ページ14 出会い、その2

『もしもし、雅くん? 出るの遅い!』


『か、香織お姉ちゃん、なんですか? 今部活中なんですけど』


 沢咲さんを香織お姉ちゃんと呼ぶのは恥ずかしい。


 でも、そう呼ばないときっと話がややこしくなるから、俺は羞恥心より効率を選んだ。


『部活って言っても今は原稿の仕上げでしょう?』


『そうですけど……』


 前回の打ち合わせの時、学校にいるときも連絡することがあるから、電話に出るようにと沢咲さんに釘を刺された。


 文芸部に新入部員の1年生もいるし、俺はしぶしぶ部室を出て隣の教室に行き、沢咲さんの電話に出た。


 なんだか、書籍化が決定してから、自分が学生なのか小説家なのかの線引きがうまく引けなくなった。


『あの……』


 急に沢咲さんの声が暗くなり、何か重大なことを言い出す前触れのような感じだった。


 いつものおちゃらけた感じと違ったので、俺は思わず身構える。


 何か深刻なことでもあったのだろうか。


 例えば依頼したイラストレーターがバックレたとか。


 それはさすがに困る。


『……どうしたんですか?』


 溜め気味でこっちから聞いてみた。


『雅くんもうすうす気づいたと思うんだけど……』


『やはりそうですね……』


 正直なんのことを言ってるのか分からないけど、深刻そうなのは分かったという意味で「そうですね」と返事した。


『至急、今から出版社の方に来てもらえないかな? もちろん交通費は清算するから』


『……分かりました』


 あの沢咲さんがこんな風に真面目に話すなんて、よほど緊急なことなのだろう。


 今から出版社に来てほしいってことは、電話では言えないようなことだろうか。


 気が重くなった。


 でも、これも書籍化を選んだ俺が避けて通れない道だから。


『それじゃ、またあとで』


『はい、失礼します』


「雅先輩、どうしたんですか……」


「雅、もしかして書籍化の話がなくなったのか……」


「元気出せよ、雅、本は失ってもお前にはまだ友というものがあるぜ」


「雅くん、は、裸エプロンしてあげるから、元気出して?」


 電話を切ったとたん、楪ちゃんたちが空き教室のドアを開けてすたすたと入ってきた。


 各々勝手なことを口走りながら。


 書籍化のことはゴールデンウィーク明けにみんなに話してある。


 いつも思うんだけど、俺ってプライバシーとかないのかな?


