釘を打つ

増田朋美

釘を打つ

釘を打つ

その日も風はさほど強くないが、春らしく、暖かい日であった。のんびりした暖かい一日。こんな日は何処かへ出かけたくなるが、現在は自粛の日々で、たのしむことも何も出来なくなっていた。何かすると言えば、テレビゲームの仮想現実の中に身を泳がせて、夢想の世界に身を置くことであった。そんな中、このご時世を反映させて、あるものが爆発的に増えている。もしかしたら、そのせいで新たな被害者が出てしまうかもしれない。

その日、杉ちゃんとブッチャーは、スーパーマーケットに買いものに出かけた。最近は、なんでも通販で買ってしまう人が増えているが、生鮮食品だけは、当日に購入しないとダメなこともあるのである。

杉ちゃんが、寿司を2パックかごの中へ入れて、さて、レジへいこうとしたところ、先にレジの近くに並んでいた男女が、何か買い忘れをしたらしく、急に方向転換したので、女性が持っていたかごが、杉ちゃんの顔にガツンとあたってしまった。

「いったいなあ。打ち所が悪かったら、怪我をする所だったじゃないか!」

と、杉ちゃんが言うと、

「どうもすみません。急いでいたものですから。全く気が付きませんでした。ごめんなさい。」

と、若い女性は急いで謝罪したが、持っているかごの中には、農薬がいっぱい入っていた。農薬という文字は、杉ちゃんには読めなかったが、花の絵がついていたので直ぐに分かった。

「お前さんは、花屋か何かやっているのか?」

杉ちゃんは、急いでそう聞いてしまう。

「ええ、まあそんな感じです。」

と、彼女はそういうのであるが、そういう小さな嘘も見逃さないのが杉ちゃんである。杉ちゃんは女性の顔から足先までを一通り寝女回して、

「違うだろ?それを飲んで死ぬつもりだった。これが答えだよな?もうちゃんと見えてるよ。そんな風に大量の毒物を用意する花屋はないから。」

と、カラカラと笑った。

「すみません。余計なことを言わないで貰えないでしょうか?」

近くにいた男性が、杉ちゃんにそういうのであるが、

「だって、ほんとの事じゃないかよ。幾らなんでも若いうちに逝ってしまうのは、いけないことだぜ。あんたらも、ちゃんと生き抜かないとな。」

と、杉ちゃんは言った。

「まあ、いずれにしても、自殺をするような事だけは絶対にいかん。お前さんたちを放っておくわけにはいかない。まあ、僕のうちへきて、僕らの手伝いでもしろ。」

男女は逃げようという顔をしたが、杉ちゃんのデカい声が周りの人に丸聞こえで、もう周りの人たちに気が付かれてしまっていたので、二人は、そうするしかないという顔をした。

「まずはだな。僕の代わりに岳南タクシーに電話して、車いすでも乗れるタクシーをチャーターしてくれ。」

と、杉ちゃんに言われて、男女は嫌な顔をする。ブッチャーが、之ですよ、と岳南タクシーの電話番号を書いた紙を二人に渡した。女性のほうが仕方ないという顔をして、岳南タクシーに電話した。

「はい、岳南タクシーです。」

女の人の声だった。

「あの、車いすでも乗れるタクシーを一台よこしてほしいのですが?」

と女性がいうと、

「はい、あの、お客様は今どちらにいらっしゃいますか?」

と、係員がいうので、急いでスーパー吉川と女性は言った。その次に、車いすの人を含めて何人いるかを聞かれたので、四人と答えた。すると、タクシー乗り場で待っていてくれと言われた。女性が電話を切ると、杉ちゃんの方は、寿司の代金をSuicaで支払ってしまっていた。全員、タクシー乗り場に向った。タクシー乗り場は、全く混雑していなかった。四人が待っていると、大きなワゴン車のタクシーがやってきた。杉ちゃんの方は、運転手に手伝って貰ってタクシーに乗り込み、乗ってくださいとブッチャーに言われて、二人の男女も乗り込んだ。杉ちゃんが当然のように運転手に手伝って貰いながらタクシーに乗りこむのを、二人は驚いた顔で見ていた。

