ページ3 買い物

 終業式が終わり、春休みが始まった。


「眠い……」


 朝早く琴葉が俺の部屋にやってきて、問答無用で俺を起こした。


 そしてなぜか電車に乗ってショッピングモールに行くことになった。


「あんたが服選んでって言ったでしょう!」


「それにしてもわざわざ買いに行く必要ないんじゃ……」


「あんたの私服はどれもダサいからでしょう」


「ダサいって……」 


 確かに、ファッションに詳しい琴葉ほどじゃないけど、俺は自分なりにかっこいい服を買っている。


 琴葉にこう言われると少し落ち込む。


「付き合ってあげてるんだから文句言うなー」


「はい」


 恩着せがましい言い方だけど、事実だから、俺は素直に返事した。


「あー、もう。電車も止まってるし、イライラするー」


「琴葉ってもしかしたら今日せい……」


「それ以上言うな。きっと雅に殺意が湧くから……理由は別にあるんだよ」


「理由って?」


「あーあ、殺意湧いたよ」


 琴葉は年々俺の理解できない生物に進化していく。


 昔、小学校の時の琴葉は、電車に乗る度にはしゃいでいた。


 どこかに出かけると、彼女は終始上機嫌だった。


 だから、琴葉があの日だから機嫌が悪いんじゃないかと思ったら違ったらしい。


 高校生になってから、琴葉が変わってしまったことを痛感させられた。


「もー、こうなったら、とことんオシャレにしてあげるわ!」


「ありがとうございます?」


「うっさいわ」


 とりあえず電車が再開するまで黙っておこう。




「ショッピングモールに来るとやはりテンション上がるわ~」


 さっきの態度と打って変わって、琴葉は偉く楽しそうだった。


 もしかしてリアルな女の子ってみんなこんなに感情の起伏が激しいのかもしれない。


 少なくとも俺が書いた小説のヒロインはみんな落ち着いてる。


 どの子も俺が想像しているえりこをモデルにしてるけどね。


「さあ、早く服売場に行こうよ、雅」


「うん!」


 でも、琴葉の機嫌が直ってくれてよかった。




 場違い感が半端ない。


 周りにいる人間がみんなモデルに見えてしまう現象に名前をつけたい。


 改めて琴葉を見ると、彼女はそういう周りの人とも次元が違った。


 琴葉は乳白色のワンピースに身を包まれていた。袖はギュッと閉まっていて、上半身の部分はセーターみたいな感じになっている。腰のところに布のベルトでリボンを結んでいるのが更に琴葉の可愛さを際立たせている。


