こんな夢は見ていない

 インド行きの列車が出るまでにまだ時間があったので、駅の構内をさまよっていると、古本屋があった。

 中に入ると、店内はやたらと広く、煌煌としていたが、生命力に欠けていた。


 本の墓場という店名にふさわしく、昔売れた本が大量に置かれていた。

 二階に上がると、あるマンガの一巻で埋められている棚が延々と続いている。

 一冊を取り出し、適当に開いてみたところ、端に落書きがしてあった。

『黄金の菜の花畑駆ける蜂』

 実に下手な句だ。

 寝ぼけて書いたのだろう。


 違う棚から、同じ本を取り出し、パラパラとめくっていると、また鉛筆の走り書きが目についた。

『彼は、聖木から木炭をつくると、それを天に投げ、太陽とした』

 なるほどね。

 娘と息子にも教えてあげよう。


 とくに読みたい本がなかったので、店を出た。

 そもそも紙の本は嫌いだ。

 とくに臭い古本は。



 まだ時間が余っていたので、ふらふらとしていると、階段があったので下りてみた。

 下りながら、ふと、急に怪談を思い出した。



 夜道を歩いていると、後ろから声がする。

「ジーン・バックは好きかい?」

 「ジンフィズじゃなくて?」と答えると、気配は消えた。



 酒が飲みたくなったので、バーに入ると、小柄な店主がシェーカーを大げさに振っていた。


 四席しかないカウンター席には、先客がふたり腰を下ろしていた。

 おそろいの黒いフードをかぶっていたので顔はよく見えなかったが、話しぶりから、老夫婦のようであった。


 しばらく考えてから、切腹を注文すると、店主の顔が見る見ると曇り、今にも泣きそうになった。

 彼のおどおどとした様子に、体内のぎゃくせいてられ、カウンターに置かれていた酒瓶で頭を殴ってやろうかと思ったが、許してやった。


「日本酒をトマトジュースで割って、茎と種を取り除いたサクランボを沈めてくれ」

 説明を終えると、「レッドサンにサクランボを入れればいいんですね」と生意気なことを言い返してきたので、「Read the room」と叫びながら、店主の頭を空き瓶で殴った。

「トマトの代わりに、お前の血を入れろ」

 そう命令すると、ようやく店主は、血まみれのまま作業に取り掛かった。



 店主の様子を監視していると、となりの老人が話かけてきた。

「もしまちがいなら、すみませんが、山本悠前さんではありませんか? 先月、厚労大臣をお辞めになった」

 問いかけに対して、黙ってうなずいてやった。

「こんなところで、山本さんに会えるなんて」と老婆が感激の声を上げ、ポケットの中から黒ずんだニンジンを差し出してきた。

 齧ってみると、とても甘くて美味しかったので、お礼として、二人に切腹をおごってやった。

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