女将さんは魔女
「とんかつの木寺」は、評判のよいトンカツ屋であった。
若き店主は、肉の旨味を引き出すその技量から「揚げの魔法使い」と呼ばれていた。
「今日も火の入り具合が絶妙だったよ。さすがは魔法使いだ」
常連客が褒めるたびに、
なぜなら、本物の魔法を使えるのは、店主ではなく、妻である彼女のほうであったから。
長い年月をかけ、生まれ故郷のイングランドから、極東の島国に辿り着いた魔女は、東京で修行中の青年に一目ぼれをし、その日のうちにアパートへ押しかけて、同棲をはじめてしまった。
店を開くために帰郷する自分に、当然のようについて来る魔女を見て、観念した青年がプロポーズをすると、魔女は勝ち誇ったような笑い声をあげ、わざとらしく少し渋ったのち、同意した。
その時の様子について青年は、人生で一番
とんかつ屋の開店を控えていたので、魔女が前から決めていた指輪を買うだけで、結婚式もせず、旅行にも行かなかった。
リングだけでいいのかと青年に尋ねられた魔女は、指輪のついた薬指を空にかざしながら、次のように言った。
「いいのよ。あいつに祝ってもらいたくないし、旅行は食傷気味だし」
自分が魔女であることを、アリスが夫となる青年に打ち明けたのは、会った日の公園だった。
青年は当然信じず、アリスをかわいそうな目で見た。
その反応に憤慨したアリスは、辺りで寝ていた野良猫数匹に魔法をかけ、人語を話させ、ダンスを踊らせた。
呆然としている青年に、白い肌を押しつけながら交際を迫るアリスに、彼は疑問を投げかけた。
「魔女なら、魔法で僕を魅了すればいいのに」
「それがね、本当に好きになった人には、魔法はかけられないの」
吸い込まれるような青い瞳に見つめられた青年は、これこそ魔法ではないのかと思ったそうだ。
交際をはじめた時から、なるべく魔法を使わないことを、アリスは夫に約束させられている。
とくにトンカツの味や集客について、夫は魔法を使うことを嫌がった。
アリスの魔法を使えば、トンカツに麻薬のような効果を与えることもできたし、いくらでも客を店内に誘えた。
しかし、それらをアリスはせず、夫との約束を守りながら、調理以外の業務全般を担っていた。
結果、客への
アリスが魔法を使うのは、皿洗いや
すぐに、子豚を買って来て魔法をかけ、マスコットに仕立て上げてしまった。
二足歩行の子豚に店の看板を持たせて、商店街に立たせると、なかなかの客寄せとなった。
はじめて見せられた時、夫は笑みを浮かべながら、アリスの頭をなでた。
そして、彼女がいなくなるのを待ってから、ため息をついた。
商店街の住人は、よくできたロボットと思っているらしい。
そんなこんなで、魔女のアリスは、極東での生活を楽しんでいるようであった。
「アリス、離れて」
毎朝、抱きついている夫の声で目を覚ましたのち、倉庫で行儀正しくしている豚にエサをやりながら、次のように言うのが、彼女の日課であった。
「売り上げが落ちたら、あんたはトンカツよ」
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