恵まれた生活
「あなたは恵まれている」
友人たちに言われるたびに、私はそれを軽く否定した。
予定調和を崩さないために。
「女として理想的な人生ね」
女子高の同窓会でかけられた言葉からは、少しの皮肉を感じた。
彼女は女医で、出世のために子供を諦めていた。
私の父は、誰もが知っている大会社に勤めていた。
母は専業主婦であり、私との関係は、親子というよりも姉妹に近かった。
兄弟は、弟がひとりいた。
アメリカで働いている。
私は大学を卒業したあと、父親の紹介してくれた会社に入った。
そこで数年、勤めたのち、同僚のプロポーズを受けて辞めた。
私は、彼が親の援助で建てた家に、専業主婦として入った。
「まあ、お人形さんみたい。私、あなたみたいな娘が欲しかったの」
あいさつに出向いたとき、私の手を握りながら、義母が言った。
結婚してすぐに、子供ができた。
男の子だった。
私の住んでいた家は、見晴らしのよい場所に建てられていた。
広い庭には、夫の趣味であるバスケットボールの、練習コートがあった。
「子供が大きくなって家を出たら、畑にして二人で耕そう」
私の大きなお腹をさすりながら、夫がささやいた言葉を、いまでもおぼえている。
冬の朝。
ガラス窓の外の世界には、寒空が広がっていたが、暖房の行き届いた家の中は、心地よさに包まれていた。
キッチンのコンロのうえでは、スープの鍋がコトコトと音を立てていた。
「チビはまだ寝ているのかい?」
食卓の椅子に坐っていた夫が、音を立てずにコーヒーを飲んでいた。
私は、音を立てて食事をとる人が、嫌いだった。
それを知ってから、夫は、気をつけてくれていた。
父は、夫のことを、文句のつけようのない婿と、ほめていた。
たしかにそうだったと思う。
私は、夫のために用意したネクタイを手に、彼の背後に立った。
「こういうのを幸せな家庭と言うんだろうね?」
夫が鼻歌交じりに、週末の予定を、あれこれと口にした。
私はそっと、椅子に坐っている夫に、後ろから軽く抱きついた。
夫は笑いながら、「どうしたんだい」と、顔を私に向けた。
夫の顔を見たときのことだった。
私の中で、言葉にできない、たまっていた感情があふれ出た。
私は夫の首にネクタイを巻き、そのまま、力の限りに絞めた。
「どうして?」という、夫の問いかけが、もがく彼の顔から読み取れた。
キッチンの火を止めると、部屋が静かになった。
私は一階の自室に入り、着替えた。
それから、身の回りのものを旅行鞄に詰め込んで、玄関を開けた。
冷たい風が、家の中に入ってきた。
その時、ふと、二階で寝ている子供のことを思い出した。
私は階段をのぼりながら、首に巻いていたスカーフを、乱暴に外した。
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