Episode3 ウリエル

 地獄絵図。

 その言葉は、この街の景色を的確に表している。

 様々なところから悲鳴と炎が溢れ、崩れた建物だった物の裏に隠れた兵士が錯乱しながらマシンガンを撃ちまくり、銃身過熱によりバレルが半ばから溶け落ちてもそれに気づかず空を撃ちまくる。

 無造作に放たれた銃弾は、空を裂きながら進み、やがて運動エネルギーを使い果たして重力に引かれて堕ちていく。

 そして、錯乱した兵士は突如として発生した光球に飲まれて跡形もなく爆発四散する。

 その細かい肉片と瓦礫の欠片で覆われたぼろぼろの道路の上を四つの影が蠢いていた。

 その人影はリリウムとセウム、クルト、コカビエルの四人のものだ。

「隠れろ」

 コカビエルは静かに、素早くほかの三人に伝える。

 リリウムとセウムは屋根と二階の床を穿つ大穴が空き、窓ガラスとドアが細かな破片となって散らばっている民家の中に入る。

 クルトとコカビエルは道路の上に出来上がった瓦礫の山の陰に移動する。

 その四人の頭上、地面からの距離がおよそ5mほどのところを、琥珀色の甲冑に身を包み、十字架の描かれた盾と長さが2mほどありそうな大剣をそれぞれ別の手で持ち、白い翼を持つ人型のが三つ、通り過ぎて行った。

