因縁

Chapter1 目覚め

Episode1 目覚め

 焦げ臭いような、度数の高い酒のような匂いが彼の鼻を刺激する。

 ここは、地獄か?なんて問いは無駄だということは理解している筈だ。

 死後の世界というわけではなさそうだ、と彼はしっかりと理解する。

 彼は、重い瞼を開ける。

 体感、つい先ほどまで被っていたはずのヘルメットは無く、スタングレネードのフラッシュを間近で見たように、彼の視界はホワイトアウトし、耐えきれずリリウムは眼を細める。

 真っ白な景色からだんだんと彼の視界が色を取り戻していく。

 彼が夢見た、雲の上でも地の底でもなく、枯れた森の中、灰色の雲が彼を見下ろしている。

「ここは……?」

 ふと、呟いた彼の口から灼けた大気が肺に入り、リリウムは思い切り咳き込んでしまう。

 大気の汚染が酷いことに、リリウムは天国でも地獄でもないことを再認識する。

 体も自由に動かないリリウムはゆっくりと呼吸をし、焦げた空気に肺を慣らしていく。




 ”トート森林”と呼ばれる森の中。

 枯れた木々の間を縫うように進む二つの人影がある。

「まったくさぁ」

 カーキ色のフィールドジャケットに身を包み、オープンボルト式のサブマシンガンを持った15歳程の少女が隣にいる同じ軍服を着た20歳程で何かの機械とボルトアクションライフルを背負った細身で長身の男にぼやく。

「いくら暇だからって機密部隊の私たちに雑用やらせるっておかしくない?」

「まあ、一度も出番がないまま消えそうな部隊だから。そうむくれるなよ、ルーシェム。それに大きめの魔力感知は潜在魔力の高い人材が見つかるかもしれないから見過ごせないよ」

