恋の島、オカン
清吉は四日ほどフラガの久六の家に滞在し、村長のババとカンヂの協力で、草履の紹介を成功させた。久六たちも、新しいのが履けるとは思わなかったと喜び、吉太郎の発案を感心した。ババが草履との交換に提供してくれた木の実や果物がオカンへの土産になった。
吉太郎は清吉の顔を見ると、すぐに草履について尋ね、どこでも評判が良かったと聞くと喜んだ。清吉の留守中にも作られていたらしく、小屋の中には草履が積み上っていた。
オカンでは料理も男がするのだが、寡婦のアモは、息子を育てるためにやっているうち、自然と出来るようになったらしい。吉太郎と清吉を島に迎えたとき、料理番が必要になったが、二人に興味を持ったアモは、自らその役を務めることに決め、名目上は一人の若者を担当に任命した。
最初、若者は吉太郎たちを、得体のしれない気味悪い存在と思っていたようだが、アモが平気で接するのを見て、考えを変えたらしかった。だがオカンの男らしく、積極的には二人と関わろうとせず、万事控えめな態度を崩さなかった。彼はアモと協力して夜の調理を終えると、盛り付けもそこそこに帰っていくが、挨拶代わりに肉付きの良い体を縮め、にっと笑顔を見せるのが習慣だった。
食事はアモの家で、息子のシンと四人でするが、夜は二人のために建てられた家に帰って寝る。清吉は久しぶりにアモの顔を見ながらの食事が楽しかった。吉太郎とはマカトやフラガの話もしたが、詳しいことは枕を並べてと思っていた。だが食事が済んでも、吉太郎はシンとじゃれあっていて腰を上げそうにない。
「親方、そろそろ帰るまいか?」
清吉がしびれを切らして声をかけると、吉太郎の返事は意外なものだった。
「ワシゃここで寝るで、悪いがひとりで帰ってちょーせんか」
「・・・・・・」
清吉は一瞬、言われたことの意味が分からなかった。アモを見ても、特別変わったことは無いという顔をしている。だが、シンの吉太郎への態度が親しさを増したことに、彼も確かに気づいていた。そして「ああ、ほうかそういうことかや」と合点がいくと同時に、清吉は胸に痛みを伴った後悔の念が広がるのを感じた。
外は月の光で明るく、ヤシの木と家並みが漆黒のシルエットを作っている。俺はひとりぼっちになったらしい、と清吉は思った。泣きたいような気がした。見上げると星が無数に広がっている。家の前まで来て、彼はいつまでも夜空を見上げていた。
翌日は朝から西風が吹いて、蒸し暑さも増してきたようだった。いつもはアモの家で朝飯を食べるのだが、清吉はデレという青年の所へ行った。デレは作業小屋の一員で、島では珍しく一人暮らしをしていた。
「今日から、ここで食事させてくれないか」と清吉が手ぶりも交えて頼むと、デレは曖昧な笑顔を見せたが、断りはしなかった。オカンの男は、何によらず拒絶するのを嫌う。他人との関係を損なわぬように、常に気を配っている習慣らしい。
朝は夕飯の残り物が普通で、この日はタロイモと魚の蒸し焼きだった。土器で湯を沸かそうとするデレに、清吉は持ってきた火打ち石で火を付けてやった。ここでは棒を擦り合わせて火を起こすので、早くても三分は掛かる。それで魔法に見えたかもしれなかった。怖いものを見たようなデレは、清吉が石と鋼を見せてやっても手に取らず、
「あんたはマナを持っている」というようなことを呟いた。
吉太郎は前日の清吉の様子から、朝飯を食べには来ないかもしれないと思っていた。 彼が清吉を新平や久六の所へやったのは、その隙にアモと親密な関係になりたかったからである。漂着して二ヶ月、帰国のあてもなく、髪も結わず、褌もすでに捨てた。妻子は忘れがたく恋しいが、手が届くわけもない。歳は四十に近いが、俺はまだ心身ともに衰えてはいない。しかしここでの暮らしが長引けば、諦めから気持ちが沈みがちになる。帰国を諦めずに生きていくには、生活にわずかでも意味を見出し、気持ちの安定を維持する必要がある。もしアモと疑似家族を持つことができればそれが叶うのではないか。
吉太郎がそう思ったのは、アモの態度に好意以上のものを感じたからだが、オカンの女は概ね陽気で人見知りしないから、アモが吉太郎たちの面倒を見るにしても、よほど嫌なことでもない限りは、愛想よく振舞う筈だった。それを愛情と感じたのは、勝手な思い込みという気もしたが、アモの受け入れる可能性もゼロではないだろう。一か八か、彼はそれに賭けてみることにしたのだ。
初めて逢ったとき、吉太郎はアモの発するオーラに圧倒されたが、それは性的なフェロモンのせいだけではないと感じた。そして清吉と二人で世話になっているうちに、人間としての包容力も、彼女の魅力のひとつだと知った。
アモの息子のシンは、オカンの男らしく優しい少年だった。しばらくは人見知りして喋らないでいたが、母親が清吉を我が子のように扱うので、シンも兄に対するように接し始めた。そして吉太郎とは、親子のような関係ができた。なつかれると可愛いし、それを見るアモの顔も自然とほころぶ。そういう経験も、吉太郎の気持ちを動かしていた。アモは母親に似ていると清吉が言っていたが、四人で家族のように暮らしてはどうかと彼は思った。