 人型の何かが通り過ぎて行ったのをコカビエルは確認してから立ち上がる。

「……ウリエルはいないか」

 寂しそうに、あるいは今にも爆発しそうな思いを抑えるようにコカビエルは呟く。

「まあ、いたら即刻この街の半分が吹っ飛んでますよ。北側の臨時司令部まであと2㎞程です、頑張りましょう」

 クルトがそんなことを言う。

 そして、再び四人がひび割れた石畳の道を姿勢を低くして歩き出す。



『報告します!』

 無線機からノイズ交じりの声が流れる。

『上位悪魔を発見!コードネーム”Vierteフィアター”と推定!』

「コカビエルが!?」

 ウリエルがデスクを叩いて立ち上がる。

 それは驚愕ではなく、恍惚の表情を浮かべながら放たれた言葉だ。

「……即応隊が残っているな?」

 少し考えるそぶりを見せたウリエルは隣の天使に聞く。

「ええ、残っています。ですが司令部付きの部隊なのでここの防衛ができなくなりま……」

 色々と察した司令官補佐の天使の言葉を遮って、ウリエルは続ける。

「どうせサタニズムの連中には、ここを攻撃できる余力も方法もないだろう。人間の敗残兵を捻り潰す程度、君一人でもできるだろう?」

「まあ、そうですが……」

 ウリエルの問いに、タジタジに肯定する天使の肩を彼は力強く叩く。

「決まりだ。指揮権は君に移譲する」

「は、はい。わかりました」

 ウリエルは司令部テント中のすべてに聞こえるように声を張り上げる。

「これより、私が率いて司令部付き小隊を”フィアター”撃破のための特別任務小隊とする!」

「「「ハッ!」」」

 テント中の天使全員がウリエルに敬礼をする。

 そして、その命令に従い様々なところへと無線連絡を入れる司令部補助員の天使を背に軍靴を鳴らしながらウリエルはテントを去って行く。


 ウリエルの体は、足元から光に包まれていく。


 まるで蛇が蠢くような速度でウリエルの体に光が張り付いていく。


 その光はゆっくりとウリエルの体を這い上がっていく。


 やがてウリエルの全身を光が包み込むと、一気にその光は四散する。


 すると、ウリエルのその体は琥珀色の甲冑に包まれていた。

「待っていろ、コカビエル死に損ない

 兜で見えないその顔には、狂気に満ちた笑みが張り付いていた。




「88mm砲弾は残ってないか!」「アントン、会敵!ドーラ、市民ホール前に支援へ!」「第八小隊より、クララ通りに敵戦力の集中が報告されました!」

 砲兵の怒号が、指揮官の指示が、偵察兵の叫びが臨時司令部のテント内に飛び交う。

 全員が、生き延びるために必死に働いている。

「撤退準備はまだ終わらないのか!」

 そんな中で大量の無線機、野戦電話で大きなデスクが埋まった中央の席についたコカビエルが大声で左側にいる指揮官に聞く。

「民間人の危険区域離脱が残り8分ほどで終わります!それまでは我々は動けません!」

 その指揮官もまた大声で返す。

 返ってきた答えにコカビエルは爪を噛む。

 そんな、熱気で満ちたテントに一人の兵士が入ってくる。

 入ってきた兵士は、大尉を示す国章である逆五芒星が描かれたワッペンを軍服の左肩につけている。

「現在、ここから距離1200m、真南の位置に7000を超える魔力を確認しました!既に視認できる距離で、先頭の天使は琥珀色の甲冑を纏っています!速力は20、600秒後には到達します!」

 テント内が一瞬、凍り付く。

 最も早く、その硬直から解かれたのはコカビエルだった。

「ウリエルだ!ありったけのスモークを焚かせて全戦車を後退させろ!」

 テント内の全員がその一言をきっかけに再び動き出す。

「「了解!!」」

 そして、全員が声をそろえて返事をする。

「戦車を囮に88mmの間合いに無理やり引き込んで一気に叩け。なるべく一発で堕とすんだ。終わったらウリエル戦に全火力を集中させろ」

 再び、コカビエルは爪を噛む。

 今度は何かに悩む顔ではなく、ただ怒りに、復讐に燃える男の顔をしていた。


 一方で、リリウムは今の状況に若干の不満があった。

「一体なんで、こんなことをやっているんだ……」

 リリウムは幌付きの軍用トラックに様々な物資が入った木箱や段ボールを積む作業を行っていた。

 別にその作業自体は大した苦ではない。

────仲間に裏切られて、撃たれて、気づいたら森にいて、そうしたら空を飛ぶ何かに攻撃されて、わけのわからない単語が飛び交い、トラックに荷物を載せる作業をしている。

 頭の中でリリウムは今まで起きたことをまとめる。

 そして、結論を出す。

「わからないな」

「どうしました?」

 リリウムの隣で同じ作業をしているクルトが声をかける。

「いや、ただの独り言さ」

 クルトにそう答えながらもリリウムの手は止まっていなかった。

 問うたクルトの手も止まっていなかった。

 手が止まっていたのは、そばにいただけで一言も発していないルーシェムだった。

 むくれながら地べたに座り込み、持っているサブマシンガンのマガジンを外し、意味も無くボルトを開閉させてガチャガチャ鳴らせている。

「……ルーシェム。背が低くて積み込み作業ができないのはしょうがないけどさすがにそこは邪魔だよ?」

「……………………」

 ルーシェムは答えず、サブマシンガンにマガジンを差し込み初弾を装填する。

 その様子にクルトは、対話することを諦めた。

 実際に、トラックの荷台は地上との高さが120cm程あり、そこに数キログラムある木箱、あるいは段ボールを積み込むので、身長140cm後半のルーシェムはもちろんのこと、大の男でもかなり難しい作業になっている。

 やれやれ、と言わんばかりにクルトはため息をつく。

「いつもあんな感じなのか?」

「ええ、自分にできないことがあるとふてくされるんですよ」

「それは大変だな」

「本当に。3年前に同時に従軍してからずっとあんなですよ」

「一応聞くが、血は繋がってるのか?」

「そうだとしたら、私はもっと血の気の引いた顔をしてますよ」

 声を出してリリウムは笑う。

 そこまで話し終えると、乗せる荷物はなくなったようだった。

「終わったよ、ルーシェム。だからそろそろ機嫌を直してよ」

「…………わかった」

 ルーシェムは立ち上がり、不機嫌そうに答える。

「そう不貞腐れてやるな、嬢ちゃん。兄貴が困ってるぞ?」

「兄弟じゃないよ!」

「絵に描いたような兄妹の図だが?」

「だからっ!」

 ルーシェムが叫ぶ。

 それと同時に。

「警戒!!警戒!!」

 誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 トラックが十数台置いてある広場にいる全員がその声の主に注目する。

