第2章

ページ9 オファー

『そんなの納得できません!』


『そこを何とかお願いします!』


『無理はもんは無理ですよ』


『でも、あなたには才能があります!』


「さっきからなんの話してるの?」

 

 まるで自分の部屋にいるかのように、俺のベッドの上でくつろぎながらマンガを読んでいた琴葉は俺の電話の内容に興味を持ったみたい。


『そこに一ノ瀬さんの彼女がいるんですか!? 電話代わってください!』


『関係ない人を巻き込まないでください! それに彼女じゃないから!』


『べ、別に一ノ瀬さんの彼女さんに、一ノ瀬さんを説得してもらおうなんて思ってないんですから』


『ツンデレのせいで、意図がバレバレですよ! あと2度も言うけど、彼女じゃないんです!』


『あら、私ったら……あれ? なんで彼女じゃないのに、一緒にいるんですか?』


『別にいいでしょう!? 個人の自由ですよ!』


 この編集、想像してたよりポンコツなのかもしれない。


 4月上旬、俺は自分の小説を佐渡川文庫の「文芸大賞」に出した。応募の締切は5月末、そして結果発表は7月中旬を予定している。


 そのはずなのに、4月下旬の今日、佐渡川文庫の編集から電話がかかってきた。


『……そもそも、なんで結果発表の時期でもないのに電話かけてきたんですか?』


『だから、一ノ瀬さんの作品が素晴らしいからですよ!』


『それは嬉しいんですけど』


『いち早く書籍化するために私のほうから連絡させて頂きました』


『それにしてもなぜとしてなんですか! 俺は「文芸大賞」に応募したはずですよね!』


『いや、一ノ瀬さんの作品を読ませていただきましたが、それは見事なラブコメですよ!』


『全然嬉しくないんです! 文芸として書籍化したいです!』


「ちょっと、うるさいんだけど、マンガに集中できないんだけど~」


 俺だって大声出したくて出してるわけじゃない。


 文句を言うならこの編集に言って欲しい。


『文芸としてなら書籍化どころか、賞すら取れない可能性がありますよ?』


『そんな……』


『賞金300万円差し上げますから』


『それはありがとうございます……って違う! これって明らかに不正ですよね! 金で釣らないでください! アメとムチの使い所間違ってますから!』


『ちっ』


『今舌打ちしましたな! 舌打ちしたんですよね!』


『まあまあ、細かいことは気にしないでくださいよ~』


 俺は今まで2回賞を取ったことがある。


 いずれも大した賞じゃなかったが、俺が書いた文芸作品が認められた気がして嬉しかった。


 今回、佐渡川文庫は大賞相当で俺の投稿した作品を書籍化してくれると言ってきている。


 でも、それは文芸としてじゃなく、ラブコメとしてなのだが……


 俺の作品ってそんなにコメディ寄りなのかな……自分の創作スタイルと作風を根本的に否定されたようでかなりショック。


『気にしますよ! 余計にこの話受ける気なくなりました』


『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! 一ノ瀬くんを説得しないと、私、編集長に怒られます!』


 自分の保身のために動いてるのか、この編集。


 かるく、いや、めっちゃ引いた。


 普通そうだとしても言わないんじゃないのかな。


 やはりこの編集どこか抜けてる。


『俺には曲げられないものがあります』


『まあまあ、待ってください』


『うん?』


『考えてみてください』


『なんですか?』


『書籍化したら、モテますよ?』


『別に……』


『モテモテですよ!? それはもう、芸能人に好かれる可能性だって出てきます!』


 ごくり、唾が喉を通ったのを感じる。


 芸能人って……もしかしたらえりこも?


 好かれる可能性はないにしても、俺の存在に気づいてもらう可能性は確かにある。


 俺には曲げられないものがあった。


『ぜひ、書籍化のオファーをお受けしたいと思います!』


『あはは、現金なところは嫌いじゃないですよ』


『……うるさいです』


『では、契約書をお送りしますので、保護者の方にサインしてもらってくださいね?』


『ちょっと待ってください』


『なにかありましたか? 今更気が変わったなんて言われても、弊社はクーリングオフを受け付けておりませんので』


 どこの悪徳業者だよ。


 消費者センターに訴えるよ?