「所でお前さんの名前はなんていうの?」

杉ちゃんが二人に名前を聞くと、

「峰岸宏。」

「斎藤京子。」

と二人は答える。

「何だ、夫婦じゃなかったんですか。」

と、ブッチャーが思わず言った。

「ええ。俺たち、初対面なんです。インターネットでやり取りはしていましたけど。」

と、男性の方が、そう答える。

「はあ!それで自殺をしようと思ったのか!何を考えているんだ。全くな、そんな馬鹿なこと考える

もんじゃないよ。そういうことじゃなくて、一緒に生きることを考えろ。」

と、杉ちゃんが言った。

「でも、生きようなんて。私たち、生きている意味もないんですから、もう消えた方が良いって、そう思ったんです。」

京子が、小さい声で言った。

「はあ、でもさ、生きてた方がよかったと思うことだってあると思うけどな。」

と、杉ちゃんがいう。

「あの、二人は、もしかしたら、精神科とか、そういうところに通っていたんですか?それで知り合ったとか?」

ブッチャーがいうと、

「俺は違うけど、京子は通ってました。でも、そういうところなんて何の役にも立たないですよね。医者は上から目線だし、薬を大量に出すだけの無責任な人ですよ。」

と、宏がそういうことを言った。

「いや、そうじゃないね。良い医者もいるよ。影浦先生何て、ちゃんと診察してくれるもん。まあ、たまに破医者もいるかな。」

杉ちゃんがデカい声で言うと、

「いやねえ杉ちゃん、影浦先生は特別だよ。大体の医者は、自分の金儲けしか考えてないものばっかりじゃないか。俺の姉ちゃんもそうだった。医者のせいで、病気をより悪化させたことはよくあったから。」

とブッチャーが言った。

「俺の姉ちゃんなんかは、最初の医者に飲まされた薬が合わなくて、俺たちに突然暴力をふるったりしたんだよ。精神安定剤と言われた薬でね。容姿だって劇的に変わっちゃったよ。まあ今は、薬減って普段と変わらない美人になっちゃいましたけど。」

「そうですよね。京子も、確かに激太りしました。医者は病気を直すためには我慢しろと言いましたが、何も変わらないと言います。精神科何て役に立つんでしょうかね。だって、何年も京子は通っていたけど、ずっと変わらないんですよ。」

「まあなあ。薬何て役に立つか立たないか、わからないものだというのは認めます。」

とブッチャーは大きなため息をついた。

「はいお客さんつきましたよ。」

杉ちゃんの家の前でタクシーは止まった。

「はあ、いまだに平屋ですか。」

と、宏が驚いていった。

「俺、大工だったから分かるんですよね。今平屋何て立てる人、そうはいないですよ。」

「当たり前だ。車いすの人間に、二階なんているもんか。まあ、お前さんたちは、僕の家に空き部屋があるから、そこで寝ろ。」

杉ちゃんがデカい声でそういうと、二人は、嫌そうな顔をしているが、そうするしかないという顔をして、

「よろしくお願いします。」

と、言った。とりあえず、杉ちゃん本人は運転手に手伝って貰って、家にはいらせてもらう。平屋と言ってもかなり大きな家で、確かにひとつ空き部屋があった。六畳くらいの畳の部屋であった。とりあえず、腹が減っているだろうから、食堂へ来いと杉ちゃんに言われ、宏も京子も食堂に行く。

「とりあえず、カレーをつくってやるからそこで待ってろや。」

ブッチャーは杉ちゃん寿司はどうするんだといおうとしたが、杉ちゃんはもう冷蔵庫から野菜をだして、野菜を切り始めていた。そして、どんどん野菜を炒め、水を入れ、10分ほど煮込み、ルーを入れる。しばらくすると、京子と宏の前に、カレーがひとつづつ置かれた。

「肉は入っていないけど、野菜だけのカレーだ。思いっきり食べろ。」

と、杉ちゃんにさじを渡され、二人はカレーを口にした。そして思わず

「おいしい!」

と異口同音に言った。

「なるほど。杉ちゃんのカレーはおいしいもんな。食べられば大丈夫だ。きっと何とかなると思うよ。」

ブッチャーは思わずつぶやく。

「こんなうまいカレーを食べたことありませんでしたよ。皆、レトルト食品とか、コンビニ弁当ばっかりでしたから。」

と、宏がいう。

「だったら、料理位できるようになったらどうだ?料理できるようになると楽しいよ。ストレス解消にもなるし。なによりも、自分で作った物を食べられるってのは、すごい事だからな。」

二人がおいしそうにカレーを食べているのを見て、杉ちゃんがカラカラと笑った。

「でも、料理なんて、商売になるものじゃないじゃないですか。私たちは、それでお金を儲けることはできないじゃないですか。そんなことやっても、意味がありませんよ。私は、お手伝いとして料理してましたけど、役に立たないなとつくづく感じていますよ。」

