024.哀悼。
誰のために泣いているのだろう、と金と銀の境界にある髪色をした青年はふと疑問に思った。空の流す涙はいつも透明で優しい。それは空が空自身のためではなく、他人のために泣くからなのだろう。そうして今、青年に背を向けている空は、紛れもなく他の誰かのために泣いている。
小さな世界の不適合者。
青年が声をかけると、弾かれたように空の肩が震えた。空が強く拳を握りしめているのが青年の位置からも見える。おそらく唇も噛みしめているのであろう。振り返らずに、空が告げる。
勝手に入ってくるなといつも言っているだろう。何の用だ。
いつもの事だろう。これ、この間頼まれていたやつ。
ああ、そうか……悪いが、その辺りに置いておいてくれ。
いつもは窓から入る青年だが、珍しく扉の方から入ってきた。許可もないのに入ってくるのはどうかと思うが、少しありがたいと空は呟く。窓から入って来られたら、嫌でも見られてしまっただろう。泣き顔だなんて今では幼馴染みの嵐にだって見せられない。世界の頂点が泣いてるなんて知られたら、皆に示しがつかないのだから。空の後ろで、人が動く気配と、紙の擦れる音がした。
で、君は誰のために泣いてるの。
君の部下が死んだって話は聞いてないよ、とまるで世間話でもするように青年が空に声をかける。ぐっと涙を引っ込めて振り返った空は、青年が本当に何でもないような顔をしているものだから虚を突かれてしまった。文句を言おうとしたのに、言葉が一つも浮かんで来ない。
君は、誰のために泣いてるの。
もう一度、青年が繰り返す。その癖、空に向けられる視線は全く感情がないときている。本当に、この青年はよくわからないと空は思う。まあそれは空自身にも言えることなのだけれど。
私は泣いてなどいない。
激情するわけではなく、感情を隠した声音で空が言う。静かに告げられた空の言葉に、そう、とだけ返して青年は空を見つめた。何故だか心が揺らぎそうになる。瞳から雫が零れるのを、拳に力を込めることで空はどうにか堪えた。
用が済んだのなら帰ってくれるとありがたいんだが。
この間の抗争、相手方に、かなりの死者が出たらしいね。
空が民に神のように崇められる反面、世界がたった一人の支配下にある、という現状を好まない輩はいる。増してや、今世界を統率している空は、歴代の中でも最も若い。その地位を奪おうとする者も少なくはないのだ。相手方に、と強調されているのは、民にも空の身近の者達にも死者は出なかった。亡くなったのは、本当に反逆者達だけ。青年の言葉に、憂いを湛えた瞳が、大きく揺らいだ。
お前は、何が言いたいんだ。
声を絞り出すようにして問いかける空。青年は何も言わず、ただ溢れそうな瞳を真っ直ぐに見つめ返す。自分を見つめる真っ直ぐな青年の目に、耐えきれなくなりそうで、空は俯いて目を逸らした。
私は、泣いてなどいない。泣いたりなどしない。私は、決して、泣くものか。
握り締めた拳の中で、爪が皮膚を食い破る。虚勢を張る空の声は泣きそうにしか聞こえない。空自身それを分かっていながら、それでも必死に涙を堪える。そうでもしないと、空は本当に……。
別に。
と、唐突に青年から声がかけられる。その声が存外近く空が顔を上げれば、青年は遠くはないけれど近くもない、そんな距離にいた。
別に、君がどうであろうが、僕には関係ないよ。僕は君の下に就いている訳じゃないからね。君が泣こうが、君を害そうとした奴らの死を悲しもうが、僕には関係ない。
関係ないよ、とそう告げる青年の瞳がひどく虚無的であるのに、空は気付く。虚無的な、世界に不適合な、空と同族の存在。あ、と思わず声を上げる。迷ったあげくに手を伸ばして、空は青年の服をそっと握った。
今は、今だけでいいから、私の側にいてくれ。
青年は何も応えなかったけれど、ただ空の手を振り払おうとはしなかった。それにほんの少しだけ安堵しながら、空は静かに唇を噛みしめて、青年の肩に頭を凭れかける。
二人きりの部屋に、小さな小さな嗚咽が響いた。
死せし者達に、安寧を。
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