ゲオルギオスの復讐

 はじまりの日のことは、よく覚えている。


 書斎のベッドに横たわり、スマートフォンで検索をかけながら、「カラマーゾフの兄弟」を読み進めていた。

 多くの人から賛意を得られるであろうが、「カラマーゾフの兄弟」を読んでいると、ロシア人のなまえに頭が混乱する。

 ある作家は人物表を作りながら読んだそうだが、電子書籍なら、指で人物名を指定して検索をかければいいし、人物表も、インターネットですぐに確認できる。


「あれ、ピョートル・ミウーソフって、誰だったか?」

 そう独り言をつぶやいた時だった。

 何か固いものが私の側頭部を直撃した。


 ベッドの上であぐらになり、左手で頭を抑えながら、ベッドのすぐ横に置いていた本棚を振り返ると、本が額にぶつかってきた。


 思わず目を閉じ、両手で頭を守りながら、その場にうずくまると、バタッ、バタッと音を立てながら、上から頭部や背中をめがけて、本が落ちて来た。

 地震かと思ったが、揺れは感じなかった。


 本が落ちて来なくなったので、辺りの様子をうかがったところ、異様な光景が展開していた。

 私を囲むように、十数冊の開いた本が、蝶のようにひらひらと空中に浮いていた。


 本たちは、私より高い位置に舞い上がり、攻撃を続行する構えであったが、背の高い私がベッドの上に立ってしまったので、攻撃をするには天井が邪魔であった。

 私が浮いている本をつかみ、回収を始めると、別の本が腕にまとわりつき、作業を妨げた。

 本を閉じることで、私に噛みつく本もあったが、牙があるわけでもなく、力も弱かった。


 シオランや中村なかむらはじめの本を回収し、とりあえず紐で縛ろうと、ベッドから降りた時、足に激痛が走った。

 足元を見ると、事典並みの重さがある「星新一ショートショート1001」が転がっていた。



 本どもの抵抗を排して、全冊を紐で縛りつけ動けなくした。

 部屋に本は五十冊もなかったので、それほど時間はかからなかった。

 重しにしたシュレッダーは、本どもの抵抗を受けているようで、小刻みに揺れつづけていた。

 時刻を確認すると、4月23日の23時過ぎであった。


 一段落したので、同じような現象が起きていないかニュースを確認しようと、スマートフォンを手にした矢先、階下から妻の叫び声が聞こえた。

「しまった」

 リビングにも、絵本とマンガが置いてあることを思い出した私は、階段を急いで下りた。


 階下では、迫りくる本どもを、元国体選手の妻がバレーのスパイクの要領で叩き落としていた。

 妻に状況を尋ねると、水を飲むために寝室から出てきた際に、襲われたとのことであった。


 妻を寝室に戻らせ、絵本どもは私が相手をすることにした。

 子供たちだけで寝かせておくわけにはいかなかったからだ。

 格闘の末、「ギャシュリークラムのちびっ子たち」や「ぐりとぐら」どもを、何とかビニールひもでふん縛ったが、本どもは、床でガタゴトともがきつづけていた。


 やれやれと、スマートフォンを取り出したところで、今度は二階の物置から物音がした。

 その音で、物置に何が置いてあるのかを思い出した私が声をあげると、妻が寝室から顔を出し、心配そうにこちらを見つめた。

 スパイクを打つ真似まねをする妻に、「手助けはいらないよ」と私は首を横に振った。


 読んだ本は基本的に処分する主義であったが、もちろん捨てがたい本もあり、それらは書斎のとなりにある物置に保管していた。

 ドカン、ドカン。

 ドア越しに聞こえる音から、物置の中で本どもが暴れているのが想像できた。

 続けて、ズザザザザと、物が崩れ落ちる音がした。


 恐るおそるドアを開けてみると、私に気がついたなんふみの画集が、私に飛びかかって来た。

 二万円はする上に、状態が良いとは言えない難波田を、どうにか傷つけずに捕獲しようとする私に対して、間野まのえいの「バーブル・ナーマ」と、杉浦すぎうら日向子ひなこの「百物語」が妨害した。

