開けずの扉
森の中で道に迷った。
背の高い針葉樹のせいで、昼でも暗い中を歩いていると、急に視界がひらけた。
どこかの大きな道に出たかと喜んだが、それは期待はずれに終わった。
姿を現したのは、堀で囲まれた、平屋建ての
大きな門に表札はなく、塀のせいで、中の様子はわからなかった。
堀を一周してみようと思ったが、途中で木々のためにさえぎられた。
来た道を引き返しても仕方がなかったので、門を叩いてみることにした。
いつまで待っても返事がないので、門を開けてみたところ、立派な玄関が姿をあらわした。
玄関の中に入り、声をかけた。
置かれている調度品をながめて、しばらく時間をつぶしたが、返答がない。
ここまで来て帰るわけにもいかず、邸の中に足を踏み入れた。
中を見て回ると、ある部屋に、見たこともないごちそうが並んでいた。
食べない方がよいことはわかっていたが、空腹には勝てず、手をつけてしまった。
知らない味ばかりのごちそうを、夢中で胃袋に押し込んでいると、いつの間にか部屋の中に、美しい女が坐っていた。
急いで口の中の食べ物を飲み込み、勝手に上がり込んだことを謝ると、女は簡単に許してくれた。
それだけでなく、飽きるまで邸に居てよいとまで言ってくれた。
好意に甘えて、しばらくの間、世話になることにした。
その邸には、女しかいないとのことだった。
幾日か過ぎると、女が遠回しに誘ってきた。
女は魅惑的な体つきをしており、あがらうことはできなかった。
手引きされるままに寝所へ入り、女の服を脱がすと、白い肌が露わになった。
乳房に触れようとしたところ、夫となるもの以外に体は許せないと、女が言い出した。
けしかけたうえでの一言にとまどったが、もはやどうしようもなかった。
流れに身を任せ、女の夫になることを誓った。
おそらく、この女は人間ではないのだろうと、思いながら。
邸での暮らしは快適だった。
仕事をする必要はなく、身の回りの世話は女がしてくれた。
外に出ても、森の中で迷うだけだろうし、いまさら家に帰ってもしかたがないので、始終、邸の中で過ごした。
邸の中は好きに使ってよかったが、ただひとつだけ、女に約束をさせられていた。
それは、便所のとなりにある、赤い扉を開けてはならない、というものであった。
女は事あるごとに、たとえば外に出るときなどに、その約束の話をした。
用を足しに行く際に、赤い扉を見ると、もちろん、開けたい衝動に襲われることはあった。
しかし、昔話でよくある話であり、好奇心に負けたら、今の生活を失うことになるのだろうから、開けるのは我慢した。
長い年月が過ぎ、年を取った。
その間、だれも邸を訪れる者はいなかった。
最初は時間を持て余していたが、やがて庭いじりに目覚めると、時の過ぎるのが早くなった。
若いころは、赤い扉を開けてみたかったが、年を取ってくると、もはやどうでもよくなっていた。
だいぶ前から、女も話題にしなくなった。
女はいつまでたっても、年を取らなかったが、それも次第に、気にならなくなった。
それは、ある日のことだった。
用を足したくなり、便所に急いだ。
年を取ると近くていけないと、余計なことを考えていたのがいけなかった。
誤って、赤い扉を開けてしまった。
開けた瞬間、やってしまったことに気がつき、目を閉じながら、すぐに扉を閉めた。
後ろを振り返ってみると、廊下の奥から、女がこちらを見つめていた。
今さら邸の外に出されて、やっていけるのか。
それとも、正体をあらわした女に取って食われるのか。
長年連れ添った女に親しみをおぼえていたので、こんな別れ方をするのは心残りであった。
しかし、約束は約束である。
覚悟を決めて、女のようすをうかがうと、ちらちらとこちらを見ながら、なにやら考え込んでいた。
しばらくして、考えがまとまったのか、女が両腕を水平に伸ばして言った。
「ギ、ギリギリセーフ」
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