Episode9 ホライズ塹壕群

 風がリリウムを撫でる。

 晩秋の風は乾燥して冷たく、しっかりとした防寒仕様の軍服さえも突き抜けて、刺すように寒い。

「アントン11番塹壕、異常なし」

『異常なし、了解。ノイマン少尉とフォーラス少尉は2番臨時司令部に帰投せよ』

「了解、通信解除」

 アルビトロ連合王国の首都ファーキンボンから約400kmに位置する西部戦線。

 塹壕が戦線に沿って掘られ、それがアリの巣の断面のように四方八方へと延びている。

 深さは約2m、簀子が置かれて雨が降っても歩きやすいようになっている。

 数メートル間隔で兵士たちがM1912ライフルを持って、急襲に備えて警戒を行なっている。だが、それ以上に目立つのは塹壕内を所狭しと横になって動かない眠っている兵士や指をなんの規則性もなく動かしながら座っている兵士たちだ。

「あれから2ヶ月か」

 リリウムの所属する第七機甲師団が西部戦線、元ユレキアン公国西端のホライズ草原に構築された塹壕、ホライズ塹壕群に配属されたのは一週間ほど前である。

 最前線のアントン塹壕はおよそ900m毎に区切られ、それぞれ西側から番号が振られている。アントン塹壕の各区間の境目には50m後方のベルタ塹壕との連絡橋になっている塹壕が掘られており、兵士たちの間ではその連絡橋を〇.5番塹壕と通称する。

 そのような関係がアントン塹壕から数えて6つ後ろの塹壕、フリードリヒ塹壕まで実に300メートル近くの後方まで格子状に続いている。それがホライズ塹壕と呼ばれる所以だ。

「アンファングが陥落してから、140kmも後退を余儀なくされるとは思いもしませんでしたが」

 ベルタ塹壕にある司令部に向かうため、11.5番塹壕を歩くリリウム、その隣にいるクルトが少し呟いた。

「俺からすれば、まさかたった1ヶ月で士官学校を卒業させられて、軍曹から曹長への昇進を餌に釣られてみれば戦術研究部と兵器開発部をたらいまわしにされて」

 クルトがくつくつと声を抑えて笑う。

「そうかと思えば、お前も入っていた306歩兵大隊に放り込まれて、なんやかんやとあったかと思えば一触即発の最前線に配属されたことの方が驚きだがな」

 予備防衛陣地帯であるホライズ塹壕群は本来使われるべきではない場所だ。

 2ヶ月前に陥落したアンファングは、第四近衛天騎士団が飛び越えてきたフロス塹壕への兵站の上で重要な都市であった。

 そこが陥落、つまり都市機能の一切が停止した状態では、フロス塹壕は補給はおろか、連絡手段もまともにない状態で戦闘を続けられるはずもなく、第二戦線、第三戦線すらも飛び越えて最終防衛線であるホライズ塹壕群へ、距離にして実に143.8kmにも及ぶ後退を行った。

 その後退の際には、兵力の半分以上を削られ、このホライズ塹壕群すら崩壊しかけているアルビトロ連合王国は非常に危うい状態にある。

 そのため、本来即応隊、そして首都防衛兵力として編成されている第七機甲師団がホライズへとはるばる送られてきたのだ。

 ちなみに、306歩兵大隊に配備されたオマケでリリウムは少尉に不本意ではあるが昇格している。

「そういえば、ルーシェム准尉は?」

 リリウムは思い出したようにクルトに問う。

「ああ、彼女は今空軍の方に。この前新設された空輸挺進部隊で特別顧問として元気にやってますよ」

「ああ、空挺部隊に……」

 リリウムは心底微妙な顔をする。それもそのはず、たらい回しにされて送り込まれた内の一つである戦術研究部でリリウムが提案した新設部隊だからである。

「ところで、リリウムさん。士官学校の成績、一応基本的な戦術については抜きんでて理解があるとは聞いてますけど」

 クルトが少しいたずらに笑う。

と歴史についてはからっきしらしいですね?」

「……少しは理解したつもりなんだが」

 18も年下の若者にほんの少し意地を張ったリリウムは胸ポケットから革の手帳を取り出す。

「一応まとめてはいるんだがな、確か外から内に働く力?が魔力で内から外が空間魔力……だったかな?」

「逆です。内から外へ働くのが魔力、外から内へ働くのが空間魔力です」

「どうも信じられないな、内と外を隔てる境界を定義したときに発生する力で発生プロセスには人間の脳の認識野が……ぅぐあああ」

 右手で開いた手帳を読み上げながら左手で頭を掻くリリウム、彼は妙なうめきを漏らしながら塹壕内を歩く。

「まあ、神智学の一つですよ。神の奇跡を理論づけて証明して、それを再現する。神と人間には、さほど違いがないことの証明です」

 彼の返答には少しばかり棘があった。

 年齢は20歳ほど、身長には10cmほどの差がある二人には、すでに友情とでも言うべき関係が生まれていた。

「神、か。信じてはいないが」

「でしょうね。私も11年前までは信じていませんでしたから」

 11年前、時にして1907年。

「例の……アポカリプティック・デイ、だったか?」

 リリウムは手帳をペラペラとめくり、目的のページを開く。

「そうです。あの日を境に、世界は変わってしまったんですよ」

 空を眺めるクルトの目には、何が映っているのだろうか。

 リリウムはそんなことを考えながら、再び手記に視線を落とす。

────アポカリプティック・デイ、1907年8月16日。

────ニガヨモギという名の隕石が空中爆発、世界中に甚大な被害を発生させたことから始まる、最終的に人類の八割以上を死滅させた10日間に渡る大災害。

「……なら、人類が滅びそうなこの時になんで戦争なんてしてるんだ?」

「僕に訊かれましても。ただ、馬鹿げた戦争であることは間違いありません」

「戦争なんて全部が馬鹿馬鹿しいとは思うがな」

「確かに」

 溜息混じりの相槌には、並々ならぬ苦労があったことが感じ取れる。

「何がしたいんでしょうね、ベルカ帝国は」

 ベルカ帝国、ビサンツ大陸西部をこの10年間牛耳り続ける天使の国。そして、東部を仕切る悪魔の国、アルビトロ連合王国の戦争相手。

「さあな、順当に考えるなら食糧の確保だろ」

 リリウムが生きた時代とは違い、ここは1900年代初頭だ。帝国主義なんて言葉は生まれて間もない。忌み嫌われるなんてもっと先の話だ。

「世界が、人がもっと優しければよかったんですけどね」

 クルトがポツリと呟いた。

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