第25話
「あ、ええと。光姫さん? あの、早速で悪いんですが……。後で……お、おれとお手合わせをしてください。お互い実力をすぐに知りたいはずですし。このビルの外へ出たら、どこか広い場所を探すのもいいですね。それか、おれたちは船で旅をしていまして。その船の中でも……」
「それには及びません。もうすぐわかりますから」
光姫は笑顔であっさりとそう言い残してウィンクをし、高取に会いに行った。
きっと、武は光姫にどうしようもない恐れを抱いているのだろう。
その気持ちは私にもよくよくわかるのだ。
武だけではないと思うが、光姫に恐怖するのは、その特異な能力に由来するであろう。
これは目が離せないのではないだろうか。
はて? 背後から切迫した空気を感じて周囲を見てみると、高取、湯築と鬼姫や蓮姫までもが武と同じ気持ちであったようだ。
この美しくも恐ろしい化生に皆、ざわめいていた。
光姫に対して震える肩を摩っていた高取は、キッと口を結んで得体の知らない恐怖に耐えていた。
開口一番。
「お姉さん? で、いいのかな? これから私の稽古役をしてほしい。あまり会ったことがないけど、話はよく聞いているから」
光姫はニッコリ笑っている。
「はい。里奈には教えていいわね。私の力は……森羅万象を……」
その時、ドシンと建物が強く揺れた。まるで、ビル全体が歩いたかのようである。
誰よりも早く危険を察知した蓮姫が窓際に向かうと同時に、天井から粉雪のように埃が舞って来た。
地面は強く揺れ、同時に数多の龍の咆哮がビルの周囲にこだまする。
「揺れたましたー!」
「揺れましたね!」
「あ! 武様! 窓の外に龍がいます!」
窓を指す三人組の美鈴が言う通りに、一体の龍が高層ビルの窓をゆっくりと通り過ぎて行った。
「ここにいるのはマズイ! みんな外へ出よう!」
武がそう叫んだ。
しかし、エレベーターはこの衝撃で、恐らくは止まっているのだろう。
もはやこれまで……か。
それと、致し方ないが。高取は海南首相と光姫に会うことだけを占っていたのだろう。当然、その後のことは占っていなかったのだ。
私も知らなんだ。
光姫と首相はそれほど大きな存在だったのだ。
私は武から一旦離れて、このビルの周囲を見た。
周囲には優に1000は超える龍が集っていた。
「これくらい平気です!」
不敵な表情の光姫は感づいていたのだろう。
こうなることを……。
なんとかこの状況を打破できるのだろうか?
だが、これから光姫が数多の龍が徘徊する海を、遥々北海道から歩いて来たことが、嫌でもわかるであろう。
「この乗り物は動きません!」
「この高さじゃ、飛び降りるのも無理ね!」
鬼姫と蓮姫はエレベーターへと向かったが、ボタンを押してもやはりエレベーターは動かなかった。更にドシンという大きな衝撃音と殊更強い振動が皆を襲った。かなりの強い衝撃でエレベーターは完全に動かなかくなってしまったはずだ。
鬼姫と蓮姫は都会どころかエレベーターにすら疎いのだ。いや、知らないのだ。致し方ないのだが。
武と湯築と高取は切迫して、エレベーターを再度動かそうと考えているのだろうが。
三人組はいつも通り落ち着いていた。
私はまた武たちから離れ、このビルの外を見てみると、数体の龍がビルに何度も体当たりをしていた。
「鬼姫さん、蓮姫さん、光姫さん……仕方ないから階段だ! 湯築と高取は三人組と、ここで待っててくれ! すぐにおれがエレベーターを動かしてみせる!」
武は鬼姫の手を取って、蓮姫と光姫を促し廊下を慌てて駆けだした。
「この階段で降りましょう! さあ、早く! 私がしんがりをします」
どうやら光姫はエレベーターが苦手のようだ。
私が武たちが高速エレベーターを使っていた時。中を見れなかった私は、ポセイドンまで光姫が階段を使っているのを見ていたのだ。
それにしても凄い健脚である。
そして、都会慣れもしている光姫だった。
一番目は蓮姫。二番目は武と鬼姫、最後には光姫が広い廊下から東階段を飛ぶように駆けだした。
「いざ!」
光姫が目を瞑って階段を飛翔するかのように降り始めると同時に、暗黒のビルの外が急に仄かに明るくなりだした。
ビルの外を見てみると、夏だというのに極寒の地の吹雪が吹き乱れはじめた。
そして、数刻後には大きな雹が豪雨のようにここ新宿区へ降り注いだ。
このビルの周囲には、もはや龍が近づけないのではないだろうか? 武から離れてビルの辺りを見回してみると、突然に発生した巨大な竜巻が四方を囲んでいた。
龍が凍る。
大雨のように降り続ける鋭利な雹と死の極低温である。
東階段は幅が広い。
蓮姫が先頭に数十段の階段を、素早く六段飛びをしていた。踊り場で反転し身を翻して、また階段を飛び降りる。
ここ120階からエレベーターを動かす動力室までは、少しの時間で辿り着けるであろう。
けれども、もうすぐこのビルは倒壊するであろうが。
武たちがそれぞれの武器を置いていたエントランスに着く頃には、この建物の周囲は雪が降り積もり。なんと、氷山が囲んでいた。
「鬼姫さん。さあ、地下へ! 一緒に来てください! 蓮姫さんと光姫さんはここで龍を警戒して待っていてください!」
静まり返ったエントランスは、幾つかあるテーブルの上の花瓶が倒れているだけで、異常はない。
武と鬼姫は真っ暗な階段を地階へと降りていると、通路の端に立ち入り禁止と書かれたプレートのあるエレベーターの動力室を見つけた。
武装した鬼姫は動力室の中で、心なしか緊張したり興味深く辺りを見回したりしていた。動力室はせせこましく。オイルの臭いが強すぎのようだ。
大人五人も入ると、すぐに身動きができなくなる場所であった。
機械というものはよく知らないが、所々からの明かりが明滅している。
恐らく、無事にここでエレベーターが動かせるのだろう。
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