久六と太市、フラガ島へ

 フラガへ渡った久六と太市は、ニア村という一番大きな村に落ち着いた。村長のババとは何度か会って顔見知りであった。ここでもマカトと同じく、祖先が天からやってきたという共通の伝承をもっていて、それで自分たちが歓迎される、というのを二人はまだ知らなかった。だから有難いが不思議な気分でもあった。

ニア村は海岸に近い森の中にあり、百戸近い家が広場を二重に囲むように配置され、その外側はヤシの林である。さらにその先は砂浜の先に海が広がり、陸側は天然の森だった。広場の中央には白い砂が円形に敷かれていて、それが闘技場なのを二人は既に知っていた。村長が久六たちに用意してくれたのは、その闘技場に近い一軒であった。

逞しい男たちが歓迎の声を上げ、子供がやかましく付きまとう。その子供らは男女の区別なく乱暴者で、お互いを突飛ばしたり蹴ったりして遊んでいる。それはマカトでは見られない光景だった。

まだ明るいうちから宴会が始まった。ここフラガでは男は全然働かない。人々は漁労と農業とで暮らしているのだが、それらは全てが女の仕事で、男は料理もしなければ酒を造るのもお任せだ。

では男たちが何をしているのかといえば、アルタラという格闘技の訓練に明け暮れているだけだという。合点が行かないながら、久六たちもそれは知っていた。だがなぜそんな伝統があるのかは、分かるはずもなかった。

「アルタラってのは、相撲よりは空手に似てりゃーすか?」

太市は稽古を見てそう感想をもらした。

「そうだな。土俵もにゃーで、そんだで勝負が分からんがや」

久六はそう言ったが、何だか体の奥が疼くような気がしていた。

見物していて分かったのは、アルタラがレスリングとムエタイと空手を合わせた、何でもありの格闘技で、股間を狙うこと、目鼻を突くことは禁止、ということだった。試合時間には制限がなく、どちらかがギブアップするまで続けられるらしい。

久六と太市は、夕方になると浜に上げてある勇魚丸を見に行く。マストは再建したし、帆布もマカトで手に入れた布が二人の枕元に畳んであった。備品はあらかた無くなったが、航行に差支えはないだろう。子供たちのいたずらも、ダメージを与えるほどではなかった。

「こいつじゃどけーも行けーせん、言ってりゃーたな・・・・。ワシらはいってゃあどこにおるいうがや?」

 沈んでいく夕日のほかに何もない海を、久六はため息交じりに眺めている。同じ思いの太市には、付け加える言葉はなかった。

二人はアルタラの訓練を毎日見学した。それは太陽が高度を増すまでの、比較的涼しい三時間ほどに行われる日課のようだった。終わると男たちは体を洗い、女たちは仕事を切り上げ、子供たちは遊びを中止して家の中へ引っ込む。日光に焼かれるのを避けて昼寝をするのだ。屋外には特に用のあるもの以外はいなくなる。午後はなかなか涼しくならないので、男たちは日陰でぶらぶらしていることが多いが、女たちは日暮れまでの二時間くらいは働くのが普通だ。

その朝も広場の中央では、選抜された十人ほどの男たちが交互に対戦し、その外側のスペースでは予備組、それより外では少年たちが体をぶっつけあっていた。

「クロ、お前オレと勝負するか」と言われたと思って久六が立ち上がると、周りの男たちが笑いながら口々に何か大声で囃し立てる。誘ったのは大将格のカンヂだった。久六とこの男は、今では酒を飲んで騒ぐ間柄で、気が合うので好感を持っていたし、相撲で鍛えた自信から一度闘ってみたいと思っていたのだ。

「大丈夫きゃー、兄さん?相撲じゃなて、おそぎゃーもんだが」と太市が心配する。

「体がなまってまったで、ちょうどええが」

 闘技場の土はよく踏み固められ土俵のようだ。カンヂがかかってこい、というように手招きする。久六が立ち合いの姿勢で、両手をついてから突っ込むと、カンヂは五メートルほども吹っ飛んだ。うわぁっというどよめきの中に立ち上がったカンヂは、驚いたという表情をしたが落ち着いている。そしてまた手招きで誘う。久六が同じように突っ込むと、今度はカンヂがうまく飛び上がったので、外しを食らった久六が腹ばいになり歓声が上がる。カンヂは素早く久六の背中へ回り、横腹へ蹴りを入れた。久六は息が出来ず、しばらく動けなかった。

久六にとっては苦い経験だったが、カンヂが手加減したのだろう、体へのダメージはそれほど感じず、却って気分がすっきりしたくらいだった。

「今日はうみゃあことやられてまった。次はお返ししたるで」

 そう言った久六は、なぜか嬉しそうな顔をしている。

カンヂは久六と比べれば、背は大人と子どもだが、丸い体はゴムまりのように充実している。力士としては小兵でも、拳や足が使え、倒れても負けでないアルタラでは、カンヂが優勢なのは仕方ないところだ。

夕方になると、男たちは海へ出て泳いだり体を洗ったりして騒ぐ。スコールがあればそれで塩分を洗い落とすが、普通は小川の乏しい水をヤシの器で掬って交互に掛け合う。全裸ではしゃいでいる男たちのそばを、取った魚を入れた籠を下げて女たちが通り過ぎる。だがどちらも気にする様子がない。それには久六も太市も面食らった。

