【U①-3】ばつ
シグマが苦手だ。
違う違う。全身真っ青で手からビームを出す主人公のアクションゲームの話じゃなくて、数列の話。
高校二年生とはいえウチは進学校だから宿題のセンター過去問を解いてるんだけど、XだのYだのΣだの、本当に面倒くさい。でも、赤い主人公のゼロは正直カッコイイと思う。しかもたまに黒くなるし。赤と黒は私の好きな色だ。
どうやら勉強に集中できてない。今日はここまでにしよう。
そもそも、まだ残ってる大友さんの唇の感触が気になってそれどころじゃない。
気分転換にここからは趣味の時間としゃれこもう。
私の部屋は中心にかわいい小さなテーブルがあって、いまはそこで勉強しているんだけれど、窓際にパソコンを置いた机がある。
立ち上がって私はそこに向かう。イスをひくと、キャスターの小気味よいカラカラという音がフローリングに響いた。
あのあと、昼休憩が終わってクラスに戻ったら大友さんは早退してた。あの野郎、いや女の子だけど、それでもあの野郎、私にキスするだけして逃げやがった。
次に会った時は……
「次に……、会ったら……?」
ううむ。困った。次に会ったら彼女になんて言ってあげたらいいのか。いや、どんな顔で彼女と面と向かえばいいんだろ。そもそも、目を見て話せるだろうか。
イスにも座らずぼーっとしてしまった。いかんいかん。パソコンのキーを押す。引き出しからペンタブを取り出して、キーボードの横に置いた。腰掛けて、検索サイトからスマイル動画に飛び作業用のBGMを探す。
今日は私が小さい頃に近所の男友達の家で見ていた、スーファミのゲーム音楽にすることにした。おそらく、ゲーム会社に許可は取っていないだろうが、私の知ったことじゃない。
音楽が流れる。
懐かしい。それでいて、新鮮だ。大友さんの歌声みたいに素晴らしい。天才ってホントにいるんだな。
この冬にはディーエスに移植されると聞いた。もしかしたら買っちゃうかもしれない。昔は友達がゲームしてるのを後ろから見ているだけだったけれど、ついに私も赤髪の主人公を手元で操る日が来ちゃうかも。
このRPGはゲーム実況の動画もたくさんアップされている。だけど、私は自分でもプレイするかもしれないから見ていない。よくクリックする実況者グループ『きたぐに』の一人が今このRPGで毎日投稿に挑戦してるけど、観るのを我慢している。ストーリーのネタバレや攻略方法は自分でプレイするまで見たくないし、勉強とかも忙しいし。
シルバードに乗ったら、今日をやりなおすことができるだろうか。もしそれができたとして、私は今日をどう過ごしただろう。
ため息が出てしまった。罪作りなクラスメイトだ。
いま考えても仕方のないこと。
人差し指が唇を触る。それでおしまい。もう考えるのはやめよう。
そう。
パソコンでお絵描きするのが私の趣味だ。専用のソフトでカッコイイ王子様みたいなキャラが出てくるマンガを描いている。
……変かな?変だよね?……わかってる。
だから誰にも言ってない。両親にも、クラスメイトにも、もちろん仲の良い友達にも。
描いたマンガは出版社に送ったり、賞に応募したりしてるけど、特になにも起こらない。歌が上手い同級生の女の子にキスされたことを除けば、私はただの凡人なのだ。
ん?
なにか繋がりそうになった。
そういえば、私が観ているスマイル動画の動画投稿者は顔を出さない人がほとんどだ。彼らは自分のアカウントのアイコンや、制作した動画内でアニメのキャラクターみたいな絵を付けて投稿している。
あれ?
歌が上手いクラスメイトと、多少ながらも上達してきたキャラ絵を描ける私。
この組み合わせ……、悪くないんじゃない?
