第35話

「もう、お戻りになられるので?」

 影武者は不思議がった。

「いや、何も変わっていないのだよ。雌雄も決してもいない。武はいい男だ。だが、本星一つとは到底比べようもないであろう。今はまだ……戻れん……」

「一度は武に出会って……みたかった」

 影武者は涙をこぼした。

 私はとうに枯れたせいで涙がでないが。

 恐らくは、影武者と同じ顔であろう。

「遠いな。もはや年を数えることもできないほどに……」

 私は本星に帰ることを今でも夢見ていた。

 影武者は、今でも浦島太郎のことを想っていた。

「さあ、御行き下さいませ。武の元へ……これからは避けられない決戦です」

「……そうであろうな……」

 もはや、影武者と私はお互いに相入れない立場なのだろう。

 幾百もの時と戦いのもとで、お互いに、まったく違う存在になってしまっていた。

 悲しいが、それが現実であろう。

 私は武の元へと飛んだ。

 竜宮城の窓から外へ出ると、深海の中。私の胸には武たちの必死な努力と生命力。そして、笑顔があった。それらと、本星の数多の生命群が二つに分かれていた。


 もはや、どちらが大切なのかは私にもわからなくなっていた。




 一方 ここは天鳥船丸である。

 南極の竜宮城目指して高速で飛ぶ天鳥船丸に驚いていると、フロアでは武と光姫の手合わせの真っ只中であった。

「いきます!」

 光姫は長刀を目にも止まらぬ速さで横一文字に薙ぎ払った。けれど、即座に武は腰を低くし、光姫を飛び越えてしまうほどの跳躍をし、空中で一回転をした。光姫の背後を取った武は着地後に木刀を光姫の首筋に寸止めで、素早く押し当てようとした。

 その時、長刀の刃の反対側。石突きが武の胸に迫っていた。


 それは武の胸に食い込んだが、武は動じずに見事、光姫の首を寸止めだが取ったようだ。

「お見事です。ここまでよく鍛えましたね」

 こちらに振り向いた光姫は、冷汗でびっしょりといった感じだったのだが、微笑んでいた。

「ガハッ! 鬼姫さんのお蔭です」

 武は吐血をして木刀を光姫の首から離し、少し天井を見つめた。

 武自身、やっとここまで来たと思っているのだろう。

 それは私もである。

 鬼姫よりも強い光姫を乗り越えたのだ。

 今後はあらゆる剣術の基礎のおさらいである。

 武は四海竜王と戦う以外にはタケルにはならないようだ。恐らくは内面で二人で相談したのだろう。

「お怪我が心配ですので、早くに医務室へと行きましょう」

 光姫の一声で武は血を吐いていることに、やっと気が付いたようである。腕で口の周りの血を拭うと、武は律儀に礼をしていた。

 本当に真面目な男である。

 血のりのついた腕を見ると、少し心配になるが、光姫は神業ともいえる手加減をしていたのだろう。

 あまり武の胸は痛んでいないようでもある。

 光姫と医務室へと向かう途中。武は一時だけタケルになった。

「光姫。他の者は強いのか?」

「ええ……タケル様も驚きましょう」

 光姫はニッコリ微笑んで、

「それでは、里奈と湯築さんの稽古を、後で見て差し上げて下さい」

 タケルが武に変わった。


「ええ。是非……」

「里奈の開眼ももうそろそろですよ。武さん」

 道中、複数の巫女が通路を歩いていたが、皆武の口の周りの血で心配そうな顔をした。

 医務室では武の胸に光姫が丁寧に薬草を塗り込み包帯を巻いていた。

「御怪我は? まだ痛みますか? 少しでも痛いのでしたら、遠慮なく御言いくださいね」

 光姫のとても優しい声音に、武がこれからのことについて疑問を口にしたようだ。

「光姫さん。俺……四海竜王に本当に勝てますか?」

「ええ……必ず……」

 光姫は包帯を巻きながらクスリと微笑んだ。その笑顔を見ると、なんとも、美しい女性であろうか。と、私は思った。恐らくは随一の美貌であろう。だが、武は更に真面目に不安な声音で続けている。

「でも、光姫さん……この際、俺の不安をもっと言わせてもらえば……相手は恐らく四人同時に来るんですよ。タイマンなら中学の頃からしてます……負けたことはないです。でも、今度は多勢に無勢だし……一度に巨大な龍の四人を相手に戦うのは……いくらなんでも……」

 あの武が自信がないとは。

 けれども、私は勝敗はタケルの勝ちと踏んでいた。

 光姫もニッコリと微笑んだ。

「大丈夫ですから……自分の内面や精神に自信を持ってください。タケル様ならきっと……さあ、今度は横になってください」

 横になった武はまた少しの間。天井を見上げていた。

 きっと、麻生のことを考えているのだろう。

 その証拠に、武の顔は見る見る精悍な顔になっていた。

 耳を澄ますと、ここから離れたフロアから。湯築と高取と鬼姫と蓮姫の激しい修練の音が鳴り響いていた。

 私は二人が気になって、すぐにフロアへと向かった。


 鬼姫の逆袈裟に抜き放った刀からの気が、フロアの床を迸る。それを湯築が横飛びで躱した。瞬時に高取の練習用の落雷が鬼姫の頭上に降り注ぐが、鬼姫は刀を鞘に納めて真後ろへ飛び避けた。

 次に蓮姫が足を踏み込み槍を袈裟懸けにした。途端に、フロアの頑丈な床が激しく振動し、フロアの壁にバンっという空気の衝撃の音が響き渡った。

 当然、高取は寸でのところで避けていた。

 湯築が素早く蓮姫目掛けて疾走し、先端にボールの付いた槍で胸板を狙う。

 蓮姫の胸に槍が刺さる瞬間、鬼姫が横からその槍を一刀両断にしていた。

 数多の落雷を躱し、蓮姫も鬼姫も呼吸が荒くなっていた。

 湯築は斬られた槍を持ちながら呼吸を整えている。大量の汗が湯築の身体から流れ落ちているが、鬼姫と蓮姫も同じであった。

 しばらく、皆の荒い呼吸だけが、フロアに響く。

 勝敗は練習なので関係はないが。ほとんど互角と言っていいだろう。

「よくもまあ、ここまでこれたね」

 蓮姫は感心し、鬼姫の方を見た。


「ええ、いざという時の勝負ではわかりませんが……。練習では、勝敗は決まりませんでしたね。湯築さんも高取さんもよく頑張りました」

 鬼姫は初めて二人に微笑んだ。

 蓮姫も鬼姫も、もう教えることはないと言った。

 後は、それぞれ基礎のおさらいとなった。

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