Episode4 戦闘

 戦車砲が、歩兵の小火器が、固定砲台が火を噴く。

 そのどれもが、ウリエルにとっては致命的どころか痛いとも思わない攻撃であった。

That's about itその程度か, Lamp!!子羊ども!

 ウリエルはその手に握られた焔を纏う剣を、固定砲台が集中している南東側の防衛線に向ける。

 剣を纏う焔は一瞬大きくなり、瞬きもしないうちに膨張した焔は防衛線へと一直線へと伸び、接地した途端に爆発した。

「撤退だ!」「逃げろぉ!」「トラックを守れ!!」「衛生兵ェ!!」

 兵士たちは負傷し気絶した仲間を背負いながら、あるいは必死になって残った荷物をトラックに載せながら叫ぶ。

 一方、棒立ちになって英語で叫ぶその騎士を睨んでいたリリウムは、視線はそらさずにそのしわだらけの顔をしかめながら隣のクルトに問う。

「ウリエル……?あの四大天使の一人の……?」

「そうですよ!ここも危ないです、早くトラックに!」

 クルトはリリウムの腕を力いっぱい引くが、30年以上の兵役で鍛え上げられたその体を動かすことは叶わない。

 クルトに腕を引かれていることにすら気づいていないリリウムは、必死に昔の記憶を探っていた。

 教会のステンドグラスに描かれた天使と、リリウムの目の前にいる天使は。

 ———子供の時のシスターの聞かせてくれた話の中に天使が罪のない人を襲う話はあったか?

「そんな話ある訳ないだろ……」

 漏れ出た結論と同時にリリウムはクルトが腕を引いていることに気づき、クルトの肩を掴んで問いかける。

「なあ、何故天使が人を襲う?人は何故天使に攻撃する?どこにそんな理由が————」

 リリウムは、不自然に問いかけを中断する。

 ———ある。一つだけ、天使が不特定多数の人間を世界の調和以外で襲う話が。

 ヨハネ黙示録、16章。


Schlacht von最 終  Armageddon戦 争 ……?」


 その時、高射砲が二人の目の前で砲撃を開始し、その砲声が一時的に聴覚を麻痺させ、鼓膜の奥を刺すように刺激する。

 もはや、リリウムは目の前に広がる惨状を現実だと信じて疑わない。

「何が起こったかは知らんが、耳が痛いから夢ではなさそうだ」

「何を言ってるんですか!?とにかくここを離れましょう!」

 右耳を押さえながらクルトが叫ぶ。

「ああ、そうさせてもらおう」

 リリウムはそう言って、トラックに向かって走っていく。

 その視界の端に、スーツ姿の男が空を切り裂くように上昇するのをリリウムは捉える。



 ウリエルは視界の端に、一人の男を捉える。

 異常な強さの魔力に若干気圧されるウリエルだったが、次の瞬間には猟奇的な笑みをその顔に貼り付けていた。

「待ちわびたぞ!コカビエル!!」

 ウリエルがが叫ぶと同時に、雲を突き破って数十もの人影——コカビエル討伐のために集められた近衛天使たちが、流星の如く一直線にいつの間にか空中に現れていた黒い羽を広げるコカビエルに向かっていく。

