第34話 一万キロの恋と五百年の恋

 ここは天鳥船丸から13000キロ先である。おおよそ日本から南極までの距離が15000キロなので、もうすでに南極大陸が見えていた。

 氷山が浮かぶ極寒の海の底の竜宮城は、魚や貝が彫り込まれた外壁の中央に、桜や生い茂る葉が天空から舞う。春夏秋冬の木々に囲まれた巨大な城がる。その周囲に更に珊瑚でできた武家屋敷や民家などの種々雑多な建造物がある。人々が住んでいるのだ。


 四季彩る部屋の中央に乙姫の周りに四海竜王たちが集っていた。残るは北龍だが、北龍は続けざまの敗戦にもまったく動じていないようだ。

「それならば……これはどうかな?」

 北龍は生真面目な態度で四つの宝石を円卓の中央に並べた。

 それらは東西南北と並んでいる。

 周りには伏兵から足軽まで多様な駒が並んでいた。

「そうだね。武よ」

 東龍が素直に頷き、

「異存はないよ」

 南龍は些か憤りを持って言う。

「そうですね」

 西龍もこくりと頷いた。

 そう、総力戦にでたのだ。

「では、戦の準備をしてください」

 なんとも美しい声音であろうか。

 乙姫は、そういうと、静かにこくりと頷いた。

「それでは、今日はここまでです」

 乙姫はこの後の重要な会議のために席を立ったのだ。

  

 私は乙姫の後を追う。

 乙姫は常に水の滴る葵色の着物を着ている非常に美しい女性である。珊瑚の靴の踵を鳴らし、別の会議室へと向かった。

 これから口煩い魚人たちとの会議である。

 いつものことだが、乙姫は何も聞かず何も口にせず、我関せずを貫いていた。おおよそ500年前からの恒例であった。

 それは今でも変わらない。

 彼らは話を聞いてもらいたい一心で、それ以外には何もない。

 だから、乙姫は些かも関与しなかった。

 

 ここは竜宮城である。

 龍神を祀り。また、多くの魚神、海神を祀る城。

 魚人たちも実は魚神の変化であった。

 惑星の海がなくなることを恐れての侵略であった。それゆえ水の豊かな地球に目を付けたのだ。多くの海神が後30年で海水がなくなると予言している。

 全ての海の生命がその命を失う。

 乙姫はその時、異例なことをした。

 そう、頷いたのだ……。


 その頃に乙姫の前に現れたのが浦島太郎であった。

 当然、地球からも賢き者の数十人が竜宮城へと来たが、その中で取り分けて浦島太郎は精悍な顔であり異例の凡人であった。なんでもその突飛な発想が買われたのだ。皆、それぞれ水のなくなった惑星の原因を調べていたが、誰も何もわからなかった。

 水が失われる。

 乙姫は決断をせざるを得なかったのだ。そして、浦島太郎を追いかけたのだ。

 遥か遥か遠い世界から、この地球へと来た乙姫は今まで独り地球の安否を気遣っていた。


 それが私の運命であろう。


 だが、影武者であるもう一人の乙姫も孤独であったのだ。影武者と私は元は同じ生命体である。後に融合するが、その場合には一つの乙姫となろう。


 遠い遠い遥かなる海での誰も知らない出来事だ。

 

 本星の水の無くなる原因の一つに、惑星の中央に鎮座していた竜宮城の近くに大穴の空いた大陸がある。おおよそ2000億トンもの水が毎秒失われ、皆はいつの間にか水の失われた地と呼んだ。

 誰かが言った。

 それは水が地下へと流れ落ちている。

 誰かが言った。

 それは星に穴が開いている。

 浦島太郎が言った言葉は、

 それはなにものかが呑み込んでいる。


 白い珊瑚礁の円卓での会議であった。

 影武者は、10人の魚神の変化の魚人たちの言葉に静かに聞き耳を立てている。乙姫の背後の私も聞き耳を立てるが。

 耳にするのは四方の滝の音と魚人の一方的な控えめな声だけだ。

「このままでは本星の水が……完全に……いやしかたないので……」

「わかりました……よしなに……」

 重要な会議でも私の影武者は何も言わなかったが、けれども、一つの案件にだけ頷いていた。

 乙姫はいつも会議室に使う水の流れ落ちる円卓の間からでると、自室へと向かう。今日一日で何件かの事柄を聞いたが、今のところ一つの案件のみ頭に入っていた。

 ここ地球は取り分けて好きだった。

 数多の惑星の中で。

 だが、致し方ないのであった。


 乙姫の影武者は目を瞑り酷い葛藤で佇んでいると、自室への道すがら、東龍が水の流れる壁に寄り掛かっていた。こちらに気がつき囁いた。

「姫様。武はすごく良い奴だった……」

 東龍も恐らくは南龍でさえも地球への侵略を望んではいないのだろう。10メートル間隔で、幅のある廊下の天井は春夏秋冬と入れ変わる。

 天井の枝葉や行灯の光も枯れたかのようだった。


 ここでは冬の廊下であった。

 柔い光の行灯が壁の上部に連なり、枯れた落ち葉が、時々地面に落ちてくる。何やら底冷えしてしまいそうな廊下である。

 私は随分久しいなと思った。

「……もう……遅い。武とは一度は会ってみたかったな……」

 乙姫はそれだけ言うと、四季から切り取られた窓から、遥か彼方の海の向こうを見つめた。乙姫の瞳には遠い遠い海の最果てに、武の姿があるのだろう。

 いずれ、決断をしたことに後悔をするのだろうが、今は雌雄を決して準備に取り掛からなければならないのだ。


 どちらの星の生命が生き残るのか? それが今の唯一の問題であった。

 自室で乙姫である影武者の彼女と私が話すことは、何百年ぶりかとも考えているのだろう。だが、片付けないといけない事柄は幾つもあるのだ。

 乙姫の自室は、昔と何ら変わっていなかった。

 壁には温水や冷水が入り乱れて流れ落ち。所々、調度品である色とりどりの珊瑚が飾られている。壁面には水が撥ねる絵画があり、うら若い少年たちがこちらにお辞儀をしていた。

 私は乙姫の前に立った。


「久しいな……」

「お久しぶりにでございます」

 影武者は私の煤ぼけた着物姿を見て、「ああ、長い長い時を過ごしました」と言葉が漏れた。

 私は水の撥ねる鏡で外見を見た。

 そこには美しい女性が写っていた。

 中身だけなのだ。

 時の力で捻じれ老けてしまったのは……。

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