 ルーシェムと呼ばれた少女はむ〜、と可愛らしく頬を膨らませる。

「クルトもそんなこと言ったてさ〜、うちの部隊が創設されてから3か月も経ってるんだし、そろそろこの森に歩きで通うのも止めにしたいんじゃないの?」

 クルトと呼ばれた青年は頬を掻きながら苦笑いする。

「確かにそうなんだけどさ……あ、反応あった。2時の方向」

「はいはい。飛ぶほうが早いんだけどな」

「文句言わない。ただでさえこの森は空間魔素量が桁違いなんだから。魔力切れを起こした瞬間に潰れて死ぬよ?」

「わかってるって。ちょっと愚痴が言いたかっただけだよ」

「なら、いいんだけどね」

 ふと気づいたかのように、クルトは手元の背負った機械から伸びるメーターに目を向ける。

 次の瞬間、クルトは目を丸くした。

「……ちょっと待って、この数値はさすがに……」

 “感知魔力強度”と書かれたメーターの針はクルトが見たことのない数値を指している。

「どうしたの?」

「数値が異常なほど高い。はぐれだとしても天使が前線を単独で越えてくるわけないし、歩哨用S魔素量F探知機Sが壊れたのかな」

 クルトは少し考えるそぶりを見せる。

 少しばかり長い黙考にルーシェムは耐えかねたかのように口を開く。

「とりあえず行ってみようよ」

「そうだね。でも即応できるようにしておこう」

 クルトは左手の魔力メーターを仕舞い、右肩にかけていたライフル──木製ストックの側面に書かれた銃の名称は”IR=8”──のボルトを引き、初弾を装填する。

 それと同時にルーシェムは持っていたオープンボルトサブマシンガン──金属製グリップに刻印された銃の名称は”MP354”──のセーフティを外す。

 そして彼らは歩き出す。

 リリウムの元へ。




 リリウムは未だに状況の理解も体の自由を取り戻すこともできていない。

 彼は仰向けの状態からなんとか動き、近くの木に背を預けている。

 そして、乱れた息を整えながらどうにか動く喉を震わせる。

「誰か、いないか?」

 助けを呼んだ。

 リリウムの淡い期待は儚く周りの空気に散らされる。

 一つ、リリウムはため息を吐く。

 肺を痛めないように鼻でゆっくりと息を吸ったその時。

「……!」

 嗅ぎ慣れた匂いがリリウムの鼻を刺激する。

 硝煙の匂い。

 次いで、リリウムが気づいたのは近づいてくる足音。

「声はこっちからした!」

 聞き馴染みのある、ドイツ語。

 どこか、懐かしさを感じる少女の声だった。

 木陰から姿を現したのは、リリウムから見れば随分と古い型のライフルを持った青年クルトと、こちらも随分と古い型のサブマシンガンを持った少女ルーシェム。

「……っ!」

 ルーシェムは見慣れないグリーンカモ迷彩が施された軍服に身を包むリリウムに銃口を向け、サブマシンガンの引き金に指をかける。

「待った!」

 それをクルトはライフルを支えていた左手をルーシェムの方へまっすぐと伸ばし制止させる。

 リリウムは命の危機が迫っている目の前の自分より随分と若い二人のやり取りを眉一つ動かさず見つめている。

「あなたは、誰だ?」

 クルトがリリウムに問う。

「俺の名は、リリウム。リリウム・フォーラスだ」

 クルトは少し驚く。

 連邦人らしくないその暗い茶髪、狼のような琥珀色の瞳、座っているので詳しくはわからないが、恐らくそれなりに身長の高いクルトよりも高い背丈。

「帝国でも連邦でも聞かない名だな」

 クルトは目の前に倒れる初老の男に訝しげな顔を向ける。

「一つ、聞く。あなたは帝国人か?」

 リリウムは首を傾げる。

 ────帝国とはなんだ?そもそもこの二人が持っているのは一次大戦や二次大戦の時に使われていたような武器じゃないか。しかも、二人が来ているのは多少の差異はあれどずいぶん昔のドイツ軍服だ。いったい此処は何処だ?俺は夢でも見ているのか?

