押せた。
『行動はやっ! ちょっと待って』
『うん?』
渚さんは一旦電話をミュートにした。
そして次の瞬間、えりこから返信があった。
『こんばんは』
体の芯からじわじわと感動が全身に広がっていく。
えりこが俺に返信をくれた。しかもこんなにも早く。
喉が熱くなり、思わず噎せそうになった。
『なんて返信来たの?』
『渚さん電話をミュートにして何してたの?』
『女の子の秘密を堂々と暴きに来てるよ~ 一ノ瀬くんの変態~』
『あっ、ごめん。こんばんはって返信が帰ってきたよ』
『よかったね』
『うん、すごくよかった。次なんて送ろうかな?』
『えっ? また送るの?』
『だって用件もないのに挨拶だけするのって変じゃない?』
『確かに……』
俺の小説の宣伝手伝ってくれてありがとう、と。
『ちょっと待ってね』
えりこに送信したあと、渚さんはまたミュートになった。
女の子の秘密とやらが少し気になった。
凄いところ洗ってるのかな……
いかん! 渚さんは俺を信用してるから、お風呂に入ってたまま電話してくれてるんだ。
変な想像をしてはいけない。
俺の中の正義感がそう叫んだ。
しばらくするとえりこから返信が来た。
『こちらこそありがとう!
雅先生の『冴えない僕とアイドルな彼女』を読んだよ!
すごくどきどきした~
私もこんな恋してみたいなって思いました』
まさかの長文。
血液が沸騰しそうになる。
えりこが俺の作品を読んでくれた……それもそうか。今度のCMでえりこは俺の『冴えない僕とアイドルな彼女』のヒロインの役を演じることになっている。
えりこはアイドルだけじゃなくて、グラビアやタレント、声優まで幅広く活動している。
もちろん、売れるうちはとことん売ってやろうというプロデューサーの欲望のようなものを感じるが、それをちゃんとそつなくこなしているのはほかでもなくえりこの努力の賜物なのである。
さすがえりこだと改めて感心させられた。
どんなことも全力で取り組んでいるんだな。
『読んでくれてありがとう。
実は文芸作品として書いたのだけど、なぜか編集長のゴリ押しでラブコメとして書籍化することになった……』
気がついたら、俺もそれなりの長文をえりこに送った。
『うふふ、それなんか分かる!
だって雅先生って面白いもん!
ラブコメのセンスあると思うよ~
編集長はいい判断をしましたね』
しばらくして届いたえりこの返信に、俺は少し困惑する。
えりこが俺のこと面白いって。
昨日は無愛想な行動しか取ってなかったのに。
でも、えりこにラブコメのセンスがあるって言われて、心にかかっている靄が晴れた。
文芸にこだわる必要なんてなかったんだ。
まさか、憧れの人の一言で、俺は自分の信念のようなものを簡単に変えられてしまった。
『ありがとう!
えりこさんにそう言われるとなんかラブコメが書きたくてしょうがなくなってきた!
俺はラブコメ書くためにこの世に生まれてきたのかも!』
送信したあと、恥ずかしさのあまり、手足をバタバタさせる。
えりこに褒められてテンションが上がったから、つい変な文書を送ってしまった……
どうしよう。えりこに変な人だって思われたらどうしよう。
『雅先生ってやはり面白いね~
ラブコメ書くために生まれた人なんて初めて見た!
雅先生のラブコメをみんなに読んでもらうために、私宣伝頑張るね!
そろそろ寝るので、おやすみ』
えりこの返信を見て、再び身悶えする。
恥ずかしい。
思いっきりレアな生き物だって認定されちゃったよ。
えりこはもう寝るのか。
『おやすみ』
そっとえりこに今日最後のRINEを送った。
そういえば、渚さんはミュート長いな。
『お待たせ! 一ノ瀬くん、待った?』
『ううん、大丈夫だよ』
えりこに返信したあと、しばらくして、渚さんはミュートを解除した。
『えりことRINEしてた?』
『うん、ラブコメ書くセンスあるって言われた』
『あはは、私もそう思うよ~ だって一ノ瀬くん面白いもん』
『俺、漫才の訓練とか受けてないから』
『ふふ』
『なんで笑うんだよ』
『だって一ノ瀬くんが面白いこと言うんだもん』
『大真面目に言ったんだけど?』
『そういうところが面白いんだよ』
『よく分からない』
『無自覚なのは罪ですね~』
『そういう渚さんこそ面白くて可愛いよ』
『え?』
『渚さんは面白くて可愛いよって言ったよ?』
『……ありがとう』
俺、なんか変なこと言ったのかな。
渚さんの声が急に小さくなった。
『あーもう、お風呂出るから、電話切るね!』
『急だね』
『のぼせさせるつもり?』
『あっ、ごめん』
『えへへ、そういうとこ』
『うん?』
『じゃ、またね』
そう言って、渚さんは電話を切った。
頭を枕に埋めて、深呼吸をする。
息がしにくいと実感しつつも、なかなか枕から抜け出せない。
ドキドキと感動が今になって俺を貪っていく。
体が少し震えて、止まりそうにない。
風呂に入ってる渚さんと長電話しちゃった……しかも、えりこともRINEのやりとりをした。
ラッキーってレベルの話じゃない。
一生分の幸運を使い果たしたようなものだ。
明日宇宙人が地球に襲来して、俺を捉えて捕虜にするかもしれない。
怪獣が現れて、なぞの巨人と戦って、その戦いによって崩れた建物の瓦礫に埋もれるかもしれない。
新型ロボット兵器がいきなりビームを俺に撃ってくるかもしれない。
そう思うくらい、俺は満たされた気持ちになっている。
ブーブー。
突然鳴った携帯を取り、横目で見ると画面にRINEの通知が表示されている。
それをスライドしたら、えりこからだった。
『お風呂上がった~ きもちぃかったよ~』
まさか……えりこもお風呂に入りながら俺とRINEしてたのか。
それにしても、なぜそれをわざわざ俺に報告するのかな。
さっきおやすみって言ったし、もう寝たんじゃないのか。
考えても答えが出ない。でも、すごく嬉しい。
俺は再び頭を枕に突っ込んで身悶えする。
俺、お風呂に入ってる女の子と電話するのも、RINEするのもどっちも初めてなんだよね……
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