この島では、アルタラのほかに男たちの仕事はない。引退した老人が女の仕事を手伝ったり、手工芸的なことに暇をつぶすことはあるが、それは男を卒業した境涯だからだろう。当然久六たちにも仕事はない。アルタラの稽古を見物する毎日なのだ。

フラガで暮らすからには、アルタラをやらないわけにはいかない、と太市は思うようになった。二人は客人として敬われていたから、太市が望まなければ強制されることはない筈で、久六は好きだからやっているのだ。だが毎日訓練を見学していると、子供たちの視線が気になってくる。あの異人はいつ始めるのだろう、という期待のこもった眼差しが。

「兄さん、おれにもアルタラできやーすか?やってみよう思うで」

 フラガに来てすぐ、村長のババが、六つある村へ異国船目撃の報告を依頼してくれたので、それを待つだけで良いのだが、日を過ごすうち、遊び半分にやってみようかという心境になったのである。

「ほんとけ?退屈しのぎでも何でも、体使うなあ気分がいいだに」

 久六はあの日以来、相撲の稽古のつもりで、カンヂやその他の男たちに混じって体を動かしていた。

「腹に力を入れておきゃあ、大概の攻撃は大丈夫だ。体だってお前が上だで」

 太市はまず広場の隅の予備組の、そのまた下の連中と稽古を始めた。そこではまだ肉付きの薄い少年たちが中心で、実戦を退いた年寄りの指導を受けている。舟の上で自然と足腰が鍛えられた太市だけに、組み合ってなら遜色ないが、蹴りや突きには往生した。それでも遠慮してか、顔面を攻撃してこないので、打たれるのは何とか耐えられたが、要注意は関節技だった。稽古とはいえ気を抜くと怪我しかねない。

太市はすぐに慣れてきて、稽古を楽しめるようになったが、上のランクへ移る気はなかった。元々暇つぶしに始めたもので、運動不足の解消と気分転換ができればそれで良かったのだ。

ある朝太市は十五歳のロタと組みあっていた。太市に掴まったロタは、盛んに突きと膝蹴りで攻めたが、まだ力が弱くてダメージを与えられず、クリンチから太市の抱え投げで失神してしまった。思いがけない見事な投げで、ロタは頭から落ちたのだ。太市は驚いたがどうしていいか分からない。すぐに年寄りのひとりが活を入れ、ロタの意識は戻ったが、脳震盪のせいか起き上がれなかった。すると四人の仲間が手足を持ち、ロタを運んで行くので、太市は後からついて行った。

「だらしがねえ、しっかりしろってば」

 太市にはそんな風に聞こえたが、それはロタが運び込まれた小屋の娘が言ったのである。言われたロタは、照れたように笑って起きようとしたがまだだめだった。太市は娘を見た。艶のある褐色の肌が輝いて、白目を覆い隠すほど黒々とした瞳が大きい。二十歳位であろうか。太市は自分を見返すその目の中に、何か訴えて来るものがあると思った。特別女らしいわけでなく、むしろ男っぽい仕草の娘なのだが、なぜか胸が波立つのを覚えた。

「悪気はなかったんだ、勘弁してくれ」

 謝っているのは分かるだろうと太市はそう言った。娘も何か言ったが、怒っているようではなかった。自分はタイチというがお前の名はと聞くと、サラと答えた。

翌朝には、ロタはいつも通り稽古にやってきた。太市が気まずそうにしていると、ロタが相手になりにやってくる。手加減するとパンチやキックを決められて、太市は息ができずに突っ伏してしまう。ロタが嬉しそうに飛び跳ねる。まだ子供なのだ。

そんな風にして、太市はロタと仲良しになった。ロタは良く太市を自分の家へ引っ張っていく。家では姉のサラが、マットを編んだりバナナの繊維を糸にしたりしている。サラは澄ましているが、一緒に働いている母親が緊張してぎこちなく見える。太市は気づまりを感じつつも、サラを眺めたい気持ちを抑えられない。押せば押し返ってきそうな肢体の魅力が、太市をしっかりと捉えていたのだ。

ある日の、太陽が高くなって暑さが堪える時刻のことだ。さあ昼寝だ、と皆が一斉に家の中や日陰に引っ込み始める。太市が久六と家に入ろうとしていると、ロタが誘いに来た。どこか戸外の涼しいところで、一緒に昼寝しようというのだろう。前にもそんなことがあった。ロタは太市を村はずれの作業小屋がいくつか並んだ場所へ連れて行くと、そのひとつへ太市を押し込んだ。ところがロタは戸を閉めると、自分は帰って行ってしまったのである。

「何だ、いたずらのつもりきゃあ。まだおぼこい奴だなも」と苦笑したが、ここで昼寝も悪くないと太市は思った。内部には屋根を葺く草や木の皮やバナナの繊維などが置いてある。彼は草の束を解いてそこへ横になったが、何やら奥に人の気配がして、かすかに花の匂いも漂ってくる。子供らがからかいたくて隠れているのだろう、と太市が立ち上がって見るとそれはロタの姉・サラだった。樹皮マットの上に横座りのサラは、胸を手で覆ってはいたが、髪を飾る赤い花のほかには何も身に着けてはいなかった。わき腹から腰、太股へと豊かな肉を包んで、褐色の肌が誘うように輝いている。太市は身震いし、カッと頭に血が上るのを覚えた。股間が猛烈に熱くなり、動悸が早くなる。彼はさっと裸になると、夢中でサラをめがけて突進して行った。

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