 三本の連係プレイに戸惑う私の背中に特攻をかけてきたのは、里中満智子の「天上の虹」全十一巻であった。


 何とか二階の物置を制圧し、息も絶えだえに時計を見ると、針は午前三時を指していた。


 明日が、いや、今日が日曜日でよかったと思い、このまま少し寝てしまおうと書斎へ戻ったところで、再度、一階から妻が私を呼びかける声がした。

 疲労のあまり、私が無視をしていると、階段を上がって来た妻が、勢いよく書斎のドアを開けた。

「ねえ、テレビがすごいことになっているわよ」



 テレビの画面には、バリケードと兵士越しに、白い洋風の建物が映し出されている。

「世界最大の蔵書数を誇る、アメリカの国会図書館において、現地時間の午前十時ごろより、本が人を襲い始めました。司書と来館者、老若男女を問わず、彼らの頭上をめがけて落下し、体にまとわりつき、身動きを取れなくしたうえで、急所めがけて重い本が落ちてきたとのことです。重軽傷者の数は不明ですが、死者が出ているとの情報もあります」

 アナウンサーの説明を、ソファのとなりに坐っている妻が補足してくれた。

「世界中の大きな図書館を中心に、本が人を襲う範囲が広まっているそうよ」


 画面が切り替わり、闇夜の中をサーチライトで照らされた、我が国の国立国会図書館が現れた。

 警察の手で封鎖されている中、機動隊の面々が玄関の中へ突入していく。

 警備員が一名、図書館内に取り残されているらしい。

 アメリカとちがい、本どもが騒ぎ出したのが閉館後であったのは、不幸中の幸いであった。


 妻がチャンネルを変えると、白髪の老人が独り言のように解説を試みていた。

「日本では、つくがみと言いますが、長い年月をた道具などに心が宿るとされています。この世界中で起きている超常現象も、その付喪神の一種なのかもしれません」

 アナウンサーが一つうなづいたあと、学者に質問した。

「しかし、なぜ、今頃になって襲い始めたのでしょうか?」

「六百年前に、グーテンベルクが活版印刷術を実用化したことにより、紙の本と我々人類の付き合いは本格化しました。紙の本と我々は協力し合い、文明を高めてきましたが、ここに来て、書籍の電子化が進み、世界中から紙の本が姿を消しつつあります。この状況を紙の本は、我々に裏切られたと思っているのではないでしょうか?」


 信じがたい話ではあったが、現実に起きていることから考えると、簡単に否定はできなかった。


 あれこれ考えてうちにソファで寝入ってしまった私の耳に、「助けて、パパ」と、娘の叫び声が響いた。

 私がソファから飛び起き、声のほうを見ると、娘が絵本たちに襲われていた。

 固く縛っておいたが、抜け出してしまったらしい。


 娘の腕に食いている「ぐりとぐら」を引き離し、彼女の浅黒い腕を見ると、血まみれになっていた。

 「ぐりとぐら」をこじ開けて中をのぞくと、棘とも牙とも例えられるものが、びっしりと生えていた。

 気持ち悪さに思わず床へ投げ捨てると、「ぐりとぐら」がりずに娘をまた襲い出したので、私は「ぐりとぐら」を捕まえて、力任せに引き裂いた。

 すると、ようやく、「ぐりとぐら」は動きをとめた。



 4月23日にはじまった人類と本どもとの戦いは、三年が過ぎても片がつかなかった。

 その間に、国連の取り決めにより、全世界で本の印刷は禁止された。


 焚書坑儒で名高い中国は、本どもに対して、すばやい対応を見せたが、キリスト教やイスラム教が根付いている国々は、聖書やコーランを始末するわけにはいかず、捕獲する方針を立てたので、本どもへの対応が長引いていた。


 そのうえ、やっかいなことに、人間との争いが激化するなかで、本どもは進化をはじめた。


 槍のような形状を持ち、人に向かって突撃してくるセルバンテス型や、人間に幻覚を見せるマルケス型などが発生していた。


 我が国も、図書館、大型書店、製本所などの施設は鎮圧済みだったが、そこから逃れた大量の本どもが、人を襲いつづけている。

 公園や草むらに近づいた子供や老人が、被害にうケースが多かった。



 私は前の仕事を辞め、資格を取り、ブック・ハンターになった。

 銃を背負いながら、街に潜む本どもを見つけては処分し、報奨金を得ている。

 人から喜ばれるだけでなく、実入りの良い仕事であった。


 ただ、人に危害を加えないジョイス型の処理を依頼される時は、少しだけ心が痛んだ。

 私に悪態をつく持ち主から本を奪い、処分してから、保健所に持ち込んで、他の捕獲した本と一緒に燃やしてもらう。

 ひそかに持っていたジョイス型が凶暴化して、持ち主を襲うケースがごくまれにあったので、処分するのは仕方のないことであった。

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