京子がいうと、

「そうですかねえ。最近は調理師なんて言って、料理を専門にする人もいるんだから、それをやってくれれば良いと思うんだけどね。」

ブッチャーはつぶやいた。

「それに、宏君だっけ、きみは大工なんて素晴らしい仕事だと思うけど?家を建てるなんて、すごいことじゃないか。二人とも、料理に大工、ちゃんと居場所があるじゃないですか。それを本当はもっとすごいことになるって、気が付いてくれたら、自殺なんてしなくても良いんじゃないですか?」

「そうなんだけどね、、、。」

と、宏が言った。

「職場の上司は、変に威張ってばっかりで、ここが悪い、ここがだめだとかそういうことばっかりいうんですよ。」

「何だ。そんな事ならさっさとやめて、新しい所を探せばいいの。もう終身雇用何て言葉は死語なんだから。答えは見えてる。そんなの、簡単な事じゃないか。」

宏の言葉に杉ちゃんはデカい声で言った。

「そうなんですけどね。おじさん。新しい所を探すっていうんだったら、死んだほうが良いと思ったんだよ。もう俺の両親もいないしさ、生きてなくても良いかなとおもっちゃって。」

「おじさんじゃない。杉ちゃんと呼んでくれ。僕は、杉ちゃんと呼ばれるのが一番いい。僕の名前は影山杉三だが、それも嫌いだよ。ちなみにこいつは、僕の大親友で、須藤聰。通称はブッチャー。」

杉ちゃんがブッチャーを顎で示した。

「確かに、似てますね。」

京子がブッチャーを見てそういった。須藤聰は確かに本当のブッチャーと体型が似ているのだった。

「よし、そう言えるんだったらお前さんも大丈夫だ。今はお料理だって仕事にできる時代だ。それを生かして、家政婦するとか、そういうことをして生きてみろ。調理師の資格が欲しいなら、そういう学校にいってもいい。どうせ死にたいと考えるやつは、時間が膨大な位ある奴らだ。それを別の方向へ利用してしまえば良いんだ。通信講座だって良いじゃないか。それで何とかして、生き抜いて見てくれ。」

杉ちゃんがデカい声でまたそういうことを言った。

「それでいいじゃないか。もうお前さんたちの居場所はちゃんとあるの。それを利用して生きればそれで良いの。」

「でもおじさん。俺、自信がないよ。うまく仕事がやれる奴は、他にもいっぱいいるじゃないか。俺はただのひとりの大工に過ぎないし、家をつくるなんてことはできないんだからね。俺、大工と言っても一番端くれだよ。そんな奴に生きている価値なんかあるのかな?」

宏はまだ自信がなさそうに言った。

「私も、家の人のご飯をつくるくらいしかできないから、プロになる何て無理だわ。」

京子もそういうことを言っている。最近の若い奴は本当に自信がないんだなとブッチャーは思った。姉の有希だって、容姿だけでも自信のあるものがあるのに、彼女たちは本当に何も取り柄がないと、自分で思いこんでいる。

不意にブッチャーのスマートフォンがなった。

「はいはい。何ですか?ええ?突風でたまの家の屋根が吹き飛んだんですって?ああ分かりましたよ。じゃあ直ぐに、修理屋に電話しますから、一寸待っててください。」

「一寸かせ!」

杉ちゃんはブッチャーの持っているスマートフォンをむしり取るように、借りた。

「ああ、水穂さんかい、お前さんも優しいね。たまの犬小屋がぶっこわれて、何とかしてくれなんて電話をよこすとは。修理屋は呼ばなくて良いよ。ちょうどいい職人をそっちへ送る。一寸まってな。きっと直ぐに直してくれるよ。保証してあげるさ。ははははは。」

杉ちゃんにそういわれて、宏は自分の顔を指さした。電話を切ってブッチャーに返した杉ちゃんは、

「よし、仕事が出来たから、今から製鉄所へ行って、犬小屋を修理しろ。」

と、宏に言った。犬小屋を直すなんてという顔をしている宏に、

「当たり前だ!犬だって大事な家族。お前さんだったらすぐに直せるだろ。」

杉ちゃんはカラカラと笑っている。ブッチャーは、強引な杉ちゃんに一寸嫌な顔つきをしたが、

「こういう時は大事なチャンスなんだ。それを逃してはいかんぞ。」

と杉ちゃんがいうので、連れていくことにした。また岳南タクシーに電話して、製鉄所まで四人で乗せて行ってもらう。製鉄所という名前なので、鉄をつくる工場なのかと宏も京子も思っていたらしいが、そのような雰囲気は何処にもなく、日本風の旅館のような建物だった。なんでも、製鉄所とは名ばかりで、居場所のない若い女性たちが、勉強したり仕事したりする場所として機能している施設だった。

