第15話 義隆始動

主な勢力、登場人物


龍造寺氏 …肥前佐賀郡(現在の佐賀県佐賀市周辺)を中心に勢力を張る国衆

      少弐氏に従う

龍造寺家兼いえかね …主人公 龍造寺分家、水ケ江みずがえ当主 一族の重鎮

龍造寺家純いえずみ …家兼長男

龍造寺家門いえかど …家兼次男


少弐氏 …龍造寺家を傘下に置く北九州の大名

     大内氏に滅ぼされたものの再興を果たす

少弐興経おきつね …少弐家当主 家兼を嫌悪している

少弐資元すけもと …興経の父、隠居の身

馬場頼周よりちか …少弐重臣 興経の後見

江上元種もとたね …少弐傘下の国衆 興経の後見  


大内氏 …山口を本拠に、中国、北九州に勢力を張る西国屈指の大名     

筑紫氏 …東肥前大身の国衆。少弐傘下だったが、大内に攻められて降伏



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 享禄元年(1528)十二月、大内家当主、義興死す。


 彼の功績は多大だった。

 十代将軍足利義稙を奉じて上洛し、再び将軍職へ返り咲かせた。将軍の再任官は日本史上唯一の快挙である。


 以後十年に渡り在京し、応仁・文明の乱の混乱から平穏を取り戻した。

 その見返りとして、幕府から遣明船派遣の独占権を獲得。

 守護職を得た国の数は四から十にまで増え、威勢は西日本中に轟いた。


 そんな偉大な当主が急死したのである。

 この隙を突いて一族家臣の不満や欲望が表面化すれば、後継者争い、家臣の下克上、傘下の国衆の離反などの内乱に繋がりかねない。

 世間の目は俄然、大内領内の動向に集まった。

 


 新たに当主となったのは義興の嫡男だった。

 彼はまず領内に徳政(借金帳消し令)を発布。尼子とは休戦状態を継続し、その後も着実に政務をこなしていく。


 そこに大きな支障は生じなかった。何故なら彼は次期当主として、すでに領国経営に携わっていたのである。

 結局、大内家は大事な過渡期を、無風で乗り切ったのだった。

 


 義興は嫡男が元服した際、その名を大内家菩提寺(※先祖代々の墓や位牌を置き、菩提を弔う寺)である氷上山興隆寺から取った。

 ゆくゆくは大内家のさらなる興隆をもたらし、自身の名である義「興」を継ぐ者──

 そう願いを込め、義「隆」と名付けた。



 大内義隆──彼はこの時から大内当主として戦国の世に君臨した。

 当時二十二歳の若者は、以後精力的な領国経営により、父の願いを果たすことになる。

 それは逆に敵である龍造寺、少弐にとっては大いなる苦境の始まりであり、家兼の人生をも変させようとしていた。



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 そして転機が二年後、享禄三年(1530)春に訪れた。

 しきりに幕府へ申請していた少弐討伐の許可が、ついに大内家に下りたのである。


 義隆は筑前守護代である杉興長おきながに討伐を指示。

 興長は自身の代理として、子の興運おきかずを大将に任命し、西筑前へと派遣したのだった。


 大内が動いたことは、たちまち西筑前にいた少弐親子の元に伝えられた。



「何、大宰府を捨てよだと!」

「はい。報告によれば敵勢は一万。その上、西筑前では我らに味方する者少なく、大宰府近辺も地の利を大内に抑えられておりまする。ここは一旦肥前に撤退し、要所にて迎撃するべきでござる」


「若君、馬場殿の申す通りでござる。大内勢を撃退できれば、大宰府はいずれ奪い返す事が出来ましょう。我慢は一時ゆえ、どうか御寛容下され」



 頼周と元種、後見役二人の献策に興経は不満だったが、他に手の打ち様がなかった。


 少弐親子は軍勢を勢福寺城へと返す事を決断。

 さらに勢福寺城が攻撃を受けて、親子共に亡くなり、少弐の血脈が絶えることを憂慮し、資元は小城郡よりさらに西にある、多久たく梶峰城へと移った。



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 大内来たる、の一報は、龍造寺家にも届いた。

 家兼は少弐の派兵要請に応じて、一族、諸将に戦支度を命じると、自身は書斎に籠り、書状を書いていた。


「父上、何を書いておられる?」

「ん? 家純に家門か。これはな……秘密じゃ」

「その笑み、怪しゅうござるな。戦を面白がるのは、未経験者だけでござるぞ、父上」


「わしに説教とはいい度胸じゃのう、家門。ほれ、出来た。これらを与賀本庄の鍋島と飯盛いさかいの石井の下に届けてまいれ」

「鍋島と石井……?」


 家純は首を少し傾げて家兼に尋ねた。


「何故その両家だけなのでござりますか?」

「両家が頼もしいからだ。あとは戦場にて分かる」


 それだけ言って家兼ははぐらかすと、その日のうちに胤久共々、龍造寺三家の軍勢一千を率いて出立。

 途中佐賀郡の他の国衆達と合流し、勢福寺城へと入った。



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 さて、勢福寺城には興経の他、家臣や傘下の国衆達が集まり、軍議が開かれていた。



「どうやら大内勢を率いているのは、筑前守護代の息子の様だ。代理の者に一万もの兵を託すわけがあるまい。一万という数はおそらく誇張。せいぜい六、七千、もしかすると半数に満たないかもしれぬ」


 始めに頼周が現状を述べた後、彼は絵地図を広げ、手に持った扇子で指し示しながら作戦を説明する。


「そして奴らの進路でござるが、大宰府を奪った後、南下して東肥前に入るでござろう。そこから西海道肥前路に沿って西進し、この城を目指すものと思われまする。そこで迎撃する要所でござるが……」


 頼周は持っていた扇子で、「朝日山」と書かれた地名を指し示した。


「ここは平地の中にある山にござる。山中に城があり、城主である朝日頼貫は我らにくみする者。かの者と連携すれば、大内勢を撃退出来ると考えまする」


 そこまで言って頼周は周囲を見回した。異見を口にする者はいない。

 しかし、黙られているのが不気味だったのか、彼は突然、家兼に話を振ってきた。


「龍造寺の御老公、ここまでいかがでござる?」

「異存はない。が、危ういと思うわぬでもない」

「それは、どういう事でござるか?」

「勘じゃ」


 頼周は眉間にしわを寄せながら固まっていた。

 広間全体も一瞬、静まり返る。

 直後、蔑みを含んだ興経の笑い声がその場に響いた。


「何を申すかと思えば、言うに事欠いて勘とはな。ついに焼きが回ったか」

「若君、勘は長年の経験に裏打ちされた立派な才能。決して侮るものではござらぬ」

「ふん、ならば聞いてやる。どう危険なのだ?」


「あの山は南北朝の頃より何度か戦場となっており、迎え撃つのに適している事は、大内の諸将も承知のはず。ゆえに奴らは山に我らが入らせぬ様、何か仕掛けてくるやもしれませぬ」


 しかし大内方の調略についての情報は、少弐には届いていない。

 なので家兼は向かうなとは言えなかった。「警戒して進んでくだされ」と促す他なかったのである。



 結局軍議の末、頼周の進言どおり、少弐勢は朝日山へと進軍すると決まった。


 ところが勢福寺城から進発した途端、駆け込んできた伝令の報告によって、少弐勢はいきなり出鼻を挫かれた。



「申し上げます! 朝日頼貫の軍勢、勝尾城の筑紫勢と合流。どうやら大内方に寝返ったものと思われまする!」

 






 


 

 

 

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