 次々と湧き出てくる疑問に答えを出せないまま、口を開く。

「あー、君たちの言う帝国がなんなのか俺にはわからん。俺は気付いたらこの場所にいたんだ」

「何ふざけたこと言ってるの!?」

 噛み付くようにルーシェムは叫ぶ。

「待って、ルーシェム。えーと、リリウム。あなたは帝国がなんなのかわからないっていってるのか。ならどこの出身だ?」

 ルーシェムをなだめ、落ち着いた口調でクルトはリリウムに次の質問をする。

「ドイツ。ドイツ連邦共和国だ。俺はそこで軍に入ってた」

「ドイツ……、聞いたことのない国名だな」

 少し、考えるそぶりを見せるクルトは内心、恐ろしく焦っていた。

 見たことのない軍服、聞いたことのない国名、連邦でも聞いたことのない名前、しかも空間魔素量がその名の通りに桁違いのこの森で無事な人間。

 その全てが、焦るには十分な要素だ。

 そして、クルトの脳内を最悪の選択肢がよぎる。

「あなたは、人間……だよな?」

「……?ああ、そりゃそうだろうな……」

 ほんの少しクルトは嘆息するがこのリリウムという男が嘘をついている可能性も否定できない。

「ルーシェム。少しの間、頼んだよ」

「わかった」


 クルトはリリウムに背を向け、左肩に装着していた無線機を右手で掴み、通話状態にする。

「HQ、こちらツワァーク3。身元不明の男を発見した。武装はしていないが、こちらも所属不明の軍服を着ている。言葉は通じるようだ」

『こちらHQ、了解。魔力係数は?』

 左耳のイヤホンを通しての質問に答えるべきか一瞬クルトは迷ってから口を開く。

「あー……、893.7だ」

『はっぴゃ……!?』

 どうやら飲んでいた何かを吹き出したらしい。

 相当焦っている様子がマイク越しでもクルトの目に映し出される。

『ゲホッゲホッ』

「大丈夫か?ファートロン」

 司令室にいるはずの友人に苦笑いを噛み殺しながらクルトは声をかける。

『ああ、大丈夫だ、とでも言うと思ってんのか?冗談だろう?冗談だって言ってくれ』

「残念ながら」

『ああ、クソ。敵対してるか?』

「協力的に見えるよ。少なくとも顔は帝国系のものではないと思う」

『そうか、なら良かった。鹵獲は?』

 友人の声が冷酷な軍人のものへと変わる。

「保護、だ」

 クルトの声に怒気が含まれる。

「彼の身元は不明だしさっきも言った通り顔は帝国系じゃない。出来損ないの爆弾じゃない」

『わかったわかった。だが、俺はお前より階級が上だ』

 クルトは舌打ちを我慢する。

「知っている。とりあえずこの男は保護する」

 マイクの向こうでファートロンがカラカラと笑う声がクルトの顔をしかめさせる。

『冗談さ。そう怒んなって。そうだな、連れて帰ってきてくれ』

 クルトは一つため息をする。

「わかったよ」

 通信機の送信ボタンを離し、クルトは後ろを振り返る。

「ルーシェム、その人を連れて帰ろう……って」

 クルトの目に映ったのは、ルーシェムがなぜか頭の上に落ち葉が数枚ついたリリウムの頬を引っ張って遊んでいる光景だった。

「何やってんの?」

「ちょっとやってみたくて」

 一体、何をしたらこの一瞬でこうなるのだろうかとクルトは心の中でため息をつく。

「ひょっとこいひゅをぢょうにひゃしひぇくれにゃいひゃ」

 リリウムが訳の分からない言語を発する。

 きっと、“ちょっとこいつをどうにかしてくれないか”と言っているのであろう。

「全く……初対面でここまで出来るとはすごいよ、尊敬する」

「クルト、感情こもってない」

 ルーシェムが短時間でここまで信用する、ということはやっぱり悪い人───人かどうかはまだわからないが───ではないかもしれない。

 そんな結論を胸中で出しながらクルトは笑う。

 リリウムもまた、同様にこの二人を信用していた。

 黙っていたら突如として頭の上に落ち葉を置かれたり頬を引っ張られたりしたが、物腰は柔らかく互いを信頼し合っている様を見せられればこちらも信用せざるをえないだろう、と言い訳みたいな思考故にリリウムはルーシェムのされるがままになっているのだった。




「遂に、パーツが揃った」

 アルビトロ連邦王国の首都、”ファーキンボン”の中央に位置する王城、その最も奥にある玉座の間に二人の男が話をしていた。

 そのうち、ワインを片手に玉座に座る60歳ほどに見える白髪混じりの黒髪の男は嘆息を漏らす。

「7年前も惜しいところまで行ったが、今回はどうだかな」

 玉座の目前に立つ30歳ほどに見える茶髪の男がもううんざりだというような顔で言う。

「そう言うな、サマエル。今回は発生した魔力がこの距離でも感じるんだ」

 サマエルと呼ばれた男はため息まじりに言う。

「お前もいい加減諦めたらどうだ。他に方法なんていくらでもあるだろう」

 玉座に座った男は首を振りながら答える。

「いいや、黙示録の呪縛から解放されなければならないんだ。そうなったら、ヨハネや魚の連中が知り得なかった、歴史から抹消された者でなければならない」

 そうか、とサマエルは肩をすくめる。

「まあ、自分の身を滅ぼさないようにしてくれ。俺が言えるのはそれだけさ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 サマエルは玉座の男に背を見せ、扉へと向かう。

「それじゃ、迎えを用意させてくる」

 玉座の男にそちらを見ずに軽く左手を振って、サマエルは玉座の間の扉に手をかける。

「飲み過ぎるなよ、ルシファー」

 ルシファーは苦笑いしながら答える。

「わかってるさ。行って来い」

 サマエルが玉座の間を出て行き、静寂が訪れる。

 ルシファーはグラスに残ったワインを一気に飲み干す。

 そして、独りぼっちの玉座の間に誰にも聞こえない声量で喉を震わせるのだ。


 ────お前の仇を取るぞ、███────

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