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このまま忘れてしまおう、というわけにはいかなかった。
志保がいなかったらそこから交流の広がりもなかったと考えれば、恩人とも言える人を差し置いて、のうのうと別の人とワイワイするのは気が進まなかった。
志保とどうすればもう一度会えるのか? 答えは一つしかなかった。初めて会った時のようにライブへ行くしかない、それが唯一の可能性だ。二人を繋げた場所、そこだけが……。
タイムラインを見ているともみじがライブハウス前に居ると分かる。
顔を上げて周辺を観察する。今日のライブハウスまでの道のりは今、歩いている所で合っているのか確かめていると正面、数十メートル先には長身で、髪が長い女性がいた。あの後ろ姿はRicoかもしれないと気がつく。
続々とあの時の面子が集まってきているが、志保はいない気がした。
先に横断歩道を渡ったRicoは出入り口前に居るもみじに再会の抱擁を交わし、グッズを買うためにライブハウス内へ入ったようだ。リョウも後に続く。
「もみじさん、どうも」
「あっ、リョウさん!」
いつものようにお土産を渡された。もみじの今日の整理番号は十番台とかなり良いらしく既にいつでも呼ばれて入れるようにスタンバイしているらしい。
「半袖で寒くないですか?」
「そうなんですよね。まだ九月下旬なら大丈夫かと思ったのですけど、今日の横浜は寒いですね」
「あっ、Ricoさん」
リョウがRicoの名を呼んだ。グッズを買い終えたRicoが会釈をして会話の中に入ってきた。
「お久しぶりです。なんだかリョウさんに名前を呼ばれたのが新鮮です」
そう満面の笑みで答えたRico。このライブから初めて電子チケットが導入された。チケット購入時、従来の紙チケットか電子チケットか選べるシステムだ。その電子チケットを今回初めて利用するもみじはちゃんと入場できるのか不安を口にしている。
「もみじさん、今日十番台なんですよね。なんか電子チケットの人の方が整理番号が良い印象があるのですけど気のせいですかね?」
「へぇ〜もしかしたら電子チケットの方が転売されにくいってことで良い番号振っているのですかね?」
Ricoの推測に対してリョウはあながち間違っていないかもしれないという見解を述べた。東京五輪をきっかけに国がチケットの高額転売を禁止する法律を施行させようとしている、
これをきっかけに度々話題に上がるチケットの転売問題。大規模で行われる人気バンド、歌手のライブには顔写真付き身分証明書を義務付ける所も出始めている。ライブ通いが生き甲斐の人達には敏感にならざるを得ない話題だ。
志保がいないと若干違和感があるものの、逆に志保がいなくてもこうして他の人と溶け込むことができるまでになっていた。
このままフェードアウトするように消えてしまうのか。この二人は志保がいないことに対してどう思っているのかも気になっていたが、それを話題にするのは今は違う気がした。
そういえば、今日はライブに行けない人が三時間ほど前、Ricoに『志保ちゃんに会ったらよろしくね!私が心配しているって言っておいてくれる?』というリプを送っていたがRicoは未だにそれに対して返事を返していないのが少し気になっていた。
最近ではあまり演奏されなくなったファーストアルバムの曲が多数演奏された。しかも今の感性が注入されて、懐かしさを感じさせない、つやがあるように磨かれている。
この衝撃にリョウは急遽、名古屋へ飛ぶ事を決意した。今回のツアーを可能な限り目撃したいその一心で。
その気持ちをツイッターに吐露するとRicoがチケット一枚余っていますけどいかかですか? とメッセージを送ってきた。
今からチケット販売サイトで購入しても当然整理番号は後ろの方、このチケットは最初の先行予約で取ったということで今から買うのであればこちらの方が前の方で見られるのは明白であった。リョウはこの誘いを了承する。
横浜から始まり埼玉、仙台、福岡、大阪、名古屋、そして東京が最終公演となる。そのツアーも残り二公演。
当初、首都圏の公演に行けば満足するだろうと思っていたリョウはその気持ちが覆ってしまったことに対して、最初からそれ以外の場所も行こうとしなかった後悔と同時に嬉しさも混ざっていた。
このバンドは進化し続けている、だからこうして気持ちを突き動かされたことに。そんなワクワクしている表情で新幹線の席に座っていた。
外国人の方が多いのではないかという新幹線内はやや落ち着かなかった。主に英語、中国語が飛び交う。日本にいながらどこか異国の地を走る鉄道なのではないかという錯覚に陥った。
Ricoは今日に限って化粧のノリが悪い事をツイッター上で嘆いていた。一度外に出ながら忘れ物もしたらしい。チケットは忘れないでいることを願った。
そんなリョウもとんでもない勘違いをしていた。ライブの開場時間と思っていた十七時半は実は開演時間であることに気がついたのだ。本当の開場時間はその三十分前、十七時であった。
名古屋駅に着き、名古屋名物をゆっくりと満喫している場合ではないと分かるとリョウは猛然と走った。
名古屋駅からは電車で十五分程度なので開場五分前にはなんとか着きそうであったがRicoからチケットを受け取らないといけないと思うと有ってはならない失態である。電車から降りて再び走る。その道中にどこか見覚えのある人物が前を歩いていた。通り過ぎるわずかな合間、一瞬首を横に振る。
Ricoにはとにかく謝った、頭を下げた。Ricoはおどおどしながらそんなに謝らないでくださいとなだめる。
素早くチケット代と交換した。正確なチケット代は五千八百と何十円という手数料込みで細かかったがリョウをお詫びの意味も込めて五千円札一枚と千円札一枚の最小枚数で六千円を払ってお釣りはいらないと言った。Ricoは変わらずそんなの申し訳ないとおどおどするが押し切った。
「えっ、こんなに番号良いんですか! Ricoさん何番ですか?」
「……リョウ、さんの次です」
熱烈なファンはよくチケットを確実に取るために複数の名義を使ってチケットを同時に申し込む。その余ったチケットなのかと思ったがその予想とは裏腹に番号は三十番台であった。これは直ぐに呼ばれる。
「そうだったのですか、じゃあ一番違いですけどRicoさん先に入ってください。僕ご覧の通りまだ荷物を持ったままなのでこれを預けなきゃいけないですし」
「わ、わかりました。会場内クロークありますのでそれを利用した方が良いかと」
急いで必要な物を仕分けるが、あの人物が気になっていて思ったほど手は速く動かない。マスクをしていたがあれは間違いなく志保のような気がした。髪型でなんとなくわかった。
リョウが一瞬振り向いた時、咄嗟に下を向いたのも気になった。志保は今日、来ているかもしれない——
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