 しかし、コカビエルはそれを恐れるどころか見ようともせず、ただ広げた右手を掲げたかと思えば、次の瞬間には半径20mはある真っ白な魔法円が空中に出現した。

 魔法円から伸びるどす黒い影をまとった蔓のようなものが、天使たちの甲冑を砕き、貫通して赤い血を撒き散らしながら弾け、爆散させていく。

 天使たちの甲高い、この世の終わりのような断末魔と共に魔法円は消え、いつの間にかコカビエルの手中には、銀色に鈍く光る細身の無骨な剣が握られていた。

「それはこっちのセリフだ!ウリエル!!シェムハザ様の仇はここで討つ!!」

「来い!!この時を2000年以上待ち続けたのだからな!!」

 二人が文字通り空を蹴って、肉薄する。

 そして、先ほどまでの二人の位置の中間ほどで剣をせめぎあって静止する。

 遅れて、硬い金属と金属が擦れた耳障りな大音響が、あたりの空気を満たす。

「どうした!私が唯一殺せなかった悪魔はこんなに弱いはずがないだろう!?」

「ほざけ、快楽殺人者が!!」

 ウリエルの剣を纏う焔が大きくなると同時に、コカビエルは何らかの力に押し飛ばされ、後ずさる。

 瞬間、ウリエルはコカビエルに向かって左手を突き出し、掌から獣のような炎が飛び出す。

 その炎の獣は一直線にコカビエルに向かっていき、その灼熱の牙を剝いてコカビエルを喰らわんとする。

 その炎の牙がコカビエルのスーツに触れようとした瞬間。

 炎の獣は黒煙と共に四散した。

 次の瞬間、黒煙を突き破って飛んできた一本の剣がウリエルの鎧の隙間を縫うように、右肩口に突き刺さる。

「……っ!」

 次いでウリエルに向かって飛んできたのはコカビエルの拳だった。

 コカビエルの拳は、突き立った剣の柄頭を叩き、ウリエルの右腕を持っていた剣ごと吹き飛ばす。

「貴様ぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ウリエルはなくなった右腕の傷口を抑えながら叫ぶ。

「死ねぇ!!ウリエル!!」

 コカビエルはウリエルの兜を左手でつかみ、右腕の袖口に潜ませた短剣をウリエルの左目に刺した。

 コカビエルは空を蹴り、ウリエルを石畳の道路に叩きつける。

 その衝撃でウリエルの甲冑はひび割れ、兜が砕け散って非常に整った色白の顔立ちが露わになる。

「……ぐ……ぁ……」

 虫の息のウリエルに、コカビエルは馬乗りになって容赦なくその整った顔面を無言で殴り始める。

 どのくらい続いただろうか、ひどく長い時間だった。

 歯は砕け、鼻は陥没し、顎が外れ、顔中血だらけになったウリエルの意識はもうないように思えた。

 人間ならどう考えても死ぬだろう。

「……クソ天使が」

 しかし、ウリエルの残った右目が開いた。

 そう思った瞬間には、ウリエルに馬乗りなっていたコカビエルは、またしても謎の力に引っ張られるようにそばの民家の壁へ吹き飛ばされる。

 その衝撃で民家がガラガラと音を立てて崩れ落ち、コカビエルはそれに巻き込まれた。

 ウリエルが無くなった左目を押さえながら立ち上がる。

「……このクソ悪魔が……!!」

 ウリエルが目を覆う左手をずらすと、そこには無くなったはずの左目があった。

 醜く、痛々しい顔も次の瞬間には元に戻っていた。

「ぐぁっ……」

 コカビエルが瓦礫の山から這い出る。

 ウリエルがコカビエルに近づき、その頭を左手で鷲掴みにする。

「長年、あの洪水の時に貴様を殺せなかったことを後悔していた。やはり貴様は殺すべきだった。主の命令に背いてでも!」

 ウリエルのむき出しになった顔が怒りで歪む。

 その怒りに呼応するように、右腕のあるべき場所に光の粒が集まる。

「貴様がいるから、貴様が生きているから!私は四番目なのだ!!」

 光の粒はウリエルの腕を形作るように結集し、ほんの少し淡く発光したかと思えば、次の瞬間にはウリエルの右腕がそこにあった。

「だが、今日。遂に同胞たちから後ろ指を指されることもなくなる。私の汚点コカビエルが消え去ってしまえばな!!」

 ぐったりとして、ウリエルのされるがままになっていたコカビエルの顔をウリエルは復活した右手で殴ろうとしたその時。

 乾いた銃声が、鈍く光る鉛の銃弾が、ウリエルの右目の数センチ上を貫いた。



 数瞬前、リリウムはクルトと共に幌付きのトラックに乗り込んだ。

 このトラックは荷物用なので、乗る人間はこの二人しかいない。

 積まれた荷の中に、「Waffen gegen Engel対天使用兵器」と書かれたリリウムの膝ほどまである木箱を横目に見ながら、コカビエルとウリエルの空中戦を眺めていた。

