【Present day②】
「スマフェス……ですか?」
その単語には聞き覚えがあった。たしか、スマイル動画が主催した夏のお祭で、有名な『歌ってみた』の配信者、俗にいう『歌い手』がライブをしたり、ゲーム実況者が舞台の上でゲーム実況やファンとの交流会をしたり、動画制作に係わる企業がブースを出展したり力士を呼んで相撲大会が開催されたりと、日本中から数万人がそれを見に来る本当にお祭みたいなイベントだったはずだ。
「知ってます。行ったことはないですけど……」
今日は会社に来て、バーチャル配信のキャラクター設定を話し合ったり、注意事項を勉強したりするミーティングだと聞いていたから、急な社長の問いかけに私はそう返事をした。
今まで配信時のプライベートトークにおいて、私たちバーチャル配信の『中身』の存在を視聴者にどうやって感じさせないか、みたいな話をしていたはずなんだけどな。私、なにか聞きそびれちゃったんだろうか。
当の社長はこないだ月額制のストリーミングサービスで観たエヴァンゲリオンの主人公のお父さんみたいに会議室のイスに座って、肘をついて手を組んで、そこに顎を乗せている。スーツ姿は面接の時の恰好そのまま。フチのないメガネと後ろで結ったポニーテールが、なんだかすごく仕事ができる印象を私に与える。
「貴方たちがこのバーチャルの皮を被ることは、貴方たち自身の身を守ることにも繋がる、という話になるのだけど……」
そう言って、私をはじめ視線をみんなに送る。
そう。私はこのあいだの面接に合格した。
でも、合格したのは当然ながら私だけじゃない。私のほかに二人の女の子が、いま社長と座談会のような形でミーティングをしている。
この会社『株式会社ラフィング』が世界に向けて発信するネットアイドルグループ『Orion』が、全員集合したということになる。
「あ、もしかしてぇ、伝説の集合写真のことでは?」
私の右側から声があがった。ショートの茶髪の女の子。歳は明らかに私より下で、もしかしたら高校生ぐらいかもしれない。
「葵さん、よく知ってるわね」
「?…………はぁっ!私の名前だぁっ!うぅ……、社長ぉ、まだ慣れないよぅ……」
俗に言うアニメ声というやつだろうか。めっちゃ可愛い。
そして、すでに社長は私たちを面接の時のように本名では呼んでくれない。バーチャルアイドルとしての名前で、私たちのことを呼ぶ。隣の可愛い容姿と声の女の子は、それにまだ慣れていないみたいだ。
「そのうち慣れるわよ。みんな通る道なんだから。で、話を戻してもいい?二回目のスマフェスだから、あれはもう、十年以上も前になるのかしらね。葵さんは知っているみたいだけれど、その時の参加メンバーで撮った写真が、ネットに流出してしまったの」
私が小学生の頃のことだ。私より若いであろう葵さんがそれを知っていたことに、素直に驚いてしまう。
「顔を隠して配信していた人たちがぁ、顔バレしちゃってぇ、流出させた配信者はぁ、もちろん炎上しちゃったんですけどぉ、すごく責任を感じちゃってぇ、そのまま引退しちゃったんですよね?逆にそれを機にぃ、顔出し配信した人とかも出てきてぇ、でぇ実はぁ、写真を撮影したのが、こないだ紅白に出たぁ……」
「ちょ、ちょっと待ってね葵さん」
社長が手で葵さんを制止する。すぐに葵さんはしゅんとなった。
「あ……、社長ぉ、ごめんなさい。私やっぱりぃ、いっかい話し出すと止まらなくてぇ……」
「いいえ。あなたのそういうところは配信者としてとっても長所だと思うんだけど、私が話したいのはスマ動出身の紅白歌手の話じゃなくてね?ネットで、俗に言う顔バレをしたり、身バレしてしまうと、どんな怖い目に遭うかってことなの」
社長が手を降ろして、そのままその手でメガネにさわる。クイッっという音が部屋に響きそうなくらい、会議室に静けさが戻った。
「あの件は、私た……、いや、当時の配信者がその顔や住所とか、個人情報がバレちゃうきっかけになってしまった。インターネットに顔を出すって、今では人によっては普通のことかもしれないけれど、気をつけていないと本当に怖いものなの。SNSが炎上するくらいならまだよかった。ある配信者は、学校でイジメられるようになってしまったり、ストーカーまがいのことをされた配信者もいた。家族や友達との関係が変わってしまった人もいたし、外を出歩けなくなっちゃった人も多かった。そういうことを防ぐためにも、あなたたちには個人情報を守ること、プライベートを必要以上に詳しく配信に乗せたりしないことをお願いしたいの。顔を出さずにバーチャルな仮面を被ることは、けしてエンターテイメントのためだけではないのよ」
一息に社長は私たちに告げる。それはお願いというよりは、心からの懇願。私たちの身を案じて言ってくれているんだと、私は思った。
「……そういう、契約」
しゃべった。今までしゃべっていない方の、背の高い黒髪の女の子が、初めて口を開いた。
「そうね、アルルさん。契約書にも書いてあったわね。でも、私は改めてちゃんと、あなたたちにそれを伝えたかったの。契約違反はクビ、みたいに要約すると書いてあったわけだけど、それは契約を守ってほしいからというよりは、そんな理由があるんだってことを、私は言いたかったのよ」
「……わかってる」
それっきり、また黒髪の女の子は黙ってしまった。
「アルルちゃんって『ばびにく』なんでしょぉ?すっごく女の子らしいねぇ?」
「………………」
え?
なんだか急に空気が変わったんですけど。隣の黒髪の女の子から、すっごいオーラが噴き出してるような気がするんですけど。
なんていうか、あのマンガの「ザワザワ」とか「ドドドドドド……」とかいう感じ。ていうか、ばびに……なんだって?なんかの差別用語?ネットスラング?
社長を見ると、頭を抱えている。
「……葵さん。さっきの話、聞いてた?ここは、そういう詮索をするところじゃないの。事情は私からは話せないけれど、アルルさんは今日、すごくがんばってここに来てくれてるのよ?……分かるわね?」
有無を言わさない感じ。最後の一言は、ちょっと怖いくらいだった。
「あ……、ごめんなさいぃ、アルルちゃん……」
なにかを察したのか、葵さんはしゅん……と俯いてしまう。なにを話しているのか、どんなやり取りなのかさえ、私には分からない。理解ができない。隣を見れば、アルルさんも俯いてしまっている。そんな彼女が、ゆっくりと口を開く。
「だ、だいじょぶ……。ごめん、男で……」
良かった。気にしてないみた……え!?
「えぇ!?」
私の口から、声が漏れ出た。けっこう大きな声だった。やっと理解が追いついたのだけれど、なかなかに信じられない。全員、女の子のアイドルグループだと聞いていたはず。聞き間違いは、なかったはず。
噓でしょ?男の子なの、この子?
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