杉ちゃんたちは、製鉄所の正門の前で下ろされる。製鉄所の玄関はインターフォンがなかった。なので杉ちゃんはいきなりガラガラと戸を開けて、おーい、来たぞ!とでかい声で言いながら、どんどん入ってしまう。宏も京子もブッチャーに、悪いことはしないから、どうぞ入ってくださいといわれて、しぶしぶ中へ入った。杉ちゃんに先導されて、四畳半にはいると、中にいたのは水穂さんだ。ちゃんと来客があると分かっているのか、布団は畳み、銘仙の着物に袴を履いている。ブッチャーは、水穂さん容体はどうですかと聞いたのだが、それには答えなかった。

「そんなことより、たまがかわいそうです。何とかしてやってください。」

と、彼は言った。確かに、水穂さんがしめしている通り、中庭に置いてあるグレーハウンドのたまの小屋の屋根が外れていた。なんでも今日の明け方、大渕は荒れた天気で、嵐みたいに突風が吹き荒れていたという。犬小屋の屋根が外れたのはまさしくそのせいである。

「そうか。じゃあこいつに修理させようぜ。じゃあ、頼むよ。」

杉ちゃんは、宏の肩を叩いた。宏は嫌そうな顔をする。

「すみません。僕が何とかできれば良いんですけど、僕にはそういうことは出来ませんので、御願いしたいです。確かに、腕の良い大工さんでありながら、犬小屋の修理を頼まれるなんて、そんなことは、プライドに触ると思いますけど。すみません、杉ちゃんが連れてきたもので。」

水穂さんは申し訳なさそうに言って、宏に頭を下げた。

「そんな事言わなくて良いんだよ。たまだって立派な家族だよ。このままだと屋根のない犬小屋で寝起きすることになるだろうが。それじゃあ、かわいそうだろう。ほら、早く板を買ってくるなりしてさ、犬小屋を直してくれや。」

杉ちゃんが、水穂さんと宏を眺めながら、デカい声でそういった。確かに庭にはたまがいて、とても悲しそうな顔をしているのであるが、

「しかし、それをするんだったら、俺じゃなくて、もっと腕の良い大工を呼んだらどうでしょうか。俺、大工と言っても、そんなに大した腕はありませんよ。」

と、宏は情けないセリフを言ってしまうのであった。

「バーカ!大工だろ?お前さんは。小さな仕事でも引き受けるのが職人の域ってもんだと思うけど?」

と、杉ちゃんがいうと、急に水穂さんがせき込んだ。単なる風邪とか気管支炎とか、そういうものとは全然違う、ひどいせき込み方だった。ブッチャーが急いで、水穂さん無理しないで横になったらどうですか?というのであるが、水穂さんはそうしないで座ったままだった。やがて、水穂さんの口もとから赤い液体が漏れ出すと、京子の表情が変わる。

「おい、どうしたんだよ。お前誰の事を考えているんだ?」

と宏がいうと、

「宏さん、この人の願いをかなえてやってください。この人は私たちよりもずっと不幸な人です。悲しい人生を生きてきた人です。」

と、京子は懇願した。

「一体、どういうことだ?」

宏がなにが何だかわからないという顔をして、そういうと、

「この人は、多分きっと同和地区というところから来て、さんざんに馬鹿にされてきたんだと思うの!もしかしたら、最後の望みになるかもしれないじゃないの。だから、助けてあげてください!」

京子は、宏に言った。宏も、ブッチャーが飲ませた薬で、やっとせき込むのが止まった水穂さんをみて、ある覚悟を決めたらしい。

「分かった。じゃあ今から、ホームセンターに行って、板と釘を買ってくる。」

と、宏は、直ぐに立ち上がった。ホームセンターはすぐそこにあったのが良かった。数十分して板を買ってきた宏は、一心不乱にたまの家の屋根を修理し始める。本人は自信がない何て言っていたが、そんなことは全くない。釘を打つのも、板を動かすのも非常に速かった。宏がトンカチで釘を打ち付ける音を聞きながら、水穂さんもにこやかに笑ってくれたようにみえた。

「何だ、上手じゃないか。誰か腕のいい大工なんて、目の前にいるじゃないかよ。」

杉ちゃんに言われても宏は一心不乱に釘を打ち続けるのだった。それを見た京子も、

「私も、頑張って生きてみようかな。」

と小さくつぶやいたのであった。

「じゃあな、もう自殺なんてしないで、しっかりいきぬいてくれると誓ってくれるか?」

と、杉ちゃんがいうと、京子ははいと答えた。その目は釘を打っている宏を見つめている。ということは、京子さん、宏さんのことが好きなんだねとブッチャーは言おうと思ったが、それは言わないほうがいいかなと思ってやめておいた。




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釘を打つ 増田朋美 @masubuchi4996

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