第44話 決起の時

この回の主な勢力、登場人物  (初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る一大国衆。少弐氏に従う

龍造寺剛忠こうちゅう …主人公 俗名家兼 龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の隠居 一族の重鎮

龍造寺家門いえかど …故人 家兼次男 水ヶ江家当主 

龍造寺家純いえずみ …故人 家兼長男

龍造寺孫九郎 …家門次男



少弐氏 …東肥前の大名 大内氏に滅ぼされたものの、再興を果たす

少弐冬尚ふゆひさ …少弐家当主 馬場頼周と共に龍造寺粛清を果たす

馬場頼周よりちか …少弐重臣 綾部城主 


西千葉家 …肥前東部の小城おぎ郡に勢力を持つ

千葉胤連たねつら …西千葉家当主


東千葉家 …肥前小城郡に勢力を持つ千葉家の傍流



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「佐嘉の者達は、皆待ち望んでおりまする! 一刻も早い御帰国を!」


 語気を強め清久は語る。


 筑後一木ひとつきにいた剛忠の元に、突然やって来たのは、佐嘉本庄の地侍、鍋島清久と彼の家臣二人だった。


 この時、清久はすでに老齢の域に達している。

 しかし鍋島家は、田手畷の戦いの前から水ヶ江家の傘下に入り、息子清房が家純の娘華渓を娶るなど、一門に準ずる立場となっていた。

 彼はその恩顧を大事に思い、わざわざ一木まで剛忠を迎えに来たのだ。


 剛忠は屋敷の居間に清久らを招くと、孫九郎同席の上で懇願に耳を傾ける。

 しかし彼の表情は、終始厳しいまま。

 そして聞き終えると、そなたの志は誠に有り難いが、と前置きした上で質問を投げ掛けた。



「ここにどれだけの兵を連れて来た?」

「我が領内の者三百。港に待機させておりまする」

「ううむ、それは余りにも無勢じゃ」

「されど大殿、佐嘉や小城の者達は今、少弐の御館に皆憤っておりまする。挙兵に及べば、皆味方となってくれましょう」


 剛忠は首をかしげる。

 謀略を以て龍造寺三家を屈服させた事で、佐嘉郡の者が憤るのは分かるが、小城の者が憤っているとは、どう言う事なのか。


 剛忠の疑問に、清久は小城の現状を語り始めた。



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 天文十四年(1545)一月、冬尚と頼周は、占領した水ケ江城の城番を、馬場、神代、小田の三家の交代制で務める事とし、龍造寺への仕置きを終えた。


 そして少弐家の威勢拡大を、次の段階へと推し進めた。

 それが少弐家と千葉家の一体化政策だった。


 すなわち、本拠を勢福寺城から、東千葉家の千葉城(牛頭ごず城)へと移転。

 それに伴い、東千葉家当主で、冬尚の弟である胤頼を、西千葉家本拠の晴気城へと移す、と決めたのである。

 

 狙いは千葉家の権威と武威の完全掌握。

 千葉城は東西に分裂する前、肥前の代表的な勢力として栄えた頃からの千葉氏本拠で、栄光の象徴だったのだ。


 そして西千葉家当主の胤連については──


「もはや不要になった故、討ち取ってしまえ」


 二月、そう考えた冬尚と頼周は、軍勢を東千葉勢と共に西千葉領へと向かわせた。

 突如の侵攻に驚いた胤連は、なす術無く、西の杵島郡白石へと逃亡。

 龍造寺から養子に迎えていた彦法師丸(後の鍋島直茂)も、一時的に佐嘉へ帰郷させられる羽目となった。

 さらにこの時、事もあろうに領内で乱暴狼藉を働いてしまう。


 三月、冬尚は千葉城に入った。

 だが当時、東千葉家は平井館を本拠としており、千葉城は詰めの城として、殆ど使用されていなかった。なので城内は荒れたまま。少弐、千葉の威光を示す城として、相応しい状態になかった。


