【U①-5】でえと

 教室で彼女がクラスメイト達に囲まれている。


「おい、大友。お前、スマ動に歌ってみたの動画アップしてるらしいじゃねえか」


「くす……。女の子なのに男の声みたいに出して、ミリオン再生したんですってね。大友さん、ホントに女の子なの?」


「ほら、ここで今すぐ歌ってみろよ。なんかセリフも入ってたな?まーじウケる。あれもそのままやれよ?」


 私はなぜか身体が動かなくなってしまっていて、教室の自分の席でそれを一部始終見せつけられている。


 もう我慢がならない。限界だ。


「……やめなさいっ!あんたたち、恥ずかしくないの!?」


 身体を急に動かしたものだから、背中が痛んだ。周囲を見回すと、自分の部屋のベッドの上で上半身だけ起き上がっている。


「夢、かぁー。……あー、…………よかったぁ……」


 思わず手で顔を覆ってしまった。最悪の寝覚めというやつだ。夢で良かった。


「ぜったい昨日の放送部のせいだ。なんでウチの学校にまでファンがいるのよ」


 金曜日の学校でのことだ。うちの学校は放送部が昼食の時にラジオみたいに校内放送をしているんだけど、スピーカーから流されたのがよりにもよって彼女の『歌ってみた』だった。


「斎藤氏。スマイル動画の『ボカる曲』とか『歌ってみた』って知ってる?」


「もちろんだよ、小林君。動画サイトで楽曲をアップロードしてみんなに聴いてもらえるようにするやつでしょ?ロック、ヒップホップ、バラードからジャズ、アニソン風の曲や和風の曲まで、ジャンルがなんでも揃ってるんだよね。俺も勉強とか作業とかしながら家で流してるよ」


「斎藤氏~。それは話が合いますな~。じゃあ、今から僕のオススメ流します。このあいだミリオン再生を突破した『ふーる。』さんの『歌ってみた』です。気に入ったら、みんなも聴いてみてね」


 で、全校内に私たちの『歌ってみた』が流れたってわけ。聴いてみてね、じゃないんだよマジで。あの残念イケメンで有名なDJ二人に私は歯ぎしりしそうになった。


 たまたま私はクラスにいて友達とお弁当を食べていたんだけど、青ざめたったらなかった。慌てて向こうの席を見ると、一人で困ったような顔をした彼女と目が合った。サビに向かって顔から耳から真っ赤になっていって、なにも出来ない私は彼女が机に突っ伏すのをただただ見守ることしかできなかった。


「えー、いかがでしたでしょうか。夏休みには、幕張でスマイル動画のフェスがありまして、いま流した『ふーる。』さんも出演が決定しています。俺はもうチケット取ったので、みなさんもライブで『ふーる。』さんに会いに行ってください。まだJKらしいっすよ。では、週明けにまたお会いしましょう」


 余計なことばかり言う校内放送に、食事が終わっていた私は思わず割り箸を折ってしまった。


 そんな昨日のことを思い出しながら、私は身支度を整えている。


 そう。


 『ふーる。』がスマイル動画フェスティバルに出演することになった。そしてクラスメイトもそのフェスにやって来る。つまり、彼女は舞台に立ちつつ、正体を隠さなければいけない。

 というわけで休日の今日は私の提案で、変装用というか、顔を隠す用のマスクを繁華街に二人で買いに出かけることにした。


 すでにお出掛け用の白いブラウスと灰色のスカートには袖を通した。髪留めにしようかカチューシャにしようかちょっと迷って、青色のカチューシャにする。黒いカーディガンを羽織ってから鏡を出して、化粧を始める。呼び鈴が鳴ってお母さんが下の階から、


「京~、お友達よ~」


 と私を呼んだ。「いまいくー」と答えて、化粧を終わらせる。ドタドタと階段を降りると玄関に彼女が立っていた。


「コッコちゃん、おまたせ」


「ううん。待ってないよ」


 コッコちゃんはいつでも化粧っけのない、スポーティーな格好だ。シャカシャカと音を立てる素材の紫色の上着を、しっかりと首の前までジッパーを上げて襟を立てて着ている。黒いキャップを被っていて、中性的というか、男の子か女の子か分からないような恰好。いつも通りではあるのだけれど。


「じゃあ、駅まで歩こっか」


 私の部屋で動画作成作業をすることはあっても、今日みたいに二人で出掛けるのは初めてだ。そんなちょっとした緊張感とともに、私は踵の低いミュールを履いて一歩を踏み出した。玄関を開けると、まぶしいくらいの晴天が私たちを迎えてくれる。


 そうそう。最初の動画はどちらもミリオン再生したからね。大友さんじゃなくて、コッコちゃんと呼んであげている。そして彼女は、有名『歌い手』の『ふーる。』で、私は絵師で楽曲のミックスも担当している『ラッキョ』だ。


 当然ながら、二人の関係に進展やドラマはない。ただのクラスメイト。いや、ただの友達。いや、ただのビジネスパートナー?……正直、分からない。


 まだ半年も経っていないのに、あのキスはもう遠い昔のことのように感じてる。







「これにしよう」


 そう言ってコッコちゃんが露店で手に取ったのは、こないだ不慮の事故で試合中に亡くなったプロレスラーがむかし被っていた虎のマスクだった。思わず私は絶句してしまう。


「ほら、口も出てるからさ……、きっと歌いやすいよね?」


 嘘だと言ってよ、バーニィ。

 天然……、なのだろうか。それとも冗談か。ぴったりとしたエメラルドグリーンの長パンツでも履くの?


