第27話 三津山夜襲(前) 八十一歳家兼の出陣

この回の主な勢力、登場人物(初登場を除く)


龍造寺氏 …肥前佐嘉郡を中心に勢力を張る国衆。少弐氏に従う

龍造寺家兼いえかね …主人公。龍造寺分家、水ヶ江みずがえ家の当主 一族の重鎮

龍造寺家純いえずみ …家兼長男

龍造寺家門いえかど …家兼次男


少弐氏 …本拠は勢福寺城 龍造寺家を傘下に置く東肥前の大名。大内氏と敵対


大内氏 …本拠は山口 中国、北九州地方に勢力を張る西国屈指の大名 

すえ道麒どうき …名将と称えられる大内家の有力者 周防国守護代

陶持長 …陶一族で大内家の重臣

原田興種おきたね …大内氏に従う筑前怡土いと郡の国衆 原田家の老年当主    


大友氏 …本拠は豊後府内 北九州に勢力を持つ有力大名 少弐氏と友好関係にある



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 五月十六日、陶勢、水ヶ江城攻めに失敗──


 その報せは各地で立て籠もる、少弐傘下の者達を驚愕させると共に勇気付けた。


 しかし陶勢の被害は軽微に抑えられており、勢福寺城攻略を続けるには支障は無かった。

 なので彼らはその後、勢福寺城城下で小競り合いを起こしながらも、三津山籾岳に居座り続けたのである。


 

 道麒は筑前、筑後平定の総大将だが、少弐討伐のため二月から肥前入りしており、五月で四ヶ月の長陣になる。

 それを可能にしたのは、対大友戦における大内勢の戦況優位だった。覆りそうもないところまで追い詰めていたのだ。


 大内勢は豊前から豊後に兵を進め、四月六日には速見郡山香郷・大群野にて交戦し、大友勢の大将三人を討ち取り勝利(勢場原ぜいばがはらの戦い)。

 また五月十八日には豊後国国東郡臼野浦にて、大内水軍が大友水軍を破り上陸を果たした。


 大友本拠の府内への侵攻は最早時間の問題。

 余裕の状況を受け、道麒は更に七月に入っても籾岳に居座り続けたのだった。



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 だが七月中旬に転機が訪れた。 

 新暦に直すと八月の下旬にあたる夏の終わりになって、連日の大雨と暴風が発生したのである。


 有明海では大潮が発生し、内陸へと遡上し、その高さは一丈(約三メートル)。

 加えて河川や水路の洪水が追い打ちをかけた。


 この地方の人々は水害には慣れており、対応も熟知している。

 だがこの時のものは別格だった。

 佐嘉郡、小城郡、神埼郡の村里はまるで海の様に一面浸水してしまい、死者は一万人余りに上ってしまう。 


 

 そしてこの惨状を、兵達と共に嘲笑いながら眺めていた者がいた。籾岳にいた原田興種と陶持長である。


「ほう~凄まじいのう、持長殿。合戦せずとも水攻めを喰らっている様だ」

「ふん、いい気味だ。我等を水ヶ江でもてあそんだ罰が当たったのだ」


「これでは勢福寺城内も、士気はがた落ちであろう。とても戦どころではあるまい。長陣した甲斐があった。雨風が止めば攻め込む好機だ」

「残念だが士気ががた落ちなのは、我等も同じことだ、ほら」



 そう言って持長は籾岳に駐屯する兵達を指差した。

 当たり前だが、山頂近くの平地に陣を構えている陶勢も無傷で済む訳が無かったのだ。


 座れるところが少ないため、多くの者が陣笠を被り、蓑を着たまま、木陰に立って雨露を凌いでる。

 そして雨風に加え、倒木や地滑りにも注意しなければならないため、迂闊に動けない。気軽に気晴らし出来ないのだ。これでは誰だって気が滅入るだろう。


 しかし興種はその光景を見て不敵に笑った。


「あのな、こういう時は酒に限る」

「この非常時に呑むのか?」


「こういう時だからこそ呑むのだ。皆喜ぶし、辛い目も忘れられる。よし、今からわしが殿に進言してやろう」

「あ、待たれよ! と、言いながら貴殿が飲みたいだけではないのか!」



 興種はすぐに本陣にいた道麒の元にやって来た。

 現状、自陣の立て直しを急がないといけないため、渋い顔をされるかもしれない。 

 そう彼は懸念していたものの、結果は呆気なかった。


 道麒は羽目を外し過ぎるなよ、と念を押しながらも、二つ返事で了承してしまったのである。彼も酒の効果を理解しており、それに期待していたのだ。


 勿論、万が一の襲撃に備え、警備の兵を残しておくことは忘れない。

 だが少弐勢が本気で襲撃してくるなど、誰が思うだろうか。

 なにせ籾岳に一番近い勢福寺城ですら、城外に出る事が儘ならないのだ。それより遠方の国衆のついては言わずもがな、である。



 夜、久々に陶陣中は賑わいを取り戻した。

 厳重に管理されていた酒樽が開けられると、配給のために兵達が次々に並ぶ。

 そして呑めば歌わずには、踊らずにはいられない。

 やがてあちこちから歌声と笑い声が響き渡り、陣中が静けさを取り戻したのは日を跨いでからだった。


 

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 少弐勢の襲撃はあり得ない。

 陶勢将兵達のその推測は、結果から言うと誤っていた。

 一人だけ虎視眈々と狙っていた者がいたのだ。家兼の子、家門である。


 彼はその日、夜襲の提案をするため、家兼の書斎に赴いていた。

 しかし話を聞いた家兼は腕組みをしたまま動かない。懸念はやはりあの事だった。

 


