【U①-6】ふきょうわおん
ケイちゃん家で『歌ってみた』の録音に夢中になっちゃって、帰りが遅くなってしまった。
いつもそうなんだけど、二人でいられる時間が僕にとってはすごく楽しくて、嬉しくて、本当にかけがえのない時間なものだから、家に帰るときは自然と足取りが重くなる。
それは、ケイちゃんともっと一緒にいたいからというよりは……、いや、ずっと一緒にいれたらいいとはいつも思っているけど。それよりは、僕と両親との関係に理由があると思う。
「……………………」
いつもどおり、なにも言わずに玄関を開ける。忍者みたいに音を立てずに、フローリングを慎重に靴下で踏んで二階の自分の部屋へと向かった。
「ずいぶん遅いな」
階段の途中で、父親に後ろから呼び止められた。やめてほしい。足を踏み外しそうになった。
無視して階段を昇ろうとした僕に、彼が続ける。
「こんな時間まで女の子が夜道を歩いたら危ないだろう。……勉強はどうなんだ?せっかく進学校に通ってるのに、こんな遅くまで遊んでいたら成績が下がるんじゃないのか?」
「関係ないだろ」
いま背中の声はわざと僕を女の子扱いした。本当に、我が親ながら呆れてしまう。
構わずに音をたてて階段を昇りきる。ウザい。なんなんだよ、急に。いつもは……、僕が男なんだって言ったあとは特に、腫れ物を触るように扱ってるくせに。イライラする。扱いが分からないなら、分かってから声をかけてほしい。分からないと失敗するだけだって、そう思わないのだろうか。
「おい……、待ちなさ……」
待つものかよ。ドアノブを乱暴に開けて、大きな音をたててドアを閉める。部屋に入ってカギをかけた。すぐに階段を昇る音がして、気配がドアノブの向こうまで来た。
「女の子だから、思春期の難しい時期なのはお父さんも分かる。しかし、その態度はないだろう?」
0点。
0点だ。
さっきからそうだ。絶対にわざと、女の子って言葉を強調してる。そうに違いない。二回目ともなると瞬間的に頭に血が上る。
この人は、なにも分かってない。カミングアウトからずっと。すごく……、ものすごく勇気を振り絞って伝えたのに。なんにも理解なんてしてもらえなかったんだ。お母さんだって、お父さんがこんなに感情的になって僕の扱いに困ってるっていうのに、僕のことを無視し続けている。僕は彼女が作るエサを食べ続けてるただのペット。僕は料理ができないから、お腹が空いた時はそれが情けなくて仕方ない。涙が出てきそうになる。
「僕は……、僕は女じゃないっ!」
ベッドの枕を手に取って、そのままドアに向かって投げた。家全体が少し揺れたような低い音が響く。それですこし、火山みたいな感情が鎮まった気がした。
「……勉強するから。邪魔だからどっか行って」
扉の向こうに聞こえた大きなため息もウザい。わざとこっちに届くくらいの雑音を出して。彼の行動が、いちいち僕の気に障る。同じ空間にいたくない。
気配が階下へと降りていった。
机に座ってパソコンを起動し『スマイル動画』を検索して開く。勉強用の音楽を検索するつもりだったんだけど、いつもは気にも留めないはずのリーク動画のタイトルが気になった。タイトルは……、
「夏フェス参加配信者の……、顔バレまとめ……?」
◇
まずい。まずいよ、これは。まずいまずいまずい。
なんで?なんでこの写真、みんなが見れるようになっちゃってるの?