清吉がオカンを発った日、吉太郎は夕食後にシンが寝込むまで粘って、アモを連れ出すのに成功した。空は晴れ渡り、三日月を圧倒する満天の星である。虫の音を聞きながら羊歯を踏んで二人は浜へ出た。ゆるい風が心地よく、波の音が大きい。
「ああ、いい気分だがや」
「えっ、何」
タコノキの根元の砂上に、吉太郎が腰を下すと隣にアモが座った。砂は白く輝いて昼間より美しく見える。
「気持ちの良い夜だって言ったのさ」と吉太郎が言うのに、波の音で聞こえないのかアモが身を寄せてくる。
「なあに?」
動物的なアモの体臭と、植物質の夜の空気とが混じって、吉太郎の顔を包んだ。それは未知の匂いなのだが、どこか懐かしいもののようでもある。ぞわっと背中に悪寒のようなものが走り、吉太郎は下半身の力が抜けるのを感じた。思わず彼は、匂いを嗅ぐように顔を近づけ、アモがふっくりと厚い唇でそれに応じる。二つの唇は、熟れたパパイヤで作った香合のように密着し、お互いの舌をむさぼりあった。
腰布を取れば二人とも裸である。アモのオレンジ色の肉体が星明りに輝く。胸と下半身からは、濃厚な甘い香りが流れ、それが鼻腔に吸われて吉太郎をうっとりとさせ、それから全身の血を沸騰させた。彼はブッシュを探って熱い泉を見つけると、分身を脈打つアモの中へ激しく沈み込ませた。二人の身体がもつれ合い、叫ぶような喘ぎ声が波音と混じる。たくましい太腿の締め付けを解こうと、吉太郎が腰を動かすたびにアモは歓喜に身もだえした。
夜空は美しく、はろばろと広がっていた。二人は海に入って汗ばんだ体を洗った。戯れにアモを抱くと、水を弾くような滑らかな肌が手に吸い付き、吉太郎はついえた衝動が蘇るのを感じた。その欲情は愛しさから来ているらしいと彼は思った。
「これでよかったのか?」と吉太郎は胸に呟いた。故郷と家族が遠くなるのを感じた。だが先の見えない今、他にどんな道があるというのか。
吉太郎がアモとデキたことは、すぐに村中の知るところとなった。
「アモうまくやったわね」と女たちは露骨に二人を冷やかすが、男たちは知らん顔をしながら、仲間うちでは噂するのを忘れなかった。当のアモは平気な顔をして、相変わらず元気一杯だった。
吉太郎は、清吉にも誰か娘を、と考えてアモに相談すると、待ってましたとばかりに、ラナという娘を連れてきた。年齢は十八だという。小柄で敏捷そうな体つきは、アモの気に入っている働き者なのだろう。ぱっちりした目が利発そうだ。
清吉を知っているかと訊くと、話したことはないが顔は見ているという。恋人はという問いには、前はいたが今はないと答えた。アモが、ラナは良い娘だと繰り返すので、後は清吉に任せることにした。
吉太郎が作業小屋へ行くと、清吉はすでに何やら作業中であった。
「親方、おいら帽子を編めるようになったが。これだがね。どう思やーす?」
吉太郎が近づくと、清吉はヤシの葉で編んだものを見せた。
起きた時はまだもやもやしていたが、デレと朝飯を食って腹が膨れると、清吉に冷静さが戻ってきた。二人の親密さは承知しつつも、昨夜は不意打ちを喰らって腹が立ったが、本当は親父とおふくろのように感じていたのだと思った。そして、親方はここで生きていくと腹を決めたのかも知れない、と想像したのである。
その晩は、ラナを呼んで五人で晩飯を食った。清吉が座ると、すぐにラナが隣に座を占めて笑っている。何も知らない清吉はちょっと驚いたが、嫌な気分ではなかった。アモの知り合いの娘だが、付き合ってみちゃどうかと吉太郎が言った。
「気に入らなしかたにゃーが、ラナはお前を好いとるようだに」
「おいらに異存はあらせんが・・」
それを聞くと、吉太郎は笑って頷いた。
ラナの積極性は、オカン女性ならではだが、自分には合うかもしれないと清吉は感じた。それぞれが、各地で生き方を模索し始めているが、自分もついにそういうことになったかと彼は思った。
ラナは許婚を半年前に病気で失っているが、お前は気にするかとアモが訊いた。清吉はしないと答えた。
食事の後の雑談が終わると、ラナは当然の如く清吉に同道した。家に入ると二人は無言のまま裸になる。身体を寄せ合うと、ラナの頭が清吉の顎に当たった。背に手を回すとラナが意外な強さでしがみつき、固く尖った乳房が胸に当って、清吉をどきりとさせた。湿度が高くなってきていて、抱き合うと汗で肌がぬめぬめと滑る。ラナの身体からは体臭と薄荷の混じった匂いが漂い出て、清吉はその刺激で脳天が痺れるような気分を味わった。彼はアナゴが巣穴を突き抜けるように、ロケットのごとく発射して果てた。だが清吉は自分の回復の速さに驚きながら、飽きずに挑んでいっては、夜更けまでラナに喘ぎ声を上げさせたのである。
朝になると二人は一緒にアモの家に行き、食事を済ますと女たちは外へ、吉太郎と清吉は作業小屋へという暮らしが始まった。空高く西風が吹き出し、蚊やハエの数が増してきて、乾季が終わりに近づきつつあった。
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