「西海道を始め多くが道が水没しておる。さて、これを如何する? 日没を待って動き出し、それらを迂回し三津山目指せば、辿り着く頃には朝になってしまうであろう」


「簡単な話にござる。歩けないのなら舟を漕いで行けばよいのでござる」

「ほう」


「日没までに舟を領内からかき集めさせ、足りない分は筏を組ませまする。兵達には浅い所は泳がせ、深く渡れそうもない所のみ舟や筏を使う。これで夜中のうちに三津山籾岳まで向かえましょう」


「雨の中を行軍させ、泳がせ、山を登らせるのか。それでは辿り着く頃には疲れ果て、とても戦になるまい」


「なので家臣、地侍達から足腰逞しい若者に限り、三百程募りまする。この非常時は陶勢を一掃し、長きに渡る大内の肥前侵攻に終止符を打つ好機。恩賞と領内の平和を説けば、目の色変えて戦いましょう」


 そこまで語ると、家門は急に父の顔を覗き込んだ。

 何を思ったのか家兼が急に笑い出したのである。


「父上?」

「ここまでとはのう…… いや、そなたの申した事はな、先程までわしが考えていた事と全く同じじゃ。可笑しく思わずにはおられんではないか」

「おお、それでは!」


「うむ。三百もの兵が乗る舟を今日中に調達出来るのは、海近く、河港かわみなとを持つ我等だけ。他の国衆では無理であろう。大金星を挙げ、国中に龍造寺の名を轟かすのじゃ!」



 家兼が声を弾ませ嬉しそうに語る。

 それは家門のやる気をさらに後押しした。

 彼はすぐに書斎から退出すると、兄家純や純家(家純三男)らの所に向かった。夜襲決行への同意と、募兵や船の調達の分担を話し合うためである。


 やがて三人は領内各地に赴いたり、家臣を次々に派遣してゆく。

 静かだった水ヶ江城内の一日は一転、慌ただしく過ぎていったのだった。



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 そして日没間近を迎えた夕方、家純、家門、純家は、揃って家兼の元にやって来た。出陣前の挨拶である。

 彼らは気合をみなぎららせた表情で、書斎の襖を開けると一礼する。


 しかし顔を挙げた途端、彼らの目は丸くなった。

 上座に立っていた老人が小姓に手伝ってもらいながら、鎧直垂よろいひたたれに袖を通しているではないか。


 そしてその脇には陣笠に蓑。まさかと思った家純が近づいて声を掛ける。

 すると気付いた老人は、気合の入った表情で応えた。



「おお来たか、よし、では広間にて出陣の儀じゃ」

「その、父上…… まさか我等と共に三津山に赴かれるおつもりでござるか?」


「何、案ずるな。流石に自分が年だという事くらいわきまえておる。籾岳を登って戦おうなどとは考えてはおらん。麓で指揮を執り、そなた達の奮戦と吉報を待つだけじゃ」


「その、せっかくの御意向ではござりますが、こたびは我等だけで充分にござります。どうか吉報は城にてお待ちくださりませ」


「我らは三百しかおらぬ。これで数千の陶勢を追い落とすのだぞ。容易たやすい戦ではなかろう。わしが指揮せぬでどうする? ほら、行くぞ!」


「いや、しかしその……」  



 心優しくあまり強気に父を制止できない家純と、どう諫めても聞き入れそうにない父家兼。

 その似ていない親子のやり取りは、家門にとってもどかしかった。

 彼は、恐れながら──と、抑揚に乏しい声で前置きしながら割り込んでくる。



「父上、今、ご自身が幾つなのか覚えておられるか?」

「八十一じゃ。何じゃそなた、わしが呆けたとでも思っておるのか?」


「分かっているなら自重して下され。縁側にて茶をすすり、和歌を詠み、孫たちと将棋でも指しながら気長に待つ。これが今の父上のお役目にござる」


「仮にも家の主に向かって、縁側で茶をすすっておれとは何たる言い草じゃ! よいか、この戦は肥前の行く末と水ヶ江の浮沈が掛かっておる。長年に渡りわしが苦慮し続けてきたのに、見届けずにはおられぬではないか!」


「いいえ、その前に夜の危険を忘れておられる。舟から落ちれば溺死、道を踏み外せば転落死、山が崩落すれば窒息死。今の父上なら命が幾つあっても足りませぬ」


「災害に遭っても必ず死ぬとは限らんであろう! なのに一言の中で親を三度も殺す奴がいるか、この不孝者め!」


「それがしも兄上も、父上と共に在ることすでに二十余年! 父上の軍略は熟知しておりますれば、これ以上の心配は無用にござる!」


「いいや、まだまだだ! 戦場における大将も、家督もまだわしの目が黒いうちは誰にも譲れん!」


「どうあっても向かわれますか!」

「どうあっても行くぞ!」

「ならばせめて、遺言を残してからにして下され!」

「断る! 縁起でもない事を申すでない!」


 それは説得なのか、非難なのか、もはやよく分からなかった。

 狼狽える家純と純家を間にして、親子の口論はその後も続いたものの、結局意地を張り続けた家兼が押し切った。


 彼は鎧姿で広間に現れると、集まった多くの家臣や地侍の「えっ、貴方も行くの⁉」と、言わんばかりの視線を無視し、厳かに儀式を行ったのだ。



 やがて暗闇の中、風を切る音と草木のざわめきを聴きながら、水ケ江勢は出立してていく。

 三津山夜襲──田手畷と並んで、龍造寺の名を轟かす事になる戦が、間もなく始まろうとしていた。

 

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