 周りの人がみんなモデルなら、琴葉は女優と言ってもいい。


 本気でそう思った。


「ワンピース似合ってるね」


 改めて琴葉の服のセンスを知らされたから、俺は思わず素直な感想を口走った。


「遅いよ~ べーだ!」


 琴葉は俺に向けてちっちゃいピンク色の舌をちょこっと出した。


 その仕草は可愛く見えた。


「ほら、いくよ」


 俺は琴葉に引っ張られたまま、服屋に入っていった。


 遅いよって言いつつ、軽いステップを踏んでいるあたり、琴葉は褒められたのがまんざらでもなさそうだ。


「実は褒められて結構喜んでたりして?」


 気になったので、聞いてみた。


 すると次の瞬間、俺の足は琴葉のヒールのかかとに貫かれんとした。


「ばかばかばか! 雅のばか!」


 店員とほかのお客さんの視線が琴葉に集中していく。


「痴話喧嘩か、可愛いね」


「若いっていいね」


「うっ、雅のばか!!!」


 俺たちを見て微笑ましく思ってるお客さん達の会話を聞いて、琴葉は顔をこれでもかと赤くして、俺にトドメを差した。


「いたっ!!!」


 俺の悲鳴が店に響き渡っていた……


 どうして、琴葉は今日こんなに乱暴なのだろうか。


 不思議でしょうがなかった。


「一ノ瀬くん?」


 声のする方向に視線を向けると、そこにはどう見ても不審者にしか見えない女の子が立っていた。


 ふかふかのコートにマスク。


「やはり一ノ瀬くんだ!」


「あ、あの、どちら様でしょうか」


 俺は思わず身構えてしまった。


 俺の知り合いにこんな人はいない……と信じたい。


 いきなり不審者らしい人に声をかけられる恐怖を俺はこの瞬間に知ってしまった。


「えっ? もしかして私のこと忘れてるの? 私とは遊びだったの?」


「雅、あんた! この女の子に何したのよ!」


 不審者らしき女の子の言葉に、琴葉は過剰反応していた。


 この女の子に俺がなにかしたのかを、俺の方が知りたい。


「いいのよ……どうせ私は過去の女だから」


「ちょ、ちょっと、2人とも辞めてください!」


 耐えかねて、俺は声を出して2人を制した。


 すると、不審者らしき女の子は携帯を取り出して。


 次の瞬間、俺の携帯が鳴った。


 俺はそっと携帯を取り出し、画面を確認する。


『奇遇だね』


 渚さんからのRINEだった。


『渚さんもショッピングモールに来てるの?』


『何言ってんの? 私、君の前にいるよ?』


 なにそのメリーみたいな言い方。


 少し怖い。


 携帯と目の前の不審者らしき女の子を交互に見比べる。


「どうしたの? 雅」


 そんな俺の挙動を不審に思ってる琴葉。


「もしかして、渚さん……?」


「正解!」


 不審者らしき女の子、もとい、渚さんは盛大にパチパチと拍手した。


「ええええ!」


「ちょっと、雅! 店の中よ? 静かにして」


 ほんと、さっきまでバカと大声で連呼していた琴葉にだけは言われたくない。


「なんでそんな格好を?」


「えーと……花粉症? そうそう、私花粉症だから! 重度のね! マスクを付けないと鼻が痒くてしょうがないのよ!」


 思い出したように渚さんは慌てて説明する。


 俺は花粉症じゃないからよく分からないが、花粉症の人に辛い時は頭の中に生クリームをいっぱい詰め込まれているような感覚だって言われた事がある。


 想像するだけでぞっとする。


 ちっちゃい時に好きだった生クリームは今や俺にとって甘すぎて飽きやすい食べ物の代名詞になっている。


 それにしても重度の花粉症のわりには、渚さんは元気そうだった。


 まあ、元気に越したことはないから、俺としてはいいんだけど。


 そんな渚さんを琴葉は隣でじっくりと観察していた。


「渚さん? あっ、あんたが雅を誘惑した女ね!」


「違う!」


 琴葉の暴走を一刻も早く止めないと取り返しのつかない事になると、幼馴染の勘が俺に告げる。


「誘惑? どういうこと……?」


 渚さんは琴葉の言葉を理解できないといった風に首を傾げた。


「えっと、これはこの子の妄想というかなんというか、渚さんは気にしなくていいから」


 再び、琴葉のヒールのかかとが俺の足にクリティカルヒットした。


 激痛は俺の足から全身に込み上げてくる。


「そうなんだ。とりあえず、隣の子は誰か紹介してくれる?」


「あっ」


 そういえば、この2人は初対面だった。




 とりあえず、俺たちはショッピングモールの中のファミレスに移動した。


「で、この女の子は誰?」


 さりげなく俺の隣に座ってきた琴葉が真っ先に口を開いた。


「えーと、こちらは渚花恋さん。偶然彼女のパン……いや、ハンカチを拾ったから知り合ったんだ」


 言い間違えそうになった俺を見て、向かいに座っている渚さんはクスクスと笑っている。


 そんなに可笑しいのかな。


「パン? まあいいわ。私は七海琴葉よ。こいつの幼馴染」


「こんにちは、七海さん」


「なんでここにいるわけ?」


 渚さんが挨拶し終わるや否や、琴葉は急に真顔で渚さんにとんでもなく失礼ことを聞いた。


「うん? 普通の買い物だよ?」


「違う。私が言ってるのはなんでえりこがここにいるわけ?」


「「えっ?」」


 俺と渚さんは同時に疑問の声を上げた。


 えりこ?