「あれはどっちが優勢なんだ?」

「どちらかと言えば、コカビエル様のほうが劣勢です。過去に一度敗れている相手ですから」

「……前に戦ったことがあるのか」

「有名な話じゃないですか、コカビエル様の逸話は」

 リリウムは怪訝な顔をしながらクルトに視線を移す。

「一言でいうと?」

「自分の師の仇がウリエルだということです」

 なるほどな、と納得しながらリリウムはその名の通り神話級の熾烈な戦いへと再び視線を移す。

 戦況が変わった。

 ウリエルの右手を吹き飛ばしたコカビエルがウリエルとともに地面に落ちていく。

 家の陰に隠れて見えなくなったが、ものすごい轟音だけがリリウムの鼓膜を震わす。

「決着ついたんじゃないか?」

「……どうでしょう」

「というか、加勢に行かないのか?」

 ふと、単純に疑問を覚える。

「……そうですね。行っても足手まといですし、私たちの脱出の時間稼ぎのために戦ってるわけですし」

 クルトは一つ、悲哀そうな顔とともにため息をつく。

「コカビエル様の、玉砕の覚悟を踏みにじるわけにもいきませんから」

 リリウムは絶句する。

 コカビエルは玉砕———死ぬつもりだと。

「マジか」

「マジです」

 目を細めてリリウムは言う。

「聞いてた話じゃ、悪魔が人を助けることはないらしいが……どうやら間違いだったようだな」

 リリウムは足元の”試作対天使用兵器”と蓋に書かれた木箱を開ける。

 中身はクリップピンに5発ずつ纏められた7.92×59mm弾に見えるが、弾頭は先端の被甲がなく、薄く紫に光をはじいている。

 そばに置いておいた借り物のボルトアクションライフルを取り、セーフティを押し倒してからボルトを引き、木箱からつかみ取った一組の銃弾を弾倉に叩き込む。

 ボルトを押し戻すと、薬室の後端に残ったクリップがイジェクトされて、どこかに飛んでいく。

「何を……」

「俺はな、こんな歳のおっさんだが、返せない借りを作るのは嫌いなんだ」

「………………」

 リリウムは沈黙するクルトをよそに、無造作に木箱から片手で取れるだけの銃弾を掴み、ポケットにそれらを入れようとした。

「……?」

 そこでリリウムは気づく。

 服にポケットがない。

 いや、正確に言えば任務中に着ていた黒いボディーアーマーにはあるはずのポケットがそこにはない。

 自分の体を見やると、グリーンカモ迷彩シンプルな軍服には胸ポケットが二つだけついているだけで、作戦任務中の格好とは似ても似つかない。

「……逆になんで今まで気づかなかったんだろうな」

 そんなことをリリウムが呟くと、いつの間にかトラックの荷台の段ボールを漁っていたクルトがカーキ色のジャケットと黒光りする筒———1.5倍スコープを投げ渡してくる。

「四大天使相手にその装備じゃ自殺行為です」

「……止めないんだな」

 リリウムは渡されたジャケットに袖を通しながら、別の木箱からライフル弾を取るクルトに問う。

「助けたいのは、私も同じですから」

 クルトは自身のライフルの銃口に筒のようなものをはめる。

「行きましょう、何ができるかは知りませんが」


 コカビエルとウリエルの墜落地点近くの家屋の二階。

 二人がはっきりと見える位置に陣取ったリリウムは、割れた窓からライフルの銃口をのぞかせている。

「コカビエルが優勢に見えるがな」

 ウリエルは道路の上でぐったりと倒れ、それに馬乗りになってコカビエルはウリエルの顔を殴り続けている。

 この角度と距離では表情までは見えないが、何か言葉を発する様子もなく、ただ一心不乱に拳を振るっている。

「…………ん?」

 その時、コカビエルの振り下ろす拳がピタリと止まった。

 何かあるな、とリリウムの勘が告げる。