 一応プライベートな電話だったのに。


「えっ、白雪さん、雅にそんなことしてるの!?」


「そうだよ! 雅にだけはずるいぞ! 俺にもしてくれや」


「ち、違うの……雅くんが元気なさそうだから、励ましたくて……」


「あーあ、俺も今急に元気なくなったわ」


「俺も俺も!」


 そして、白雪さんの発言に反応して、湊と瑞希が猿芝居を始めた。


「ごめんなさい! 雅くんにしかしないから……」


「えっ? それってつまり……」


「雅のことが……」


「それ以上言わないでー」


 もじもじしながら話していた白雪さんが急に大声を上げて2人を制した。


「雅、お前、琴葉ちゃんと楪ちゃんだけじゃ飽き足らず、白雪姫にも手を出したのかよ!?」


「雅、お前は今友というものも失ったぞ!」


 白雪さんのわけの分からない発言によって、ヘイトは俺に向けられた。


 さっき友とかなんとかを言っていた瑞希の頭に空手チョップを入れてあげたい。


「ごめん、みんな、電話聞いてたなら分かると思う。急用ができたからもう上がるよ」


 まあ、勝手に電話の内容を聞いてくれてたおかげで、こういうときは煩雑な説明をしなくて済む。


 それにしてもデメリットの方が大きいけどな。


 いずれはこいつらとはちゃんと話し合う必要がありそうだ。




 さくら橋を通って、急いで家に帰る。


 原稿やら契約書やらを仕事用に買ったかばんに放り込んで急いで駅に向かう。


 電車に揺られて一時間くらい、俺は目的のビルの前に着いた。


 心拍数を安定させるために一呼吸して、俺は中に足を踏み入れた。


「あの、一ノ瀬といいます。沢咲さんに急に呼び出されたのですが……」


「一ノ瀬先生ですね。今から沢咲の方をお呼びしますので、少々こちらでお待ちください」


 前回と違って、なぜか俺が受付のお姉さんに「先生」と呼ばれた。


 そして、二階の打ち合わせブースに案内されることもなく、受付の前で沢咲さんを待たされることとなった。


 やはりなにかがあったとみて間違いなさそうだ。


 あらゆる可能性を脳内でシミュレーションして、解決策を模索する。


 そうこうしているうちに、見た目だけが芸能人レベルの沢咲さんがやってきた。


 でだ。


「どうしたの? 雅くん。難しい顔して」


 戸惑い、混乱、それに困惑。その類の言葉をごちゃ混ぜにして俺の脳にぶちまけられたような気分だ。


「……逆に、香織お姉ちゃんはなんで笑っていられるのかな」


「だって、めでたいことじゃん!」


「はい?」


 疑問が自然と俺の口からこぼれた。


「いや、ほんとに編集長がここまでしてくれるなんて思いませんでしたよ!」


「あの、電話で暗い声で至急って……」


「うん? 声暗かった? あっ、嬉しすぎて早く面と向かって雅くんに伝えたかったからかな」


「はあ」


 俺のさっきまでの焦り、緊張と苦悩は何だったのだろう。


 そう思うと、ため息が口から出てしまった。


「立ち話もなんだから、3回のミーティング室に行こう?」


「……はい」


 これから、絶対に沢咲さんの態度を信用しないと俺は心の中で誓った。


 5歳も年上で、俺にお姉ちゃんと呼ばせといて、まったくしっかりしていないのだから。




 沢咲さんに案内された3階の会議室の一室に入ると、すでに先客がいた。


 俺は思わず口を手で覆い、唾を飲んだ。


 後ろ姿からでも彼女が誰なのか俺には分かってしまった。


「か、香織お姉ちゃん、俺も薄々気づいたんだろうって言うのは……」


「うん、そうだよ。うちの出版社の宣伝にちょくちょく出てもらってるから、雅くんもこうなることに気がついたんじゃないかなって」


 呆然としている俺をよそに、沢咲さんは1番奥の席に座ってる女の子に声掛けた。


「えりこちゃん、雅先生連れてきたよ~」


「ありがとうございます」


 そう言って、えりこは振り返って、俺を見つめてにこりと笑った。


 すらすらと流れるような長い髪は艶やかで、二重のまぶたと膨らみのある涙袋に囲まれている目は少々つり目がちだが、笑っているためか、丸みを帯びている。筋の通った鼻とちっちゃい唇はあどけなくて可愛らしい。


 彼女の顔を見て、心臓の鼓動が早くなり、手のひらに熱が籠ってきたのは自分でも分かる。


 頭が全ての脳細胞を総動員して、今が現実なのか夢なのかを判断していた。


 軽く目眩を覚えて、よろめいた。


「どうしたの? 雅先生。早く座ったら?」


 この時だけ俺を「先生」と呼んでいる沢咲さんは俺に着席を促した。


 俺が椅子に座ったのを見て、沢咲さんは言葉を続けた。


「えっと、今度は編集長の計らいによって、うちの出版社が懇意にしているえりこちゃんに、雅先生の新刊の宣伝を手伝ってもらうことになりました~」


 そう言って、沢咲さんはぱちぱちと拍手しだした。


 それに釣られてえりこも手を叩いた。


 沢咲さんとは根本的に違うような、緩やかで上品な拍手だった。


「そう言えば、まだ紹介してなかったわね! こちらは『冴えない僕とアイドルな彼女』の原作者の雅先生です!」


「どうも、はじめまして、雅先生」


 沢咲さんがハイテンションに俺の事を紹介し終わったあと、えりこは穏やかな笑みを浮かべて挨拶してきた。


 俺はというと返事が出来ずにいた。


 声を出そうにも、口が言うことを聞かない。


 喉に熱いなにかがつっかえているのに、それを吐き出すこともできないような感覚。


 息が苦しくなる。


 初めて、えりこに名前を呼ばれた。


 えりこに名前を呼ばれたんだ。


「そして、ここに御座おわすのはなんと、今人気急上昇中で何回も弊社の宣伝を手伝って頂いたえりこちゃんでございます!」


 えりこを紹介するときの沢咲さんは生き生きとしていた。


 それもそのはずで、えりこは群を抜くほどの美少女アイドルだから。


 沢咲さんがここまでテンション上がるのも頷ける。


「え、え、えりこさん……」


 意識を集中し、辛うじて口を動かせたが、言葉にはならなかった。


「えりこでいいですよ? 同い年だって聞いたので」


「よ、よ、よろしく……」


「うん、よろしくね! 雅先生~」




 初めてあなたをテレビで見た時、俺は恋をした。


 あなたはアイドルで、俺はただの高校一年生だった。


 身分差がありすぎて、俺は自分の気持ちに蓋をした。


 アイドルにガチ恋なんてありえないって、俺はそんな理屈で自分の気持ちを勝手に「憧れ」と解釈していた。


 恋をすれば、必ず傷つく時がやってくる。


 でも、憧れは勝手で一方的なものだから、人になんて言われようが傷つくことは無い。


 そう、憧れなら、別に一緒にならなくていい。結ばれなくていい。


 ただ写真の中のあなたを見て、自己満足していればいい。


 「好きだ」という感情を「可愛いな」と解釈する。


 それで難なく日常生活を送っていける。


 周りに、恋にのめり込みすぎてどうしようもなくなってしまった人もいたから、そうはなりたくなかった。


 いや、単に俺は臆病なだけだったのかもしれない。


 編集長みたいにがむしゃらに頑張れば、あなたに会うことも叶うだろう。あなたに認知してもらうこともできるだろう。


 でも、あなたをずっとテレビの向こう側、写真の中の存在だと思っていた。


 握手会であなたの手を握った時は現実味がなかった。


 あなたに手を引っ込められたときは、テレビの中の人に抱くはずのない絶望を抱いてしまった。


 とっくに分かっていた。分かりたくなかったし、認めたくもなかった。


 俺はあなた、えりこに恋をしている。


 どうしようもなく……


 そして、今日、握手会の時と違って、俺はほんとの意味でえりこと出会ってしまった。

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