「かっこいい。ケイちゃんもそう思うでしょ?」


 あの事故、結構テレビでもやってたと思うんだけどな。いや、その人が虎のマスクをかぶってたなんて彼女は知ってるわけないか。となると、これはマジでガチの感想ってこと?


 な、なかなかのセンスだ。


「これはちょっと……、やめたほうがいいかな。ほら、追悼って書かれてるじゃない?なんか知らないけど、た、タイムリーだからやめとこ?」


 焦っちゃって私もワケの分からないことを言ってる。でもなにか伝わるものがあったようで、コッコちゃんは「そっか……」としょんぼりしながらマスクをあった場所に戻した。


「あ、ケイちゃん。気をつけて」


 繁華街のアーケードは人の流れが多くて、ちょっと油断するとすぐ人にぶつかってしまいそうになる。コッコちゃんが私の肩を撫でるようにして、スーツ姿の男の人が電話しながら歩いてくるのから私を庇ってくれた。


「あ、ありがと……」


 ちょっと距離が近い。私はドキドキしてしまうんだけれど、彼女はどうなのだろうか。私はそそくさという表現がぴったりな感じで彼女から少し離れる。

 立ち並ぶ商店が見えにくいほどに人がごった返している。かといって手を繋ぐわけにもいかないから、とりあえずデパートに入った。コッコちゃんは後ろからちゃんと付いてきてくれる。化粧品のスペースがあって、香水やファンデの匂いが鼻をついた。


「あ、マリリンマンソンみたいに顔を塗っちゃうのってどう?」


 なんだかイキイキとコッコちゃんはおっしゃった。はい決定。ド天然だった。そうじゃないかとは前から思っていたけれど、立派な天然記念物だった。もはやそれはセンスゼロの証明。いや、一周まわってハイセンスか?にしたって、どこのセイキマツだよ。


「私が劇団四季のキャッツみたいにしたげよっか?」


 思わず、というかコッコちゃんの天然発言もしくは大喜利に対抗心が出ちゃって、私までそんなことを口走ってしまう。きっと本人は大喜利のつもりなんて一切ないんだろうけど。


「いいね。ケイちゃんがしてくれるんなら、僕はなんでも受け入れるよ?」


 どうかしてる。こういうところが、たまにモヤモヤとした感情を私に抱かせる。

 彼女は私を全肯定してくる。

 そりゃ、私のことが好きでそうしてくれているというのは理解できなくもない。

 でも、私は彼女のことは受け入れられないし、好きだからってなんでも私の言いなりになられるのも困る。


「あのさ、コッコちゃん。もし私が、好きな人ができてさ。あ、もちろん男の人でね?で、その人と付き合うことになったら、コッコちゃんはどうするの?」


 いじわる悪魔が顔を出してしまった。気分を悪くさせたかと思って振り向くと、コッコちゃんは微笑んだまま、私を見返していた。


「え?喜ぶと思うよ?……なんで?」


 理解できない。ちょっと心が凝り固まる音が聞こえた気がした。


「私のこと好きなんでしょ?他の男と付き合ったら、コッコちゃんヤじゃないの?」


「嫌じゃないよ?」


 デパートの入り口でなんの話をしてるんだろ。それでも、即答した彼女に私は聞き続けずにはいられなかった。


「好きだったら、自分が付き合いたいって思うもんじゃん。コッコちゃんは、それがないのかなって聞いてるの」


 あー、そういうことか、なんて言いながら思い至ったような表情を返してくる。ふむ、とちょっと考えるような仕草をして、彼女は口を開いた。


「僕ってほら、マイノリティじゃんか?だから、僕が女の子を好きになることが、世間にとっては普通じゃないことも理解してる。最初はそうじゃなかったけどね。だから当然さ、好きな女の子が僕のことを好きになってくれるなんてことの方が少ないわけじゃん?ほぼないと言ってもいいかも。……僕がいちばんその子を想ってることは僕がいちばん分かってるけど、その気持ちを相手に押し付けるわけにはいかないよ。僕は少数派で相手は多数派なんだから。だから、マジョリティの中で幸せになってくれるなら、僕はそれでいいと思うんだ。無理してこっちの世界に来て付き合ったって、無理をしちゃってる相手が幸せになるとは思えないからね」


 目が合っている。目の前にいるのに、なんだかコッコちゃんが言葉を重ねるたびに、どこか遠くに行ってしまうような感覚があった。私はなにか言ってあげたいのだけれど、口も動かなければ頭も働かない。ただただ、それを眺めているしかなかった。それが、もどかしかった。


「男の子と付き合って、ケイちゃんが幸せになるのなら、僕はそれを見て幸せを感じると思うよ」


 思わず、私はコッコちゃんの手を取っていた。顔を見られたくなくて、私はそのままエスカレーターに向かって歩き出す。ミュールがコツコツとデパートの床を叩き続ける。全身が手だけのおばけになったみたいな感覚で、コッコちゃんの左手の温度を感じる右手を、私は強く握りしめる。


「……きょ、今日だけだからねっ」


 ようやく口を開くことができて、私は彼女に聞こえるか聞こえないかぐらいの声でそう言うことしかできなかった。

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