Episode7 地獄の王

 部屋の中には、窓などはなく玉座とその横に机があるだけだった。

 机の上にはワインボトルとグラス、燭台が置いて有るのみで、光源すらまともにないのでかなり薄暗いが、どういうわけか部屋全体を見渡せる程度ではある。

 男は、玉座に座ると指を鳴らした。

 すると、扉が再び音もなく動き出し、ほんの少し金属がすれる音がしたのみで完全に閉まってしまった。

 それと同時に燭台の蝋燭に火が灯る。

「さて、まあ立ち話もなんだ。座りたまえ」

 どこからか椅子が宙を舞って飛んでくる。

 それは、部屋の中央に突っ立っていただけのリリウムの背後で静止する。

「俺は立ったままでいい」

「いいから

 気圧された、というより何かそうしなければならないと刷り込まれたように薄緑色の病院着を着たリリウムは座る。

「そう、それでいい。で、何の話だったかな」

「あんたは俺が元いた世界を知っているのか」

 男は薄く笑う。

「ああ、もちろん知っているとも。それだけじゃない、君が何者で、何故此処に居て、どうして生きているのかも知っている」

 リリウムは困惑する。何者か、なんて考えたこともないからだ。

「それはそうだろうな、君が何者かなんて君の性格からしてあまり考えるものでもないだろう」

 リリウムは息を呑む。

 思考が読まれている、ちゃちな占い師やペテンの超能力者とかの類ではない、ただ事務的に正確にそれが行われている。

 心を読まれている、というよりも記憶そのものに触れられているかのような感覚に近いのだろう。

「君は4日前、我がアルビトロ連合王国の最西端の街アンファングから首都、ファーキンボンに護送された。一つ目の質問には答えたな」

「…………あんたは、誰なんだ?」

「私は悪魔だ。人と契約を結び、その魂を食らう、しがない悪魔だ」

 リリウムは夢から覚めた気分だった。しかし、酒を飲みすぎた日の翌日のように気分はどんよりと曇っていた。

 悪魔だという男は、リリウムの眼前に移動し、その顔をじっと見つめる。

 かと思えば、唐突に口を開く。

「君は孤児だろう?」

「……だとすれば?」

 図星であることはすでに知れている。ただ、思春期の子供が親にするようにリリウムは少しばかり意地を張っただけだ。

「君の親を、知りたくはないか?」

 リリウムは、答えなかった。

 彼は興味が無いわけではない。ただ、それは興味以上の何物でもなく、自分という人間がどういうものから生まれたのか、ただそれに関心があるだけである。

「興味は、ある。だが、それを俺が知って、何になる?ましてや、あんたが知っていて何になる?」

「人は好奇心の生き物だ。知らないことは知ろうとし、飛べないなら飛ぼうとする。それと同じことだよ、リリウム」

 冷ややかな、蔑むような眼で男はリリウムを見る。

 リリウムは脳を直で触られるかのような不快感に少し背を反らす。

「例えるのなら、君が遺書に、君の同僚と君の元妻を————」

「やめろッ!!」

 リリウムは思わず叫ぶ。

「どうした、立派なことではないか。自己犠牲という名の愉悦に浸る、死は救済とはよく言ったものだな」

 耳を押さえてうずくまるリリウムに、いつの間にか真横に移動していた男が囁く。

「実に醜悪で、独善的で、思慮浅い行動じゃないか。実に、実に人間らしい愚かさだ」

「俺は……俺が、悪いんだ」

「だからといって、彼らが結婚して、幸せに暮らして、娘のことも君のことも忘れる、そんなわけなかろう?」

 脳内に直接語り掛けるように、男の声は澱んで響く。

「君が死ぬ意味なんてあったか?」

 魂が悲鳴を上げるかの如く、リリウムの目には幻覚過去が映る。


———あいつが裏切ってたんだ!

———人質を逃がすのが最優先だ。


「やめろ、やめてくれ」


———バイバイ。

———あの子が、守ってくれたのでしょ?


「見ろ、お前の人間性を」

 リリウムは焦点の合わない目に涙を浮かべていた。

「お前は俺の過去を、知っているのか」

「ああ、知っているさ」

 リリウムは男の手を掴む。

「なら、頼む。俺を産んだやつと娘を殺した奴を教えてくれ」

「知ってどうする?」

 リリウムは一度瞼を強く閉じて涙を振り払う。


「殺す」


 リリウムは力強く、ただそう一言発した。

「何故だ?」

「復讐だ」

 男は顔を歪ませる。

 恍惚とした表情には、ある種の不気味さもあったがリリウムには確信があった。

 この男は信頼できる、と。

「誰の復讐かね?」

「俺の娘だ」

「何のために?セウム君の娘を殺した人間を殺した方が復讐然としているとは思うが」

 リリウムの娘を殺したテロリストであり、部下でもあった男。名はフェレター。

 彼は既に裁かれ、どこかの刑務所で残りの人生を過ごしているはずだ。

「たとえ」

 リリウムは喉の奥から細い声を絞り出す。

「たとえ、セウムを殺したのがフェレターだったとしても」

 初老の男は、リリウムの視界にはない。いや、違う。

 何処にでもいる、といった方がおそらくは適切であろう。

 彼の息遣いは、体温は、手の感触は、リリウムのあらゆる方向から聞こえる。

「その原因は、俺だ。そして、こんな俺を創ったのは、俺を捨てた親達だ」

「論理が破綻している上に独りよがりだな。しかも、私は何も得ていない」

「わかってる。それを承知で俺は言ってる」



「タダで教えることは出来んな、お互いにウィンウィンと行こうじゃないか」

「何だってする。俺にできることは少ないかもしれんが」

 リリウムは過去の自分を呪う。

 彼はそれまでの人生を、ただ酒と硝煙と薬にしか生きてこなかったのだ。

「では、君は何ができる?」

「…………」

 リリウムは必死に思考する。

 自分にできることは何か。

「俺は……」

 できることは、一つしかない。

「銃を、握ることだ」

 男はゆっくりと、紳士的に笑う。

「気に入った」

 リリウムは胸を撫で下ろす。

「良かろう、成立だな」

「なあ、最後に一つ教えてくれ」

 リリウムは口を静かに開く。

「あんたは、誰なんだ?」

 男は再び玉座へと歩き出す。

「言っただろう?私は悪魔だ」

「違う、あんたの名前を聞きたいんだ」

 そして、その悪魔はぶっきらぼうに玉座へと座り、肘をついてまるで、この世の神のように言い放つ。

「ある者は彼をこう呼んだ。光をもたらす者、と」

 彼は立ち上がり、今度は追い詰められた人間の命乞いのような声で言い放つ。

「ある者は彼をこう呼んだ。裏切者、と」

 彼は両手を広げながら階段を下り、野心に燃える独裁者のように言い放つ。

「ある者は彼をこう呼んだ。悪魔、と」

 そして彼は、暗い天を仰ぎ無関心に、無感動に言い放つ。

「私は、王だ。この世の最底辺の王」

 リリウムは椅子を立とうともしなかった。悪魔に心を鷲掴みにでもされたように。


「この世界を見上げ、地上に憧れた、地獄の王だ」

 リリウムの唇はまるで何かに憑かれたかのように動き出す。

「彼はこう言う、魔王と」

「そうだ、私は魔王だ。地獄の王たるサタンだ、それが嫌ならこう呼ぶといい」


————ルシファー、と。

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