 そう思った直後、コカビエルが吹き飛ばされ、衝突した民家がガラガラと崩れる。

「……馬鹿な……」

 それと同時にあんなにボコボコに打ちのめされたウリエルが立ち上がった。

 一方で、コカビエルに立ち上がる気配はない。

 リリウムは1.5倍スコープを覗く。

「当たるかどうかは、神次第ってところか?」

 ゼロインポイントは勘を頼りに設定してあるので、当たるかはわからない。

 狙い時は、ウリエルが静止する瞬間だ。

 ピクリとも動かないコカビエルに、ウリエルが近づいてコカビエルの頭を掴む。

 リリウムはゆっくりと息を吸う。

 リリウムの位置からは、若干道が手前に引っ張るようにカーブしているので、ウリエルを右斜め前から見るような角度だ。

 1.5倍スコープの十字線の交点にウリエルの顔を重ねる。

 距離は30m、風は無く、見下ろすような角度。

 ゼロインポイント正しければ、中心に捉えれば当たる。

 ウリエルは燐光を纏った右手を振りかざす、コカビエルを殴るのであろうフォームだ。

 その掲げた右手に照準線の交点を合わせる。


 リリウムはゆっくりと息を吐き、引き金に人差し指をかけ。

「当たれ」

 力強く、その指を絞る。


 撃針が薬莢の尾部にある雷管を叩く。

 発射ガスが、底面に魔円陣が描かれた弾頭を加速させ、銃口から放たれた弾頭は音速を超え、ウリエルの右目の数センチ上に着弾、弾頭先端の鉛が潰れて中身の弾芯がウリエルの脳内を直進する。

 半ばに差し掛かったところで鈍い輝きを見せる弾芯が炸裂する。

 その爆発はウリエルの右側頭部を破裂させ、細かな肉片に変えてようやく勢いを止める。

 頭部のおよそ4分の1が弾け飛び、焼け爛れた断面から赤黒い血と焦げた肉を撒き散らしながらウリエルは倒れ、弧を描いて地面に落ちた。

「ふぅ……」

 狙っていた場所とは違うが、結果的には成功した狙撃の緊張を解すように、ボルトをコッキングすると同時にリリウムはため息を吐く。

 それと同時に、道端に積まれた土嚢の陰からクルトが飛び出し、コカビエルは瓦礫から完全に這い出る。

「中将!」

「来るな!少尉!」

 コカビエルが立ち上がりながら叫ぶ。

 スコープの側面についたレティクル調整ネジを回して中心を合わせていたリリウムにもその声は届く。

 銃口をウリエルにもう一度向け、スコープを覗くリリウムは信じられない光景を目にした。


 ウリエルが起き上がった。


 コカビエルは上半身を起こしたウリエルに向かって走り、心臓に右袖口のナイフを突き立てた。

「……っ!」

 正確に言えば、突き立て

 頭部は一部がなくなっているが、残った左眼は見開いて迸る怒りを奥に光らせている。

 ウリエルは無言のままコカビエルの右腕を左手でつかみ、爪はおろか、さらには指の第一関節までもを食い込ませる。

 コカビエルの右腕は緋く光り始め、それを見たコカビエルは左の掌中に燐光とともに現れた短剣で自分自身の肩から先の右腕を切り落とす。

 次の瞬間、コカビエルの切り離された右腕が爆発する。

 爆発の衝撃で数メートル吹き飛ばされたコカビエルは、黒い血液の流れる右肩を押さえながら立ち上がる。

「狂ってるな……」

「中将!怪我は……っ!」

 クルトが駆け寄ってコカビエルの身を案じるが、コカビエル自身の惨状を見て息を呑む。

「見ての通りだ。直接魔力を送り込んでくるとは思わなかったが、死んではいない。安心しろ」

 黒い血はいつの間にか止まっており、クルトは胸を撫で下ろす。

 その時、二人の間を小さな影が通り過ぎた。

「……!?」

「ルーシェム!」

 それはサブマシンガンを携えたルーシェムだった。

 

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