ページ11 脱走

「ゴールデンウイークだね~」


「そうだな」


「いい天気だね~」


「そうだな」


「動きたくないね~」


「おじいちゃんみたいなこと言うんだね」


「そこはおばあちゃんでしょう?」


「おばあちゃんならいいんだ」


「うん? やはり良くないわ」


 連休の初日だからか、琴葉の口調はのんびりとしたものになっている。


「ところでさ」


「うん?」


「なんでゴールデンウイーク初日の朝に、琴葉が俺の隣で横になってるの?」


 そう。今、俺と琴葉は狭いベッドの上で二人して横になっている。


 弁解させて頂きたい。


 別に俺と琴葉は夜に一緒に寝てたわけじゃない。俺を起こしに来た琴葉はベッドに手をついた途端、バタッと倒れ込んだのだ。


「なんとなく?」


「そう? あついから机の方に行ってくれない?」


「なんでそんなこというのよ!」


 急に琴葉は体を起こして、俺の上に覆いかぶさってきた。


「おも……」


「重くない!」


「重いよ……」


「重くないって言わないとどいてあげない!」


「重く……」


 重くないって言いかけて、俺は口を閉じた。


 確かに重いが、デメリットばかりではない。


 琴葉の胸と太ももの柔らかい感触がいとも心地よい。


 別にこの状況を作ったのは俺じゃないから、もう少しこのまま琴葉に俺の上に乗っかってもらっても、俺に否はないはず。


「重い……」


「また言うか!」


 あっ、至福の時間だ。


 重いけど。


 琴葉の髪からラベンダーのような匂いが漂ってくる。


 シャンプーの匂いなのか、それとも琴葉自身の匂いなのかは分からない。


 昔は一緒に風呂に入って、同じシャンプーを使ったこともあるが、今となってはどんな匂いのシャンプーだったのか思い出せない。


 鼻と鼻が触れ合いそうな距離。


「ぐぅっ!」


 次の瞬間、琴葉はとっさに体を支えている腕の力を抜き、ぺたんとそのまま倒れて、俺の上にのしかかってきた。


 あまりの重さに、俺は思わずうめき声をもらした。


 彼女の顔は枕に沈んでいく。


 長い髪は俺の顔に降りかかってきて、くすぐったい。


「これでもまだ重いっていうか!」


 こうなったらもはや尋問と変わらない。


 重いのに、重くないって言わないと解放されることはない。


 往々にして冤罪はこうやって生まれたのだ。


「重くないです……」


「ふーん、許したげる」


 クリティカルヒットを喰らったので、俺はついに音を上げた。


 琴葉は満足そうに俺の上から離れて、また隣で横になった。


「ねえ、雅」


「なに?」


「せっかくのゴールデンウイークなんだし、どっかに遊びに行こう?」


「ごめん、第一巻の締め切りが五月末だから、執筆は部活の時間じゃ足りないだろうし、ゴールデンウイークは返上するって決めたよ」


「サラリーマンみたいなこというのね」


「そんなことないと思うけど」


はえらいのね」


「それって嫌味?」


「ほかに何に聞こえるっていうのよ……ああ、眠い……」


 まあ、ゴールデンウイークを返上して執筆しようと思っているのは嘘じゃない。だが、それがすべて真実とも言えない。


 実は少し前に、俺は渚さんにゴールデンウイークの予定を教えてもらった。


 渚さんもどうやらゴールデンウイークは忙しいらしく、なかなか時間が取れそうにない。


 だが、今日に限って、渚さんは空いている。


 だから、俺は渚さんと今日一緒に遊園地に行く約束をした。


 待ち合わせの時間は昼の12時。あと4時間もあるのだが。


 問題は琴葉。


 琴葉の遊びの誘いを断っといて、渚さんと遊園地にいくよなんて絶対に言えない。


 もしそんなことを琴葉に言うものなら、さっきの地獄が可愛く思えてくるほどの刑罰が俺を待っているだろう。


 たまにしか起こしに来ない琴葉は、よりによって今日起こしに来た。


 しかも、なぜかだらだらと居座ってる。


 眠いなら自分の部屋で寝坊すればいいのに……なぜわざわざ俺のベッドの上で2度寝するんだよ。


 琴葉は眠いと言って、丸まって寝息を立て始めた。


 もしや、今がチャンスでは?


 琴葉が寝てる間にこっそり家から出ればいいんじゃないのか?


 そうと決まれば、あとは決して琴葉を起こさないように、外出の準備をするだけだ。


 あれ? 琴葉ってもしかして起きてる?


