月守の少年と片想い少女

S`zran(スズラン)

 

 月守の少年、それはとある田舎町に住む変わり者の少年をさす言葉である。

 少年の名はウィル。

 彼は町の端にある小さなボロ小屋に住んでおり、金かあるいは労力がないのかその今にも崩れんとしている家を改修することなく生活していた。

 ここまでであれば、ただの貧乏な少年で済んだものを、彼の奇行とは呼べぬが傍から見てよくわからない日課によって、彼は町の人々に二つ名が付けられているのだ。


 それは、夜になると自宅のすぐそこにある高さ数メートルの広葉樹の枝に座って月を眺めること。

 天文学者でもなく、月への居住を考えているわけでもない。

 そんな彼がただただ月を眺めている。

 この行動に町の人々は不思議に思った。

 そして、いつしかその様を『まるで月を見守っているようだ』と論じたことから。彼は月守の少年と呼ばれるようになった。


 ある満月の夜、月守の少年ウィルのもとに一人の少女が現れた。

 彼女の名はマリーネ、町で料理屋を営む夫婦の娘である。

 彼女が偶然にも彼を見かけたのは数週間前のこと。

 彼女の住まい、もとい両親の営む料理屋は彼の自宅からそう離れた位置にあるわけではない。

 たまたま店の裏で洗い物をしていた際に、彼女はいつものように広葉樹の枝に座って月を見るウィルを見つけた。

 月明かりに照らされる彼を見た彼女は、あろうことか恋をしてしまったのだ。

 ウィルはボロ小屋に住む底の知れない不思議な少年であったが、明確に良い点として容姿端麗であった。

 それ故に、ロマンチストであった少女のマリーネには彼が白馬の王子と同等の存在に映ったことだろう。


 それからというもの、遠くで彼を眺めはすれど近づけずにいたマリーネ。

 意を決してようやく彼の半径二メートル圏内に入ることができたのだ。

 それが今日のことである。


 近くで見るウィルはより綺麗に見えた。

 決してマリーネを見ることはなく、月のみを視界の中心に据えたまま彼は話し始めた。


「こんな夜にお客さんかな? だとしたら、二年と三十五日ぶりだ」

「あの! 私、マリーネっていいます!」

「マリーネ……いい響きだね。新たな色や宝石を見つけたとしたら、君と同じ名を付けるだろう。それまでに、澄んでいる名だ」

「ありがとうございます」


 自分の名前が褒められた。

 彼女にとってその事実はたまらなく嬉しいもので、愉快に動物と踊ってランチに持ってきた手作りのサンドイッチを譲ってしまうほどである。


 しかし、決してウィルはマリーネを見ることはない。

 夜風が彼女に間を意識させる。


「……あの、何を見ているんですか?」

「月だよ」

「どうして、月なんですか?」

「僕が、月を愛しているからだよ」

「月を、愛している?」

「月は白く、美しい。美しいものであるならば、人にせよ物にせよ愛すに等しい。誰でも愛する権利がるということだ。どこかの国ではウサギ、カニ、少女がいるなんて聞くけれど、本当なのかな? 僕に疑問をぶつけ、好奇心が煽ってくれるのも月だけだ」

「誰にでも、愛する権利はある……そうだと思います」


 マリーネに彼の言っていることの十中の八は理解に苦しいものであった。

 しかし、一部を自己に良い解釈をすることで話を合わせるのだった。

 噂通りの不思議な少年。

 それでも、愛する権利があるのなら私は彼を愛する。

 彼女の想いが確固たるものとなる瞬間であった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 別の日、ウィルはまた月を眺めていた。

 そして、マリーネもすぐそこにいた。

 昨日と変わらず、二人は決して目が合うことはない。


「今日も来たんだね」

「はい」

「昨日もだったが、今日は満月だ。何か素晴らしいことがあるかもしれないね」

「どうして、月を愛しているのですか?」

「それは……少し難しい質問だね。でも、こたえてみせるよ」


 そう彼は言ったが、次の言葉が紡がれるのは数秒後である。


「月はね、僕にとって母さんのような存在なんだ」

「お母さんですか?」

「そう。月は僕をずっと目を逸らさず見てくれた。いつからかはわからないけど、たぶん生まれた時からずっと。他の大人たちは臭い物に蓋をするように僕を町の端まで追いやったが、月だけは僕を人として見てくれる」

「人として見てくれる? 月に目はありませんよ?」

「見えるものが全てとは限らないだろう? 本当は目が、耳が、髪が、鼻が、口が、そういった器官があるかもしれない。僕たちはまだ月の近くまで行ったことがないのだから、否定はできないさ」

「……なるほど」

「それにね、否定をしないのさ。イエスでもノーでもない。答えは沈黙、それが僕を人としていさせてくれる根拠なんだよ」

「ウィルは詩人なんですか? まるで、そんな独創性を感じます。感性、でしょうか?」

「詩人なんかじゃないよ。仮に僕が詩人だとして、誰が僕を詩人にしてくれるのかな? 詩人にしろ、発明家にしろ、学者にしろ、誰かがそうであると認めなけらばなりたたないんだ。肩書きとは、背負うものではなく最初は背負わされるものさ。ここの連中は僕を人として見ていない。だとしたら、僕は月守の少年と呼ばれる人の形をした動物さ」

