Episode5 陥落
「ルーシェム!あいつ、いつの間に……」
ルーシェムはクルトの声を気にも留めずに、吹き飛ばされたウリエルのもとへ砂を巻き上げながら向かう。
ウリエルはピクリとも動かず、先ほどの爆発で左腕が無くなっており、頭部と腕から漏れ出る血が赤い水たまりを作っている。
傍から見れば完全に死んでいるように見える。しかし、ルーシェムは10mほどのウリエルとの間合いを詰めている。
ルーシェムは、あと一歩踏み込めばウリエルの見るも無惨な顔がはっきりと見える、そんな距離で突如コカビエルに向かって吹き飛ばされた。
「うっ……!」
音も無く吹き飛ばされたルーシェムは、咄嗟に前で腕を組む。
それと同時にコカビエルは残った左腕を真っ直ぐに伸ばす。するとルーシェムの身体はコカビエルの目の前で、浮いた状態で静止する。
「……准尉の無鉄砲さも変わってはいないな」
「……
コカビエルがゆっくりと腕を下ろすと、ルーシェムがゆっくりと落ちてきた。
「わかっているさ」
コカビエルは、全ての欠損した部位が元に戻り、既に立ち上がったウリエルに視線を向ける。
硬直の中、リリウムは引き金を引く。
ライフルが作動し、ファイアリングピンが銃弾底面を叩き、弾頭が銃声を追い越してウリエルに向かう。
その弾頭は空中で静止する。
「なっ……」
「人間ごときが手出しするな」
ウリエルが指を弾くと、弾頭が逆方向————リリウムの方向に加速していく。
咄嗟によけたリリウムの数センチ頭上を弾頭が通過、壁に突き刺さりウリエルに当たった時とは比べものにならない威力で炸裂する。
至近距離の爆発がリリウムを襲い、壁と石を突き破って道路に落ちる。
「ぐぁ……!」
「リリウムさん!」
クルトが駆けよる。
「畜生がッ……」
「応急処置をします、黙ってください!!」
————応急処置?
リリウムは自身のじんわりとした痛みが襲う左足を見る。
「ああ……なるほど……」
結構大きめな木片が左の太ももに突き立っていた。
リリウムがそれを認識すると同時に、ウリエルがクルト達に向けて右手を向ける。
「やめろ!」
コカビエルの陰に隠れていたルーシェムがそう叫んでサブマシンガンの銃口をウリエルに向けて引き金を絞る。
コカビエルは制止しようとするが、それよりも先に軽快な金属音の混じった銃声が9mm弾に追い越されながら拡散する。
「邪魔をするなといっただろう?」
ウリエルは挙げていた右手をコカビエルとルーシェムに向け直す。
マガジン一つ分、36発の9mm弾はすべてウリエルに届くこと無く、空中で停止する。
「……さあ、コカビエル」
ウリエルの血塗れで絵に描いたように品のある、病的なまでに白い顔が、まるで悪戯を思いついた子供のように歪む。
「貴様の背後の小娘か、そこの男ども二人か、どちらの命を見捨てるのだ?」
コカビエルは答えない。
さらにウリエルは口の端を、悪魔のように吊り上げる。
「それとも、保身に走るか?」
コカビエルは沈黙した。
無論、背後のルーシェムも少し離れているクルトやリリウムを同時に守ることだってできる。
だが、そうなればコカビエルには隙ができる。埋めることのできない、かといってウリエルが見逃すわけのない決定的な隙ができてしまう。
「…………」
「時間切れだ、コカビエル」
ウリエルは挙げていた右手の指を弾く。
転瞬、空中で静止した弾丸が蒼光とともに爆発する。
「なっ……!」
コカビエルの後ろに控えていたルーシェムはほくそ笑む。
「私が理由もなく動くとでも?」
「小娘!図ったな!!」
ウリエルは叫ぶが、生じた隙を埋めれるわけでもない。
コカビエルは音を追い越す勢いでウリエルに近づく。
その手には、銀色に鈍く光る細身の無骨な剣が握られていた。
「とどめだ、ウリエル」
その剣は肉を切り裂き、鎖骨の真下あたりから突き立った剣は人間であれば心臓と肺を貫き、背骨の一部を砕きながら背中に貫通する。
ウリエルはコカビエルの頭を掴もうと両手を伸ばす。
その両手はルーシェムの握った拳銃の銃弾によって動きを止める。
「……勝ったと……思うか……?」
ウリエルは消え入りそうな声で言う。
斜めに突き立った剣を血液が伝って、剣先から石畳に滴り落ちる。
「あぁ。貴様の心臓は貫いた。十秒もたてば貴様は動けなくなる」
一滴、二滴と緋い血は石畳の隙間を侵食するように広がる。
「……はは、そいつは……いい冗談だ……私が、誰か……忘れたのか……?」
応急処置を終えたクルトがルーシェムのそばに近寄り、軽い手当てを受けたリリウムは一歩ではあるがコカビエルに近づく。
「私は……主に……信頼された……」
ウリエルは穴の開いた左手で鍔近くの剣身を、人差し指のなくなった右手でコカビエルの腕を掴み、引き寄せる。