「ウリエルだ!ウリエルが来たぞ!!」

 広場が騒然とし、同時に沈黙が訪れた。

「もうおしまいだ。全部全部」

 そんな誰かの言葉を皮切りに、誰も彼もが、すべてを諦めた。

「ああ……、娘の6歳の誕生日までは生き残るって決めてたのにな」

「畜生……。あいつにもっと手紙を書いとくべきだった」

「全部無駄だったんだ」

「死にたくない」

「糞が」

「やだ」

 迫る危機に何も出来ない鬱憤を晴らすために。

 受け止めきれない現実を割り切るために。

 その渦は、リリウム達のところまで届く。

 クルトも、ルーシェムもそれに対して何かを感じたような風はなかった。

 二人とも、醒めた目で広場を眺めている。

 だが、リリウムだけは違った。

 リリウムの口から気管に、肺に空気が流れ。

「落ち着けぇ!!!!」

 広場全体の空気を揺らし、罵倒と諦めと後悔の混じった文言を口にする屈強な軍人たちを黙らせる。

 リリウムの声だった。

 リリウムの両脇に立つクルトとルーシェムがリリウムを驚いたように見る。

 それは、広場に集まった軍人たちも同じだった。

「ここで泣き言を言って何になる!?やれることすべてをやってから後悔しろ!ウリエルだか何だか知らんが、等しく敵だ!お前らは敵兵の目の前で膝をついて死を待つのか!?」

 リリウムの声は、広場の軍人達をはっとさせる。

 皆が、恐怖のあまりまともな思考ができていなかったことに気が付く。

「その通りだ!」

「何ビビってたんだろうな……?」

「分隊長の仇を討つチャンスが来たんだ!」

 広場が先ほどと打って変わって、熱気で満ちる。

 そんな広場の端にある指令テントの入り口が開き、中からスーツ姿の男————コカビエルが姿を現す。

「こいつは……すごい騒ぎだな……」

 コカビエルは熱気に圧倒されつつ、呟く。

 広場中で、再び様々な事務的な叫びが溢れる。

「ここまで、人の心を揺り動かす力があるとは……あの方にそっくりだな……」

 コカビエルの独り言は誰かの耳に入ることはなかった。




 リリウムは渡されたライフルのボルトを引き、薬室に次弾を送り込む。

「クソが!」

 毒づきながら照星に、リリウムめがけて飛んでくる白い甲冑を身にまとった背に純白の翼を生やした騎士の頭を重ね、引き金を引く。

 若干長いトリガーストロークに、リリウムはもどかしく感じる。

 トリガーを引き切ると、シアが外れたことで自由になった撃針が薬莢後部の雷管をたたく。

 雷管が爆発すると同時に薬莢内の火薬が燃焼し、化学反応で昇華した火薬の体積が急増したことでフルメタルジャケットの弾頭を加速させ、100℃を超える発射ガスとともに宙に放たれる。

 音速を超えた12グラムの金属の塊は、200mは離れている宙に浮いた白い騎士に向かって一秒かからずに飛翔して行き————かぁん、という軽い金属音をたて、甲冑に容易くはじかれた。

