蝶になった夢を見たのか。

 それとも、今が蝶の見ている夢なのか。


 などと、国語の教師が訳の分からないことを言いだした。

 定年間際と聞いているが、のほうが先に来てしまったようだ。

 それとも、哲学というやつか。

 どちらにせよ、迷惑な話である。


 暖房の効いた小春日和の午後一番に、漢文の授業をするなど拷問以外のなにものでもない。

 寝るなというほうがおかしい。


 授業が始まって十五分。

 生徒のほとんどが、すでに夢の世界へと旅立っていた。

 しかし、隣の席のクラス委員長だけはさすがである。

 眼鏡とおさげは伊達だてじゃない。

 背筋をピンと伸ばして……。

 ダメだ。

 背筋を正したまま寝ている。

 ずいぶんと器用だな。


 こうなったら、このクラスの良心である、この僕が頑張るしかなかった。

 さあ、先生、もっと、訳の分からない話をしてくれ。

 蝶の次はなんだ。

 猿か。

 猿なのか。


 僕は先生の話に意識を集中させていたが、先ほどから口をもごもごさせるばかりで、何を言っているのかわからなかった。

 何とか聞き取れたフレーズは、「ヨシコさん、わしはまだ、晩御飯なんぞ、食べておらんぞ」であった。

 黒板を見ると、ずいぶんと長いミミズがはっている。

 いつの間にか、おじいちゃんもお休みの時間に入っていた。


 これでは仕方がない。

 僕も夢の世界で蝶になろう、と思った時であった。

 カタンとチョークの落ちる音がしたので、前を見ると、先生がおらず、一匹の蝶が飛んでいた。

 どこから飛んで来たのだろう。

 いつの間に先生は教室から出ていったのか。


 その答えはすぐに出た。

 順次、教室の生徒たちが蝶に変じていった。

 となりの委員長まで、青色のきれいな羽虫となって、机の上をヒラヒラと舞っている。


 蝶が飛び交う教室で、ひとりぼっちになってしまった僕は、夢の世界へ逃げることにした。

 ほかに方法があるようには思えなかった。

 今が夢の世界じゃないのかだって?

 どっちだっていいよ、そんなことは。

 まあ、と言うわけで、オヤスミナサイ。

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