引き寄せたことで剣はより深くウリエルを貫き、勢いよく血が噴き出す。
「だからこそ……私は、主の力を預けられたのだ」
ウリエルとコカビエルの足元が輝き始める。
それは、ウリエルの血だった。
「貴様、まさか……!」
コカビエルは離れようとするも、足に黒い触手のようなものが巻き付いていて身動きが取れなかった。
「道連れだ!コカビエル!!」
輝いている血は大きな十字架を描いている。
その十字架を中心とするように空の雲が渦巻き、わずかに光を帯び始める。
それはおよそ、人間業ではない、神の領域の風景だった。
「裁きを!食らうがいい!!」
ルーシェムが前へと踏み込むのをクルトが肩を掴んで押さえる。
その脇を、リリウムが駆け抜ける。
ルーシェムはクルトの手を振り払い、リリウムの後を追う。それにあきらめたように追随し、先端に筒———擲弾発射器のついたライフルの引き金を引くクルト。
「死ね!!」
そして、空から火が堕ちる。
渦巻いた雲の中心から降り注ぐ、雷や噴火とはまた違う光の柱がコカビエルとウリエルの頭上目掛けて一直線に堕ちていく。
転瞬、山吹色の煙が二人を包む。
同時に、コカビエルの足元を這っていた触手が解けていく。
リリウムはコカビエルの腰を抱え、ルーシェムは持ち替えたナイフでウリエルの両手を切断し、三人が後ろに跳躍する。
光が、炎が、地面と接触する。
その瞬間、透明な熱波と衝撃波が空間を歪め、瓦礫と煙を撒き散らし、地を抉り、家を破壊してあらゆるものに火をつける。
リリウムとルーシェムに、少し遅くなってから追いついたクルトは三人を左腕で庇うようにして右手をまっすぐ伸ばす。
耐え難い熱と、飛んでくる石や木の小破片、腐卵臭に顔をしかめるクルトの右手に烙印された魔法陣が山吹色に光るかと思えば、細かな瓦礫から1mはある石畳だったものが四人の前を避けるように軌道が変わる。
それは熱気や衝撃波も変わらず、何やら摩訶不思議な力が彼らを守っているようにも見える。
「うぐ……」
クルトが苦しそうに声を漏らす。
クルトの掌の魔法陣はその光を失い始めている。それに呼応するかのようにクルトの意識が薄れ始め、徐々に通り抜ける風に硫黄の匂いと熱が帯び始める。
そして、その全てが数瞬の たった一度の跳躍で宙を舞っている出来事であったことを、リリウムは滅茶滅茶に引き裂かれ、混ぜこぜになった石畳だった道路に背中がついて、ようやく理解する。
気づけば、腐卵臭は滞留し、熱気も先ほどまでと比べれば幾分かマシにはなっている。
「……生きてるか?」
「……死んでるかも」
幼い少女の声がそう答える。
団子状態の4人は、鈍色の空と漂う火の粉をぼんやりと眺めていた。いや、自発的に見ていたわけではなく、息苦しく身体中の力が抜けてそうせざるを得なかった、と言う方が正しい。
リリウムはつい先ほどまでの戦闘になんとも言えない現実感を感じていた。
いやむしろ、ほんの数時間前までのリリウム・フォーラスとしての人生が夢のように思えた。
この足の痛みも、少しばかり火傷した左腕も、この肺の痛みも全てが現実でないと説明がつかない。
澱んだ空気がリリウムの思考を上書きする。
ウリエルはどうなったんだろうか、と言う思考ももはや腐卵臭に掻き消されている。
当のウリエルは、というと直径10mはあるであろうクレーターの中心に大理石の彫像のように不動で、しかし玄武岩の如く真っ黒に焼かれた人型とも言い難い何かとなって存在している。
もはや生きているとは言い難い。
しかし、そこに残る四人が見ているのは虚空であり、ウリエルの死骸を見るほどの体力が残っている者もいない。
リリウムは瞼が重くなるのを感じる。
出血によるものか、はたまた疲れからか、ともかく眠気に近いものをリリウムの脳は認識し、それに呼応して瞼がゆっくりと閉じていく。
果たして、その本能的な感覚にあらがえるわけもなくリリウムの意識はゆっくりと闇に落ちる。つい先ほどまでの戦闘はすべて夢だったかのように、いやそうだと願って。
「第四近衛天騎士団の攻勢により、西部第一戦線の兵站における主要な都市アンファングは居住区は約80%が崩壊、軍事施設はその全てが崩壊、或いはその機能を失っています」
国防軍情報部のラウレンツ准将が手元の資料をチラチラと見ながら薄暗い部屋で行われる軍事会議に出席した将官たちに説明している。
「つまるところ、何が言いたい」
国防軍作戦部のニコラウス中将が問う。
「つまり」
下手なことは言えない。
なぜならラウレンツ准将と長机を挟んで向かい合っているのは連合王国のトップである"彼"が座っているのだから。
「陥落、です」
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