アイディアが暴走していく。深夜に思いついた最高のストーリーラインみたいに。まあ、一晩寝て朝に思い返すと、だいたい駄作なのだけれど。
でも。
明日は多分、彼女と面と向かえそうだ。
◇
「見ぃつけたぁ……」
いかんいかん。ホラーゲームみたいな声が出てしまった。
昨日あんなことがあって大友さんは早退しちゃったから、今日は休んじゃうんじゃないかと心配していた。
登校前に彼女と話したくて、早朝から教室にいないのを確認してから校門で待っていた。大友さんはホームルーム開始時刻ギリギリに、坂道の向こうからトボトボと効果音でも鳴らしそうな様子でこちらに向かってきた。
まあ、目が合ったら逃げられたんだけど。
思いっきり身を翻して逃げられたものだから、思わず追いかけてしまった。近くの公園の曲がり角を走り抜けたらいなくなったけれど、公園のどこかに隠れたことを推測するのは
ホラーゲームみたいな私の声を耳元で聞いた大友さんは、ジャージをはいた脚を抱えてゾウさんの滑り台の下で丸まっている。ちょっと震えていた。
一言目がちゃんとした謝罪じゃなければ、この計画は白紙に戻そう。そう決めていたから、彼女が最初になんと言うか私は待った。いや、計画が始まるかどうかさえ定かではないのだけれど。
「……………………」
黙るんじゃないよ。女々しいな。昨日はごめん、だろうが。いろんな手順をすっとばしてキスしてきやがって。昨日の悶々とした悩ましい時間を返せ。初めてだったんだぞ、こっちは。
「なにか私に言うことない?」
救け船、のつもり。友達の悩みを聞く時用の、とびっきりの笑顔を張り付けて。
そうそう。ちゃんとこっちを向いて。遊具から出てきてもいいけど。そのまま遊具の中で謝るのかな?それでもいいけど。
彼女と目が合う。
「あの……、僕と、付き合って下さい」
バシィッ!
「昨日はごめんなさい、でしょうが!バカタレっ!」
思わず手が出てしまった。ひぃ、と情けない音が小さい子用の滑り台の下、ゾウさんのお腹の中に響く。
なんなの、この子。常識ないの?相手を傷付けて泣かせてしまったって自覚ないの?それとも容姿がいい子ってそういうもんなの?相手のことを考えずにキスしていい仕組みになってんの?
ホームルームのチャイムが聞こえる。あーあ、遅刻だ。
「……ごめんなさい」
泣くなよ、女々しいな。手のひらがジンジンする。商売道具の利き手でビンタなんてするんじゃなかった。なーんて、もし私の描くキャラクターが世の中に認められたら言ってみたい。
「私もごめんなさい。叩いたことじゃなくて、あなたの気持ちに応えられないことに対してね」
あー、もう。だから……、更に泣くなって。みっともない。ひんひんと声を上げるな。今から大事な話をするんだから。
「ちょっとベンチに座って話しましょう」
努めて優しい声で、私は泣きじゃくる彼女の肩を撫でながら彼女を遊具から外へ誘導した。
「なんで……、そんな……、くぅ……」
涙声で聞き取れない。なんで優しくするの、ということだろうか。ホントかわいいな、この子。いつもジャージでクールに外を眺めてる、近寄りがたい雰囲気の彼女とは温度がまるで違う。マンガの手法にもあるギャップ萌えというやつだろうか。
なんでって、そりゃ打算があるからに決まってる。昨日聞いたアンタの歌声を、私は利用したいのだ。
春先の陽光が照らすベンチは塗装が剥げていて、彼女を色が剥げていない部分に座らせる。私は木材が変色している部分、彼女の隣に。
「失恋、ってことになるのかな。女の子同士だけど。……ごめんね。私はいま、好きな人とかいるわけじゃないけど、大友さんの気持ちには応えられない。できれば、泣かないで聞いてもらえるといいんだけど」
いまの彼女には難しい様子。彼女に折檻を加えちゃった私だけれど、そこまで鬼じゃないので泣きやむのを待つことにする。
「僕は……、あんなことしたの、初めてで。すごく……、大変なことしちゃったって思って……、昨日も眠れなくて……」
顔をくしゃくしゃにして大友さんはまだ泣きじゃくってる。高校生にしては子どもっぽい。もしかしたら、他人とのコミュニケーションに慣れていないのかもしれない。そういえば、クラスで彼女と誰かが話しているのを私は見たことがない。
うんうん、といつもの癖で相槌を打ってしまう。背中なんて擦ってみたりして。話を聞く姿勢になってしまうのは、実は私の悪い癖なのかもしれない。目の前で女の子が泣いているというのに、私は嫌になるくらいに冷静だ。
「終わったことを後悔しても仕方ないよ?前を向いて、これからのことを考えよう。これから、大友さんはどう責任をとってくれるの?」
数秒の間。
え?という声とともに、隣で顔が振り向く気配がする。思ったよりも明るい声を出せた私は、絶対に彼女と目を合わせてあげない。
「一方的に私の唇を奪った責任を、大友さんはどうとってくれる?私のお願い、聞いてくれる?」
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