Episode10 秋季攻勢の噂

「シエン中尉、秋季攻勢の噂は聞きましたか?」

 第12オートバイ狙撃中隊はホライズ塹壕群の最前の塹壕、アントン塹壕から数えて3番目のツェーザー塹壕の8番塹壕を中心に監視兼狙撃手として展開している。

 第12オートバイ狙撃中隊は四つの小隊に分かれている。その内、シュバルツ小隊の小隊長を務めるシー・シエン中尉は現在、中隊長に招集をかけられたために8番塹壕内にある掩蔽壕に向かっている。

 その道中に合流したシュロケン小隊の隊長、ツェツィル少尉がシエンに話しかけてくる。

 ツェツィル少尉は好青年であり、人当たりの良い人物である。しかし、軍人に似合わぬ理知的かつ気品ある雰囲気、全体的に背伸びをしたような幼い言動、率直に言うならば俗っぽい印象を受ける。

 彼の言う秋季攻勢は、最近兵士たちの間で噂されているものだ。ただし、出所不明で作戦日も方法も話す人間によって異なる、何処まで行っても噂の域を出ない話だ。

「聞きはしたがな、あくまで噂だ。これだけ被害が増えていて兵站も何もかもギリギリな今、やるはずもない、と一蹴するつもりも無いが」

 シエンの言う通り、ホライズ塹壕群に限った話ではないが、フロス前線の崩壊はアルビトロ連合王国に甚大な被害をもたらした。結果として兵站、通信、人員あらゆる面での不足を招き、言ってしまえばホライズ塹壕群すら維持することが厳しい状況に置かれている。

「だがまあ、あり得なくはないだろうな。ここが崩壊するのも時間の問題だ。それまでに何とかしたいという気持ちが上層部にもあるんだろう」 

 実際のところ、そうでもしなければアルビトロ連合王国の命運はそう遠からず尽きることになる。

 終わりを待つよりかは、少しでも勝算のある道に進みたいだろう。だが、考えることは帝国も同じだ。

「勝てるかどうかは、神のみぞ知るってやつですかね?」

 シエンの顔を窺いながら、ツェツィル少尉は言う。

「それが上官に向かって言うことか、少尉」

 だが、シエンはこれから何が起きようとしているかを知っている。



「秋季大攻勢を実行する」

 ツェーザー8番塹壕、簡易指揮所として設置されたトーチカ状の掩蔽壕の中。第12オートバイ狙撃中隊長、ディオゴ大尉が宣言する。

 隣にいるツェツィル少尉やレゲン小隊の隊長、ホルティ少尉は驚いた顔をする。かくいうシエンもほんの少し驚いている。そうなるであろうと予測出来ていても、やはり驚かざるを得ないものなのだ。

 ただ、驚いていない人物もいた。アプシード小隊の隊長、ドミンゴス中尉とオートバイ狙撃中隊副長、フィリペ大尉だ。

 両者ともに、中隊長と同じ旧アルクウェン公国出身の難民だ。三人には個人的な交友もあるので、恐らくは事前に聞かされていたのだろう。

「本作戦の目的は大きく分けて二つだ。第一に、旧フルクラム塹壕の奪還。これがこの攻勢において最も重要な目標だ」

 旧フルクラム塹壕、ホライズ塹壕群から西におよそ1.8kmに位置する、元は連合王国の塹壕だ。ホライズ塹壕群も分類される予備戦線の内、中央東寄りに位置するもので、現在は帝国が占拠しホライズ塹壕群と睨み合っている。

「だが、フルクラム塹壕の奪還は足がかりにすぎん」

 ディオゴ大尉は掩蔽壕中央にあるテーブル上、周辺一帯の地図を指さしながら言う。

「帝国はこの数ヶ月で我々を追い詰めたが、そのスピードはあまりに早い」

 二ヶ月で140km、それは異常な進軍速度だ。なぜなら、それまでにも十数回にわたる迎撃作戦を行い、悉くそれを突破されているからである。

「クラウゼヴィッツの提唱した攻撃の限界点、即ち兵站基地との距離は既に限界に達している。情報部の調査では、一度の補給をするために補給基地から前線まで3日間かかっているらしい」