 もしかして、琴葉は渚さんのことをえりこだと勘違いしてるの?


「確かにマスクつけてるから、顔がよく見えないけど、女の勘というか、あなた、えりこでしょう?」


「そ、そんなわけないじゃないですか?」


 心無しか、渚さんは少し震えているような……


「ふーん」


「渚さんがえりこなわけないじゃん。確かに渚さんはえりこに似てるけど、えりこはアイドルだよ? それに渚さんの髪はえりこより短いし」


 琴葉の言葉に一瞬びっくりしたけど、よく考えたらそんなわけないのは明らか。


 困っている渚さんをフォローするために、俺は口を開いた。


「それもそうね……雅があのえりこと知り合いだなんてあるわけないよね」


 なぜか琴葉の言葉で心にダメージが……これが小説の中だったら、「俺の口から血が吹き出していた」と表現できただろう。


 これも琴葉が自分の言葉に対してすごく納得している表情をしているせいだ。


 そんなに俺の価値が低いのだろうか……えりこと知り合っちゃいけないのだろうか。


 いや、確かに知り合う機会は絶対にないだろうけども。


 それでもはっきり言われると傷つくものだ。


「渚さんは何買いに来たの?」


 とりあえず、琴葉の言葉は一旦忘れようと俺は渚さんに声をかけた。


「そうだね……」


「分かった! パンツでしょう!」


「「……」」


 俺、なんか変なこと言ったかな。


 2人は珍獣でも見ているかのような視線を俺に向けながら黙りこくった。


「ひとついいかな?」


「うん、いいよ?」


 渚さんは急に手を挙げて、俺に質問してきた。


 沈黙から解放された喜びから、俺の声はワントーン高くなっている。


「私の、一ノ瀬くんの中のイメージどうなってるの?」


「うん? パンツを落としかねない女の子だが?」


「はあ」


「ごめん、うちの雅が失礼なことを……」


 だって、「私が落としたのがパンツだったらどうするんだ!」って聞いてきたくらいだし、きっと渚さんは常にポケットかカバンの中にパンツを忍ばせているのだろう。


 それは恐らく守りか、ジングスのようなものだろうね。


 ポケットの中にパンツを入れとくと好きな人と結ばれる、みたいな?


 って、そんなわけないか……


「もしかして、俺ってすごくデリカシーのない発言を……」


「一ノ瀬くん、自覚あったんだね……」


 渚さんは頭痛をこらえるようにこめかみを左手で軽く抑えた。


「ごめん、うちの雅がみっともないところをお見せしました」


 渚さんに突っかかっていた琴葉も、今はひたすら渚さんに謝っている。


 なんかシュール。


「ごめんなさい!!」


 さすがの俺でも失言したことに気づいて、テーブルに擦り付けるように頭を下げた。


「やはり一ノ瀬くんは面白いね!」


 渚さんはそう言って微笑んだような気がする。


 頭をテーブルに擦り付けてるから、見えないのだが。


「こちら、シーフードパスターでございます~」


「あつっ!!!」


 急に頭の上に熱い感触がして、俺は思わず悲鳴をあげた。


「ごめんなさい!!! お客様! やけどしていませんか!?」


「あっ、店員さん、大丈夫ですよ! このバカには灸を据えないとバカが治らないので」


「あら、そうですか。よかったです!」


 これは俗に言う天然ですか。


 なぜこの店員の女の子は琴葉の言葉に納得して胸を撫で下ろしているのだろう。


 テーブルに頭を擦り付けていた俺にも否はあるのだが、ちゃんと確認もせずに料理を置くのかな、普通。


 俺らのやりとりを見て、渚さんはほんとに天使のような笑顔を浮かべていた。




「「「いただきます!」」」


 3人で大合唱をして、それぞれ料理に箸やフォークを伸ばしていく。


「バレなかったみたいで良かった……」


 そんな最中に、渚さんが小さな声で呟いたのが聞こえた。


 大丈夫、渚さん。ナポリタンのケチャップが鼻に付いてるけど、俺は気づかないふりをしておくから。

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