 憂いた冬尚と頼周は、城普請を小城郡の民に命じる。

 だが昨年より続いた相次ぐ戦乱に、乱暴狼藉、そして普請と、民の鬱憤は溜まりに溜まり、暴発寸前となっていたのだ。



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 度重なる少弐の横暴。

 居間に居合わせた者達は、皆沈黙するしかなかった。

 その様子を見て、訴えた清久は一人悦に入る。

 これだけ少弐は罪を重ねているのだ、大殿も放っておけないだろう、と。


 しかし剛忠の返答は、彼の意に沿うものではなかった。


「よく分かった。だが、やはり一度佐嘉に戻り、よしみある者達を集め、もう一度迎えに参れ」


 期待を裏切られ、愕然とする清久と家臣達。

 慌てて孫九郎が、彼らに替わり剛忠に疑問を投げかける。


「いやいや、大殿、これこそ時節到来と言うもの。すぐにでも挙兵すべきではござりませぬか?」

「まだ早い。そなた、三百で佐嘉に戻って挙兵し、味方が誰も駆けつけてくれなかったら、少弐とどう戦うのだ? 敗れたら今度こそ、奴らも見逃してはくれまい」


「誰も駆けつけないなどあり得ませぬ。少弐に反発する者が多い今なら、城の奪還も容易く果たせましょう」

「そこだ。そなた、少弐に反発する者が多いというが、本当にそうか?」

「そうかって…… 何が申されたいのですか⁉」


「わしが懸念しておるのは、憤っているのは佐嘉や小城の者ばかりで、それ以外の者達は、むしろ歓迎しているのではないか、という事だ」



 剛忠は続けた。

 冬尚と頼周の目指すところは、当主への権力の集中と、家中の結束を図ること。

 しかしその達成には、敵対する一族や領主達を葬る、という犠牲が付きものなのだ、と。

 

 少弐の場合、龍造寺粛清や千葉家の掌握で恩恵を受けられるのは、佐嘉や小城以外の者達だ。

 これらは、特に肥前東部を中心に、少弐を支える基盤として未だ健在だった。


 挙兵に及べば彼らと戦うことになる。

 今や戦力には雲泥の差だ。事は慎重に運ばなければならない。

 特に初動の水ヶ江城奪回は、確実に成功を収める必要がある。

 もしここで躓く様なら、以降、少弐の軍勢と伍して戦うなど、夢のまた夢になってしまうだろう。


 城を奪い返すのに相応しい兵が、本当に集まるのか。

 剛忠が首を縦に振らなかったのは、それを見極める必要に駆られての事だった。



 居間は再び静まり返っている。

 しかし清久は項垂うなだれていたものの、すぐに気持ちを切り替えた。

 剛忠の申し出の通り、誼ある者を集め、後日必ず迎えに来ると約束し、屋敷を後にする。


 対して、不満気な表情のままなのが孫九郎。

 彼は二人きりになると、剛忠に近づいて尋ねる。


「一体、どれだけ集まれば良いのでござりますか?」

「千五百、出来れば二千欲しい。だがな孫九郎、心積もりだけはしておけ」

「えっ?」

「清久は佐嘉で顔の知れた男だ。おそらく集めてくるだろう」



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 そして暫く後、清久は約束通り、一木の屋敷に再びやって来た。

 剛忠は彼の案内のもと、港に向かう。


 そこには数十艘の舟が、所狭しと停泊していた。

 集まったのは、鍋島、鹿江かのえ久布白くぶしろ南里なんり、立川、内出、石井などの軍勢二千。

 皆、佐嘉郡内の与賀、川副に住む地侍達だった。


 

 港へと続く坂を下ってゆく。 

 出迎えるのは、長年誼を結び続けてきた顔なじみばかり。

 晴れやかに挨拶してくる彼らの顔には、はっきりと書いてあった。

 我らの主は、これからも水ヶ江家であり、龍造寺剛忠である、と。

 それは、嬉しくなった剛忠の足取りを軽くさせていく。

  

 やがて港に着くと、複数の船上に見えてきたのは、見慣れた旗。

 龍造寺の家紋、日足ひあし紋を印した旗。

 海風に翻るそれを見て、剛忠は顔を綻ばせると、船首に立って皆の前に姿を見せた。


「おい、大殿のお出ましじゃ!」


 噂を聞きつけ大勢の兵が集まって来る。

 伴って次第に大きくなる歓声。

 剛忠はそれに応え、兵達に向け両手を大きく、高く掲げる。

 皆の想い、わしは確かに受け取った──

 そう意思を示したのだ。


「えい、えい!」

『応っ!』


 大歓声はやがて掛け声に替わった。逆襲の二文字を心に刻みながら。

 意気を込めた咆哮が、地鳴りの如く響き渡る。

 それは剛忠と、そして遅れてやって来た、屋敷の者達の心を昂らせていった。


 隣で茫然としていた孫九郎に剛忠は叫ぶ。


「孫九郎、屋敷を引き払う! この声に乗るぞ!」


 穏やかな陽気と、爽やかに吹き抜ける有明の海風。

 それらに包まれた中、孫九郎は破顔して大きく頷くのだった。


 

 三月下旬、一木の伏「龍」はついに目覚めた。

 その日のうちに、法螺貝を鳴り響かせ、諸将の号令の下、舟を出航させてゆく。


 剛忠は彼らを順次見送る。

 そして自らも出航の時を迎えると、彼方を仰ぎ、心の中で強く呼びかけるのだった。



 家純よ、家門よ──

 そして無念にも散った水ヶ江の勇士達よ、しかと見届けよ!

 今より始まる、そなた達の仇討ちを! 龍造寺剛忠、最後の戦いを!

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