「つまり、後方連絡線の維持は不可能になっている、と?」

 ホルティ少尉が呟く。

「その通りだ。無論、補給は一日ごとに届いているが警備は最小限、予備人員なども最小限に削られている」

「それを叩くのが、我々の仕事ですか?」

 シエンは気だるげに問う。

「鋭いな、しかしそれだけではない」

 ディオゴ大尉は地図の上で指を滑らせ、フルクラム塹壕の4km後方にあるリルストーチカ群で止める。この場所はベルカ帝国側の砲陣地として利用されている場所だ。

「後退時に我々はリルストーチカ群のトーチカ全てに爆破できるよう仕掛けをしている。ただし、悟られぬように偽装されている為に遠隔爆破装置などはついて居らん」

「……つまり?」

 ツェツィル少尉が痺れを切らしたように続きを求める。

「これらの爆薬や液体燃料は外側から狙撃できるように配置されている。これらを明朝6時の友軍の砲撃と同時に爆破してもらう」

「通常の銃弾では確実に爆破できるようなものではありませんが」

 爆薬であれば、通常の銃弾でも爆破はできるが燃料となるとそうはいかない。ちょうどよく火花が着弾の時に散らなければならないのだ。無論、燃焼することで弾道線が見えるようになる曳光弾を利用するという方法もあるが、それでは射手の位置が露見してしまう。

 シエンの問いに答えるようにディオゴ大尉はテーブルの下に置いて有った箱から一発の銃弾を取り出す。それは一般的な300口径ポリアシック銃弾に見えるが、通常の被甲弾とは違い、先端が青くなっている。

「これは先日開発された焼夷弾だ。これならば爆破可能だ」

「……なぜそんなことを?」

 それまで黙っていたドミンゴス中尉が言う。

「理由は二つ、一つは後方連絡線を断つことだ。消耗した人数だけしか連れていなければ、ある程度は遅延効果があるだろう」

 フィリペ副長が持っていたファイルから幾枚かのモノクロ写真を取り出す。そこには、履帯のついていないトラックとサイドカー付きのオートバイが数台ずつ写っている。

「この写真に写っている通り、帝国の補給部隊は履帯付きのハーフトラックを利用していません。帝国が有線の通信機に頼っている以上、トーチカ帯を爆破すれば補給、情報共有は困難になるはずです」

「うむ、もう一つの理由は砲陣地帯の混乱と指揮系統を前線と断絶するためだ」

 帝国側も連合王国側も前線は大きく分けて三つに分かれる。まず塹壕が伸びた最前線、そこから3キロメートルほど離れて砲陣地帯が展開され、さらにその5キロメートルほど離れて司令本部が展開されている。

 現在の帝国は、砲陣地帯をリルストーチカ帯に設置しており、ここを破壊することができれば大打撃を受けるはずだ。少なくとも、押され過ぎている前線を押し戻す足掛かりにはなるだろう。

「何故そのようなことを?」

 だが、シエンは首を傾げた。残念ながら、現在の連合王国は決定的な打開案を持ち合わせていない。仮に取り返せたとしても、それは一時的なものだ。

 何より、砲陣地帯を破壊したところで、向こうには規格外の攻撃力と破壊力を備えた天使がいる。一体、一瞬の勝利に何の意味があるのだろうか。

 ディオゴは口の端を吊り上げる。それは、シエンの内心を読んでいるかのようだった。

 フィリペ副長が先ほどのファイルとはまた別のバインダーから紙の束、戦術研究レポートをシエン含め、小隊長達に渡す。シエンはレポートを斜め読みしながらディオゴ大尉の話に耳を傾ける。

「そのレポートは、戦術研究部が発表した新戦術———浸透戦術に関してと、新兵器、秋季攻勢の詳しい作戦内容について書かれている」

「浸透戦術?」

 ツェツィル少尉とホルティ少尉が声を合わせて首をかしげる。

「その詳しい説明は彼にしてもらう」

 掩蔽壕の入り口で、ランタンのわずかな灯りに影が揺れた。

 姿を現したのは、がっしりとしているが、何処か儚い雰囲気を醸し出す男、リリウム・フォーラスだった。

「帰投しました」

「リリウム少尉、巡回ご苦労。作戦についての詳しい説明を頼む」

 ディエゴ大尉が言うのと同時に、リリウムは敬礼を解いた。

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Armageddon 〜呪われた子供達〜 家々田 不二春 @kaketa

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