038.祈祷。

 金と銀とを交えた髪が光に触れて淡い輝きを放つ。広い聖堂に鐘の音が響くと、青年は閉じていた瞼を開いた。冷たい気配を帯びた青年の瞳に、微笑んで手を差し伸べている像が映り込む。


 あなたでも祈ることがあったとは。ようやく神を信じるようになったのですか?


 驚いたような顔をしてそう告げたのは、神父服を纏った晴だった。右手に聖書を持つ晴の脇には空が立っており、こちらもまた目を見開いて青年を見ている。


 くだらないことを訊かないでくれる。僕が信じるのは自分だけだよ。


 不機嫌そうな声音で青年がそう言えば、二人分の苦笑と肯定の言葉が返ってくる。それによりいっそう不機嫌さを増し、青年は不愉快だと言わんばかりに顔を顰める。


 すみません。あなたがここに来るなんてあまりにも珍しかったので。


 祈りに来たわけでもないのに、どうしてここにいるんだ?


 微笑みながら晴が謝って、傍らに立つ空が首を傾げて青年に訊ねる。


 答える義理はないな、小さな世界の不適合者。


 ……っ、お前な、そういう言動は良くないと思うぞ! もう少し優しく言え、優しく!


 それより、晴。


 空の抗議など知ったことかと無視した青年は、微笑んだまま二人のことを見ている晴に視線を移した。


 はい。なんでしょうか。


 突然名指しされた晴は驚いたように目を丸くしたが、すぐに返事をして青年に問いかける。


 君、ここによく来ていた子供を知ってるかい。


 子供ですか……? ここは誰でも入れる場ですので、特定は出来ませんが……。


 そう。


 首を傾げる晴に構わず、ならば用は済んだとばかりに青年が聖堂を出て行こうとする。そのあまりにもあっさりした様子に慌てた晴は青年を引き止め、少しでも力に成れればと言い添える。


 あの、何か御用があるのでしたら、どのような子かを教えていただければお知らせ致しますが。


 いや、構わない。……所詮は、過去の残映に過ぎないからね。


 くすり、と嘲笑うような笑い声が、青年の口端から零れる。しかし、それに気付いたのは空のみであった。引き止める晴のことなど意に介さず、青年は聖堂から出て行った。


 過去の、残映。


 空? どうしたのですか?


 青年の言葉を繰り返して空が呟く。どこか遠くを見る目をする空に、晴が心配そうに声をかける。空ははっとしたように晴を見ると、すぐに首を横に振った。


 いや、何でもない。それより、本題に入ろう。


 そうして、いつものように柔らかな笑みを浮かべれば、晴もそれ以上気にすることはない。


 では、資料を持って来ますので、少しここで待っていてください。


 そう言いおいて、晴は奥の部屋へと入っていく。晴の姿が扉の向こうに消えるのを見送ると、一人残された空は聖堂に飾られた像に歩み寄った。

 それは、神と等しく世を支配する、空の像だ。


 私は結局、まだここにいるんだ。あの時からずっと。何も変わらずに。


 己に似た像を前に、空は呟くようなか細い声で懺悔する。ふと、青年はあの事を知っていたのだろうかと空はぼんやりと思う。

 ここによく来た子供と、過去の残映。

 そこに通ずる者を、空は知っている。


 私は空としてなど、在りたくなかった。


 決して望めない望みが、空の口から零れ落ちそうになる。けれども空はそれをぐっと堪え、唇を引き結んだ。

 子供の頃から、この世に生まれた時から、決められていた事。

 どれほど拒もうと、決して抗えない世の理。

 それ故に、空は空でしか成り得ない。

 だから、せめて。


 どうか、誰も傷つけずに済むように……。


 己が祈りを内に秘め、空は世界の統率者たらんとするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る