佐助じいの話

 変わった話を聞きたいとか。


 それでしたら、せんだって亡くなった、高妻山たかづまやまの、佐助じいの話をいたしましょう。

 山から下りて来た佐助じいから、じかに聞いた話でございます。

 

 このじいさんの生業なりわいは猟師でして、猪狩りの名人として、その名は我が信州だけでなく、他国にまで響いております。

 この壁の毛皮を見てくださいませ。

 ずいぶんと大きい猪でしょう?

 佐助じいにもらった逸品です。


 こんな立派な猪を仕留めるため、さぞ子供の時分から、修業を重ねてきたのかと思いきや、このじいさん、生まれは陸奥むつの漁村で、若いころは、江戸へ米を運ぶ廻船に、乗っておりました。

 それがなぜ、海を離れ、信州の山奥に住むようになったのか、いまからお話いたします。



 ある夜、佐助じいが船内で寝ていると、見張りの大声で起こされました。

 どうしたのかと思い、一緒に寝ていた仲間たちと外に出てみますと、見張りが満天の星空の一角を、指さしておりました。


 佐助じいも仲間にならい、指さすほうを見上げてみますと、夜空に、赤い線が引かれていたそうです。

 赤線は少しづづ伸びていき、途中で進む方向を三度変え、星空を切り取るように囲みました。


 船乗りたちが、念仏を唱えながら様子を見ておりますと、やがて、ひらひらと紙が舞うように、切り取られた星空が、海に落ちてきました。


 それから、その切り取られた星空が、どうなったかと申しますと、ふろしきを包むように丸くなり、やがて、クジラに変じました。


 体を星で輝かせながら、クジラは、佐助じいの乗った船から離れて行きます。

 すると、船長ふなおさが、クジラを追おうと言い出しました。


 船乗りたちが賛同するなかで、ひとり反対した佐助じいは、小舟に乗せられました。

 佐助じいを置いて、船はクジラのあとを追って行きました。


 どうにか、佐助じいは村に戻れましたが、結局、船長たちはそれきりで、村に帰ってはきませんでした。

 佐助じいは、起きたことを村人に話しましたが、だれも信じてくれませんでした。


 ひとり生き残った佐助じいに対する、村人の視線はきびしく、それに耐えきれなくなった佐助じいは、村を出ました。

 そして、日の本でいちばん海から遠い、この地に越してきました。



 そのクジラの正体ですか?

 さあ、あやかしのたぐいだとは思いますが、手前にはわかりかねます。

 手前よりも、あなたさまのほうが、この手の話は、お詳しいのでは?


 

 

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