番外編・美波結佳は忙しい
カフェから出て七瀬ちゃんと別れた後、私は携帯を確認した。七瀬ちゃんの話を聞いている間、先生からメッセージが届いていたのだ。今日は二人で別のところへ泊まりましょうと。まだ返事は返せていない。別荘に戻ったら、すぐに答えを出さなければいけない気がして七瀬ちゃんに嘘をついて別の道へ進んだ。
先生とどこかに泊まるのはもちろん嫌じゃない。でも、初めてで緊張するし、みんなとこのまま別荘で過ごしたい気持ちもある。……とはいえ、今の私には断る権利がない。水着の件で、先生を待たせてしまったから。
うじうじと道端にあったベンチに座って先生からのメッセージを見つめていると、野良猫があくびをしているのが目に入る。思わず撫でると、猫は気持ちよさそうにしていたのにすぐにどこかへ行ってしまった。再び携帯画面を見つめて、ため息をつく。
七瀬ちゃんにはああだこうだ言っておいて、自分だってすぐに決断できないじゃないか。何度目かのため息をつくと、携帯から音が鳴って先生からまたメッセージが来た。「今どこにいる?」
既読がついてしまったため、慌ててすぐに返信を書く。「外にいます!」
まだ猶予がほしい私は、それだけ書いて携帯の画面を暗くした。コンクリートの隙間から咲いている花を眺めてため息をついていると、いるはずのない人の声がする。
「こんなところでなにしてるの?」
驚いて顔を上げると、いつもより露出度の高い服を身につけた先生が立っていた。白衣がない分、目のやり場に困ってしまう。どうしてここにいるのが分かったのだろう。
「なにもしてないですー……」
力の抜けた声で答えると、先生は私の隣に座り足を組むと言った。
「……私と二人だけで泊まるの嫌?」
さっきとは明らかに声のトーンが違って、先生の横顔を盗み見る。はっきりと残念そうな表情をしていた。
「それは嫌じゃないですっ」
私が慌てて否定すると、先生はさっきまでの表情が演技だったのかと思うほどにっこりとして言った。
「なら、今晩いいわよね?」
「は、はい……」
半ば気圧されるように返事をする。そういえば私、先生から逃げたままだったんだ.……。この際、思い切って言ってみようか。演技だったとしても、悲しませてしまったかもしれないし。
「あ、あの……
二人きりの時は名前で呼ぶよう本人から言われている。
「あらそう?でも、今日はそれ以上を見せてもらう予定だけど」
思い切って言ったのに、先生はさらにハードルの高いことを私の耳元で囁く。
「あ、綾子さんのえっち!」
「そんなに大声で叫ぶと誰かに聞こえちゃうわよ~?」
先生に言われてから気づき、羞恥で顔を赤らめる。そんな私を、先生はそれはもう嬉しそうに眺めていた。
荷物を取りに行くのと、みんなに別の場所へ泊まることを報告するため戻ると、微笑ましい光景が目に飛び込んできた。千尋ちゃんと七瀬ちゃんが二人でたい焼きを食べている。ソファで身を寄せ合って、にこにこしながら。何か進展があったのは明白で、こっちまで嬉しくなってしまう。
実はここに来る前、千尋ちゃんからも相談を受けていた。好きな人に告白するかどうか迷っている、と。その相手が七瀬ちゃんだとは明言していなかったけど、話を聞いているうちになんとなく分かった。七瀬ちゃんの様子から、まだ告白はしていないみたいだったけど関係は良好なようで安心する。
荷物をまとめ、みんなに急遽予定を変更したことを謝り、お礼を言って別荘を出た。先生の車が駐めてある月極駐車場まで並んで歩く。先生は車の鍵を指でくるくると回していた。そんな先生の空いている方の手に腕を絡ませる。先生は驚いた様子で私を見た。
「急にどうしたの?結佳ちゃんからそうしてくれるなんて珍しいわね」
「綾子さん、こうしてほしいんじゃないかなーと思って」
照れ隠しでつっけんどんに言うと、先生は満足そうに微笑む。
「ようやく私のことが分かってきたみたいね、結佳ちゃん」
「だって、彼女ですから」
鍵を一旦ポケットにしまい、私の頭を撫でる先生に気を良くしていると、思ってもみなかった角度から攻撃をくらう。
「その調子で、ドジして怪我するのもなくしてくれたらいいんだけどね」
「あれは、生徒会で忙しいから慌てて怪我しちゃうだけですっ」
「へえ……?忙しいから、ねえ……?」
そう、生徒会長はいつも忙しい。先生といるときは心が忙しい。だから決して、ドジだからすぐ転んだり物にぶつかったりするわけじゃない。私はドジじゃない、そそっかしいだけだ。誰に言うでもなく心の中で断言すると、私は先生の肩に頭を預けた。
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