歴史

どこから来て

 彼らがどこから来たのかはわからない。

 いつからムトの大森林に住み着いたのかも明らかでない。

 わかっているのは、彼らがいずこかより移り住んできたことだけである。


 ムトの赤土あかつちは穀類を育てるのには適しておらず、森の中で塩や鉄は手に入らなかった。

 そのような自給自足の生活を営めない土地に、彼らはどこからやって来たのか。


 彼らの肌の色が黄味を帯び、体毛が薄かったのに対して、周辺の部族のそれは白く、体毛は濃かった。

 彼らに似た人々は、大森林を西へ西へと進んだ先にある、大内海の周辺に数多くいた。

 そのどこかの土地が彼らの故郷である、とする者が多数であったが、東方もしくは南方を出自とする説を、唱える者も少なくない。



 ムトの大森林は古代に栄えたクムイン帝国においては、領土の西南端に位置し、木材の重要な供給源であった。

 その際に、帝国から入植した者たちの子孫を彼らとすると、東方からやって来たことになるが、彼らの子孫はそれを認めていない。


 クムインの後継を自称するルクスブス帝国の皇帝が、彼らの子孫に向けた親書の中で、神聖なる官林の、管理者の末裔殿と呼びかけたところ、受け取りを拒否された。



 なぜ、彼らは森の中へ集落をつくったのか。

 その理由を判断する材料は、歴史のかなたへ消えてしまった。


 新天地を求めて、森の中へ入ったにちがいないとする者もいれば、他の部族に追われて、いやいや住み着いたのだろうと推測する者もいた。


 彼らの子孫が統治するスイン帝国において、平民や新参者は前者の説を好みやすく、貴族たちは後者の説を支持する傾向にあった。


 後者の代表は帝国を興した高祖であり、彼は異国の使者に対して次の言葉を残している。

「貴国とちがい、我々が逃げることのみをもって恥としないのは、一族としてのはじまりにその理由がある」



 ほとんどの国は、信用に足る史書や、口伝で遡れる歴史に限りがあり、結局、そのはじまりを建国神話に求めざるを得ない。

 小さな国や部族ですら、自分たちを世界の中心に置いた神話を戴く中、彼らもその子孫が打ち建てた帝国も、建国神話を持たなかった。


 そのために、四代目の文帝が一族の歴史を「クフルムト族史」にまとめさせた際、史家のひとりが神話の捏造ねつぞうをほのめかした。

 史家からすれば他国も多かれ少なかれ行っており、外交上の利点も踏まえての献策であったが、その者は文帝の命により右腕を切り落とされ、その腕を帝都の図書館前にさらされた。

「わからないことはわからないと書けばよい。また、それが事実と証せられるのならば、我が一族に不都合な出来事であろうとも、その通りに記せばよい」


 文帝の指示に従いまとめられた「帝国史」は、不明リドブという言葉が頻発しながらも、ムトの古代史を語るうえで欠かせない史書となった。


 「帝国史」には、文帝の祖先がどこからやってきたのかも書かれておらず、また、彼らが自分たちをどのような族名で呼んでいたのかも記されていない。

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