『気が変わったとかじゃなくて、ただ、「文芸大賞」の方はどうなったのかなって』


『それにはご心配には及びません! 編集長は急遽「ラブコメ大賞」を立ち上げたので、こちらに移させていただきました』


 ご都合主義ここに極まれり……


 編集長ってそんなに俺の作品を気に入ったのかよ。


『こちらの「ラブコメ大賞」の結果発表と同時に、一ノ瀬さんの作品の書籍化を公表する段取りになっています』


『結果発表っていつですか?』


『今日です』


『はい?』


『すでに、ホームページで一ノ瀬さんの作品が大賞を獲得したって公表しています』


『俺がこの件を断る可能性は考慮していないのですか……』


『大丈夫です! まだ一ノ瀬さんを誘惑する讒言ざんげんを10個ほど用意していますので』


 今なんて? 讒言だと? 


 じゃ、モテモテになるのは嘘だったのか?


『やはり……』


『あーあ、聞こえない。聞こえない』


 編集ってみんなこんなにキャラ濃いのかな。


 贅沢は言わないから、もうちょっと上手く騙して欲しいものだ。


『……分かりましたよ』


『では、契約書をお送りします! てかもう送っちゃいました~』


『はい?』


『今頃もう届いてるかと思います』


『仕事早いですね』


『いや、それほどでも』


『嫌味ですよ、嫌味』


 俺は知らないうちに出版社の闇に触れてしまったのかもしれない。


 それとも、単にこの編集がダメなだけかもしれない。


 どっちにしろ、俺には選択肢なんて残っていないらしい。


『では、少し中身の打ち合わせになりますが』


『はい』


『主人公のツッコミを増やして頂けないでしょうか?』


『いや、俺ツッコミとかよく分からないし』


『一ノ瀬さんが私にしたのと同じ感じで大丈夫ですよ』


 えっ? 俺そんなに突っ込んでたのか?


 なんか笑えない。




「さっきの電話なんだったの? 雅って叫んだり唸ったりしてたし」


「ちょっと悪い人に捕まっちゃって」


「えっ! 勧誘? オレオレ詐欺?」


「ちょっと違うかな」


「……まさか、美人局つつもたせ!? 雅、あんた、変な女に手を出したの……?」


「出してないわ!」


「ちょっと、近づかないで? ねえ、近づかないって言ってるでしょう? なんでこっち来るの? もう近づくなって言ってるでしょうが!」


 琴葉の足の芳しい匂いが再び鼻腔を刺激する。


 変なこと言うから、こちょこちょしてやろうと思ったのに、返り討ちに遭ってしまった。


「この変態!」


 おまけに倒れた俺の顔面を踏んづけて、トドメをさしてきた。


 でも、これで一応、俺も小説家になったんだな。


 えりこに一歩近づいたかな。


 なんかじっとしていられない。


「おい、踏んづけてる最中に携帯出さないでよ!」


『もしもし、渚さん?』


『一ノ瀬くん? どうしたの?』


『渚さんって暇なの?』


『え?』


『いつも忙しいって言ってるわりに、すぐ電話に出たから』


『切るよ?』


『ごめん、ごめん。悪かった』


『許す』


 渚さんが寛大でよかった。


 琴葉にも見習って欲しい。


『そ、その、ごほっ』


『どうしたの!? めっちゃ喋りづらそうだよ!?』


『だ、大丈夫。ちょっと力を入れられちゃって』


『ちから?』


「ねえ、雅? なんで私がいるのにほかの女と電話するの?」


「いや、その嬉しくてつい……いたっ!」


 俺の顔面を踏んづけてる琴葉の足はお腹の上に移動した。


『今、女の声が……まさか、彼女……?』


『違う、違う。それ琴葉だから』


「私のことそれって言うんだ……」


「違う、違う」


 あっ、もう。どうしてこうなった。


『そうか……今、七海さんと一緒にいるんだ』


 渚さんの声はどこか寂しそうだった。


『とりあえず伝えたいことがある!』


『伝えたいこと?』


『俺、小説家になった! 俺が書いた『冴えない僕とアイドルな彼女』の書籍化が決定した!』


『おめでとう!!』


 電話越しでも分かる。


 渚さんは自分のことように喜んでくれている。


『じゃ、ちょっと踏まれてるので、またね』


『あっ……』


 電話を切って、琴葉を見上げる。


「というわけで、俺小説家になったよ」


「なにがというわけでだ! なんでついでにみたいな感じで私に報告してるわけ!? 雅のばか!」


 いやん、そこはだ……め。

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