 傷がついた様子もなければ、その騎士が衝撃で軽い脳震盪になった様子もない。

「高射砲の準備はまだか!?」

 リリウムの隣にいるクルトが自分のライフルにクリップピンについた7.92×59mm弾を叩き込みながら叫ぶ。

「こっちだって死ぬ気でやってるんだ!もうちょっと待ちやがれ!」

 砲兵もまた、クルトに叫び返す。

 広場の南西側の入り口に土嚢を積み上げ、88mm高射砲や重機関銃で飛んでくる白い騎士から広場を死守するこの前線は既に崩壊寸前であった。

 白い騎士は重機関銃の弾幕を、88mm砲弾を、歩兵の持つ小火器の銃弾をひらりと避けながら自家用車ほどの速さで迫ってくる。

「準備完了!砲弾をくれ!」

 88mm砲を叩きながら砲兵が叫ぶ。

 すでに白い騎士は100mほどまで近づいていた。

「急げ!来るぞ!」

「わかってる!」

 リリウムは視線を騎士から外さずに叫び、もう一度トリガーを引く。

 やはり、7.92mm弾は甲冑にはじかれ、騎士はその速度を緩めることはない。

 それどころか、何もない空間にだんだんと光が集まって刃渡り150cm、幅30cmはある大剣が実体化し、騎士の右手に握られる。

 砲兵が弾薬装填トレーに”88mm ME弾”と薬莢の側面に書かれた砲弾を滑り込ませると、鎖栓が自動的にスライドする。

「よし!もう撃て……」

 その瞬間、純白の大剣が音も無く砲兵の首元に吸い込まれ、鮮血を撒き散らしながら大剣は石畳の道路に刺さる。

 リリウムは崩れる砲兵の身体を反射的に抱きかかえた。

「…………もう無理だな」

 諦めたように言うリリウムの腕の中には首から上の無い砲兵の死体があった。

 純白の騎士は空中で静止している。

 そして、先程投げて砲兵の命を刈り取った大剣に向けて手を広げる。

 それに気づいたクルトは、リリウムに向かって叫ぶ。

「離れて!」

 リリウムはクルトの言葉に反応して、砲兵の死体を置いて足で地を蹴る。

 砲兵の死体の上を、突き立っていたはずの白い大剣が高速で通り過ぎ、少しの滑空を経て騎士の広げた右手に収まる。

 騎士が空いている左手を天に掲げると、掌の上20cm程だろうか、空中に直径2mはある深紅の光る円が浮かび上がり、少しずつ大きくなっていく。

 それに気づいた周りの軍人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「……くそっ!」

 クルトは毒づきながら高射砲に近づく。

 その間も紅い円は膨張を続け、リリウムは直感的に危険を感じ、手元のライフルを再び発砲。

 しかし先ほどまでと同様に、銃弾は甲冑に弾かれ、紅い円は広がり続けていき、その大きさが3m程になろうかというその瞬間。

 天使は爆発音とともに黒煙に包まれる。

 それと同時に紅い円陣は消え、騎士は糸が切れたように地に堕ちる。

 その甲冑は先ほどまで傷一つ付かずに7.92mm弾を弾いていたものとは考えられないほどの穴が開いていた。


「間に合ったぁ……」

 クルトはぼやく。

 薬莢を自動的に排出する高射砲のトリガーから手を放し、空いた装薬トレーにそばに転がっていた88mm ME弾を拾い上げて入れる。

 砲身が描かれ、”Artillerie砲兵”と記されたワッペンを左肩につけたクルトはその場に座り込んでしまう。

「久々だったけど、当たってよかった……」

 誰に言うわけでもなく再びぼやくクルトのそばに、リリウムは近寄っていた。

「……よく当てられたもんだ。砲兵科を出たのか?」

「ええ。今の戦争で最も有用性が示されてる兵科ですから」

 リリウムが差し出した手を掴み、立ち上がりながらクルトは答える。

「ところで、2、3個聞きたいことがあるんだが、1つだけ聞く。あの甲冑は何で出来てる?」

「むしろ私が聞きたいですよ」

 転瞬、広場中央の指令テントが吹き飛ぶ。

「ウリエルだ!!」

 クルトが空を見て叫ぶ。

 リリウムがその視線を追うと、そこには琥珀色の甲冑に身を包み、焔に包まれた剣を持った騎士がいた。

「……神の焔ウリエル……?」

 幼少期を過ごした教会のステンドグラスに描かれたあの天使と似通った雰囲気を醸し出す、口の端を不気味に歪ませる白い羽を広げた30代ほどに見える男。


 リリウム・フォーラスは悟る。

 ”俺は、別の世界に飛ばされてしまったのかもしれない”、と。

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