「でも、私はあなたをウィルという一人の人間として見ています! この愛情をもってそれを証明することだってできます!」


 夜風を消し去るような大きな声でマリーネはそう主張した。

 演劇のような音に感情を乗せた言葉ではないが、想いは負けず人一倍大きいものである。

 これは告白である。


 だが、ウィルは静かだった。

 そして、そのまま口を開く。


「そうか、君も僕を人として見てくれるのか……幸せだね」


 しかし、その顔に笑顔はなかった。

 また、マリーネは一度も自分を見てくれないことに悲しさと少しの怒りが芽生え、どうにかして彼を振り向かせたいと考えるのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 二日後、月は少し欠けていた。

 多くの人にとってそれはたった一度の気温変化のごとく、なんてことのないものであったが、少年にとってはそうではない。

 今まで毎日夜になると自身の背後に現れていた少女が昨日はいなかった。

 ウィルは疑問に思いつつも、体調が優れなかったのだろうと考えるのみに留まった。

 なにせ、今日は現れたのだから。


「こんばんわ、ウィル」

「やあ、マリーネ。満月は終わってしまったが、今日も月は美しい」

「ええ、でも少し寒いわ」

「そうかもしれないね。夜風は冷たいものだ」

「ねえ、ウィル。お腹は空いていませんか? もしよろしければ、スープはいかが? 山で採れたきのこを入れた、体の芯から温まるスープよ」

「スープ? 久しく飲んだことがないね。なにせ、僕は水しか飲まないのだから。ありがたくいただくよ」


 彼は決して広葉樹の枝から降りることはなかったが、それで問題ない。

 マリーネ自らが木を登ってきてくれたのだから。

 彼女はウィルの横に座ると左肩から掛けた黄土色の革のバッグを開ける。

 中から長い筒を取り出し、蓋を開けると中にはスープが入っていた。


「はい、どうぞ!」

「ありがとう」


 彼は彼女を見ることなく筒を受け取ると飲み始める。

 数秒後、口を離すと白い息が漏れる。


「どうですか?」

「とても美味しいよ。たしか、君は料理屋を営んでいたんだったね」

「ええ! 今朝採れたばかりの美しく美味しいキノコを入れましたから!うふふ♪」


 ウィルが自分の事を少し覚えていてくれた。

 マリーネにはこのことが嬉しくてたまらなかった。

 それはきっと、どのような喝采、拍手をも超えるものであり、自分が心底ウィルに見惚れていることの証拠でもあった。


「全て飲み干してしまってください。明日もまた持ってきます」

「ありがとう」


 彼女は微笑を浮かべた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 翌日も、その翌日も、彼女はウィルの横に着いてはスープを与え続けた。

 ウィルも彼女の優しさに触れるのに嫌な気などしなかった。

 しかし、少しずつ進んでいた。

 彼女の待ちわびた時間が。


 あれから何週間と日が経ったとき、マリーネは彼の自宅を訪れた。

 いつもなら広葉樹の枝に座って月を見ているはずの彼だったが、今日に限ってはまだボロ小屋の中にいた。

 もちろん、彼女も知っていた。


「ウィル……ずっと貴方の視線が欲しかった」


 マリーネがボロ小屋のドアを開けて中に入る。

 月光が部屋の中に差し込み、わずかな風で浮いた埃を歌劇の主役のごとく照らし、その中心には古びた木製の椅子に座ったウィルがいた。

 彼は放心状態かのような状態で、斜め上を眺めていた。

 その目に光はない。


「誰だい?」

「私です、月です。貴方の母なる月です」

「月……? 月なのか!?」


 彼はゆっくりと立ち上がり、小刻みに震えだす。

 感動と歓喜の呻きが漏れる。


「君には、目があって、耳があって、口があるんだね! そうでなければ僕の元へは来れないさ! そうに違いない!」

「ええ、私には目が、耳が、髪が、鼻が、口があるの。それに、アナタを抱きしめることのできる手も、体だってあるわ」

「そうなのか……君は月という名の人間なんだね。もしくは、僕のために人間に月の魂を込めた月そのもの。でも、いいんだ。それでいいんだ。僕が愛した美しい月が、僕に会いに来てくれただけで」

「ええ、私も貴方を愛しています。ずっと……貴方を見ていましたから」

「そうか、そうなんだね。僕たちは相思相愛だったんだ、親愛の関係だったんだ! こんなに嬉しいことはないよ!」

「さあ、私のもとへ来て、ウィル。この愛と肉体をもって、貴方を我が子のように抱きしめましょう」

「ああ、僕の月——僕の母よ。肌で感じられることが光栄だ」


 二人は抱き合い、お互いの温もりを感じ合う。

 今二人には、幻聴であれ祝福の笛が鳴ったことだろう。


「ウィル、これからもずっと、一緒ですよ」

「ああ、もちろんだよ」


 歪な愛が形成された瞬間であったが、それを知るのは彼女だけである。

 ここから先は、語られまい、語るまい。

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