 上半身を起こそうとした瞬間、琴葉は右手を俺の上に置いた。


 そっと、琴葉の頬を突っついてみる。


 反応がない。


 なんだ。びっくりさせちゃって……


 だが、俺が琴葉の手をどかそうとした瞬間、今度は琴葉の右足が俺の下半身の上に乗ってきた。


 ほんとに眠ってるの?


 よもや寝たフリをして俺をからかってるんじゃないだろうね。


 そっと、顔を琴葉のほうに向ける。


 琴葉は静かに目を閉じたまま、穏やかに寝息を立てている。


 そう言えば昔もこんな感じだった。


 まだ小学生のころ、俺は琴葉と一緒に寝ることが多かった。


 そのころの彼女も今みたいに、安心した顔で寝ていた。


 確かに一緒に寝ていると、琴葉はよく抱きついてきたっけ。


 ごめん、琴葉、疑ってすまなかった。


 お前はちゃんと眠っている。俺が保証しよう。


 思い出を頼りに琴葉がちゃんと眠っていることを確認すると、俺は遠慮なく琴葉の手と……足をどかした。


 ぷにぷにの足。心臓に悪かった。


 そして、急いで着替え始めた。


 自分の部屋とはいえ、女の子の前で着替えるのはやはり恥ずかしい。


 でも、琴葉は寝ているし、見られているわけではない。


「……みやび?」


 ビクッと体が震えたのを覚える。


「……なんで着替えてるの?」


 琴葉は上半身を起こして、眠たそうに目を擦っている。


 まずい。今の俺はズボンを履いてない。


 おかしい。昔の琴葉は俺が横でどんなイタズラをしても起きなかったのに。


「え? 変態!! 私になにしようとしてるのよ! おばさん呼ぶわよ!」


 目を擦り終わって、俺の姿を確認した琴葉はいきなり大声を上げた。


「俺のお母さんは一応、早く琴葉に手を出しなさいって言ってるんだけど……」


「そう?」


 心無しか、琴葉は嬉しそうだ。


「って違う! 早くズボンを履きなさい!」


「琴葉だって丈の短いパジャマ着てるじゃん。パ、パンツがちらっと見えてたよ……」


「いやー! なに見てんだよ! こういうのは順序があるでしょう!」


「順序?」


「……その、付き合ってからとか」


「ごめん、声がちっちゃくて聞こえなかった」


「雅のばか! 早くズボン履け!」


 あっ、俺ってまだズボン履いてなかったんだ。




「で、私が寝てる間にどこに行こうとしてるわけ?」


「……コンビニ……です」


 正座させられている俺を、ベッドにふんぞり返っている琴葉が見下ろしている。


「コンビニにしては、なんでわざわざ私がプロデュースした服を着てるわけ?」


「なんとなく?」


「そうな理由で私が納得すると思ってるのかな」


「で、でもさっき琴葉もなんとなくって……」


「私はいいのよ!」


 女の子って理不尽だ。


 どうしよう。こうしてる間も時間が流れているわけで……


 もう、奥の手を使うしかないのか。


 でも、そしたら帰ってきた後に琴葉になにされるか分かったもんじゃない。


 しかし、背に腹は変えられない!


「琴葉」


「うん?」


「またパンツ見えてるよ? さっきはよく見えなかったけど、今の体勢だとよく見えるんだよね……水玉?」


「き、き、きゃっ!!! 雅の変態! ばか! スケベ!」


 よし、今だ。走ろう。


 俺は机の上の財布を取って、勢いよく部屋から玄関まで走っていった。


 琴葉もすぐに我に返り、後を追って来ている。


 だが、全ては計算通りだ。


 俺は玄関のドアを開けて、素早く外に出た。


 案の定、琴葉は玄関で立ち往生している。


 朝人の少ない時は、パジャマ姿で隣の俺の家に歩いてきても大丈夫だろうが、10時を過ぎた今では通行人が増えている。


 さすがの琴葉でもその露出度の高いパジャマ姿で外へは出られまい。


「みーやーび!」


「ごめん、琴葉!」


「なんで逃げるのよ!」


「琴葉が追いかけてくるからだよ」


「もう! 帰ってきて? ねえ、なにもしないから?」


「お土産買ってくるから! ごめん!」


「雅のばか! ばか! ばか!」


 琴葉が大声で叫んでるから、通行人の視線が俺と玄関にいる琴葉に注がれることになった。


「あっ、み、見ないで……」


 通行人の視線に気づいたのか、琴葉は恥ずかしそうに座り込んだ。


 琴葉のことは大丈夫だろう。


 俺の部屋のクローゼットには琴葉の着替えもある。


 あとで着替えて自分の家に帰れるはずだ。


「琴葉、行ってきます!」


「雅!」


「絶対お土産買ってくるからー!」


 そう叫びながら、俺は駅へ走っていった。


「雅のばか!」


 琴葉の声はしばらく響いていた。

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