地面と靴に磁石が付いているみたいに感じる。歩きたくない。クラスのみんなに会いたくない。
何度見返しても、買ったばかりのスマホには無意味に高解像度な私の顔が、みんなの笑顔が表示されている。『ムンクさん』も『新選組』も『きたぐに』も他の人たちも。
「僕も……、びっくりした」
呟いたコッコちゃんはあの時、私の隣でフェスの前に二人で選んだオペラ座の怪人みたいな仮面を付けたまま撮ったから、顔はバレていないと思う。思うけど、そう思いたいけど、本当に大丈夫だろうか。写真をよく見た目ざとい誰かが気付いてしまったりとか、そういうことが絶対にないとも言い切れない。私たちの周りの、誰かが。
「うぅ……。なんでよ……。なんでこんな……」
なんで、とは言ったものの調べたから分かっている。あの時に写真に写った『アラスカ』さんが故意か過失か悪意をもってかは分からないけど、ツイッターに写真をアップしてしまったようだ。
私は頭を抱える。
「あぁ……。学校、行きたくない」
あー、とか、うー、とか繰り返してる。ホントに眩暈がしてきた。クラスの誰かから連絡が来たりとか、メールが来たりとかは今のところしていない。いちばんそれが怖かったけれど。
怖いと言えばツイッターで写真を観た人とかリーク動画の視聴者たち、少なからずいる私たちのファンの反応やコメント、動きが怖かった。
写ってるこの人とこの人が付き合ってる、とか、この人は女の子全員と肉体関係がある、とかこの人は男好きだ、女好きだ、とか、そういった事実無根の言葉にもしたくない嘘ばかりがオブラートにも包まずに下品な文字列でネットに書かれていた。事実を知っている身としては、誰が信じるんだこんなの、という感想しか抱かない。しかしながら信じているのか悪ノリしてるのか分からないけど、同調してそれに反応する人もいて、すごく陰鬱で嫌な、屈折した人間の悪い部分を正面から見たような気分になった。住所を特定して会いに行く、とか、知り合いだから悪さをする、みたいなコメントまである。そんなの、ただ単純にとてつもなく怖い。
『アラスカ』さんに対する批判や中傷も怖さを感じる。なんの関係もない人が怒りに任せて何も考えずに文字を並べているようなコメントがいっぱいだ。殺害予告まがいのものまである。こちとら被害者が冷静になっちゃうくらい。なにかしら事情はあるのだろうから、本人の説明を待てばいいのに、待てないというか、そんなのお構いなしだ。
「このまま一緒に……、休んじゃおうか?」
いつの間にかコッコちゃんが立ち止まっていたらしくて、振り返ると朝日を背に私に視線を送っていた。もちろん今日も学校指定のジャージだ。なんでだろ。いつもと違ってちょっとカッコいい。
「そういうわけにいかないでしょ。こちとら真面目で優秀な女子高生なんだから」
休んじゃいたい衝動を我慢して、私はコッコちゃんに返す。
「……うん。そうだね」
コッコちゃんがまた私の隣を歩く。校門を抜けて、玄関に着いた。いつもは気になることのない、ザワザワとした朝の喧騒までがなんだか耳障りに感じる。
このなかの誰かが、私やコッコちゃんの悪口なんか言ってないだろうか。人間の負の部分ばかり朝から見ていたからか、そんなネガティブな思考にすっかり支配されちゃってる。
外靴を脱いで、下駄箱を開ける。
「……………っ!?」
信じられなかった。真正面に見えているのに。
A4用紙にプリントされた、朝から見慣れた集合写真が、下駄箱の中から私を見返している。
写真の私の顔に、赤いマジックで丸まで付けてある。
動かない私を心配してか、コッコちゃんが近寄って来てそれに気が付いたようだった。
びっくりする。驚いた。誰がこんな。こんな、ひどい。なんで。
感情がぐちゃぐちゃになって顔が熱くなる。熱は鼻のあたりまで来て、目に涙が浮かびそうになった。
「……だいじょうぶ」
急にコッコちゃんが優しい声をだして、後ろから私の肩に両手を置いてくれた。甘えてしまいそうに傾く身体を、私はなんとか自分の意志で支える。
背中から、声が続く。
「僕が……、守る。……守ってあげるから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます