第7話 帰宅
エヴァとの面談を終えたアメルは、自分の部屋が騒がしいのに気づいて、走り出していた。
駆けつけて、呆然とする。
部屋の中で、3人ほどのメイドが荷物の片付けをしていたのだ。
昨日来たウィルトン家のメイドと違って、ひと目でそれと分かる格好だ。
そのウィルトン家のメイドが、アメルの服や道具をどんどんクロゼットの中へと片付けたのを見たばかりだが、今日はその逆で、クロゼットの中に物を、大きな箱へとしまい込んでいる。
そのクロゼットはルイズのものだった。
「あ、アメル!」
部屋の入り口に立ち尽くすアメルに、気づいたルイズが駆け寄って来た。
「・・・ルイズ、これはいったい・・・」
「こちらがアメル様でいらっしゃいますか」
一番年かさのメイドが荷造りの手を止めて、アメルへと近づいてくる。
ふっくらとした身体つきで、優しげな笑みを浮かべている。
顔に刻まれた皺と、モブキャップから覗く髪の白さで、初老の婦人だと分かる。
「ルイズお嬢様が大変お世話になりました」
上流の家のメイドらしい、綺麗な所作でアメルにお辞儀をする。
この人がルイズの「ばあや」なのだ。アメルはそう思った。
他のメイドも当然、ルイズの家から来たのだろう。どうして今、ルイズの服を片付けているのだろうか。
「あの・・・ね、アメル・・・」
ルイズは下を向いて、もじもじと言い
「ルイズお嬢様はご自分のお屋敷に戻られる事になりました。エリザ学院の入学を取り消されたのでございます」
後を受けたのはルイズのばあやだった。
心底おどろいたアメルは、声も出せずにルイズを見た。
ルイズは下を向いたまま、顔を上げようとしない。
「ルイズお嬢様はスローン家のご長女でいらっしゃいますから、ゆくゆくは立派なお婿様をお迎えしなければなりません。寄宿舎などに入られて学問を習うよりも、お屋敷で奥向きの事を覚えられる方がずっと大切な事なのです。・・・旦那様もようやっとそれがお分かりになられましたので、こうして早速、お嬢様をお迎えに参ったのでございます」
黙っているルイズに代わって、ばあやがどんどん話を進める。
「お嬢様がおひとりで何でもなさってらっしゃると思っただけで、ばあやは心配で心配で・・・」
そう言って、ルイズのばあやは、ルイズの髪に結ばれていたリボンを解いた。
あ・・・と、アメルは口を開いたが声にならなかった。
そのリボンは今朝、アメルが結んであげたものだ。
ルイズのばあやは、あっという間にリボンを結びなおしてしまう。
アメルが結んだ形よりも、もっと大きくて、ふくらみをたっぷりもたせた美しいリボンができあがっていた。
「さあ、お嬢様、おうちへ帰りましょうね」
ばあやは優しく微笑んで、ルイズのふわふわの巻き毛を撫でた。
「・・・嘘でしょう?・・・ルイズ・・・」
震える声でアメルが言った。
友達になれたと思った。
一緒ならきっと楽しいと思った。
なのに・・・・。
「ごめん・・・なさい」
ルイズは下を向いたままで、そう応えた。
ふたりの間の不穏な空気を察したのだろう、ばあやはサッとルイズを抱き寄せる。
「アメル様、大変申し訳ございません。馬車を待たせてございますので、本日は失礼致します。アメル様もぜひ、お屋敷にお遊びにおいでくださいませね」
アメルに簡単なおじぎをしたばあやは、ルイズを連れて部屋を出て行ってしまった。
ルイズは部屋から出る寸前、アメルを振り返ったが、結局、何も言ってはくれなかった。
荷物と一緒に他のメイドたちも引き上げてしまうと、半分だけがらんどうになった部屋に、アメルだけが取り残される。
アメルは、閉じられた扉を見つめて、立ちすくんでいた。
頭の中で繰り返し繰り返し映し出されるのは、ルイズのばあやだった。
ルイズの髪を優しく撫でて、リボンを結び直していた。
何も言えないルイズの代わって、何でも言ってくれた。
ルイズを抱き寄せて・・・優しく微笑んで・・・
おうちにかえりましょう・・・・・と・・・。
くるりと踵を返したアメルは、自分のクロゼットの扉を開けて、奥から鞄を取り出した。
アメルの膝の上に乗るくらいの鞄は、昨日ウィルトン家から届いた物ではなく、アメルが自分の家から持って来た物だった。
中に入っていたのは、古ぼけた布の人形。
それは、アメルの母ジェーンが、端切れで作ってくれた人形だった。
胸に抱くと、家の匂いがした。
「・・・ママ」
言葉にすると同時に、涙があふれてこぼれ落ちる。
もう止まらなかった。
思いっきり声を上げて、泣く。
何で泣いているのかと、心配してくれるルームメイトはもういない。
泣いている自分を抱きしめてくれる腕に、もうすがる事はできない。
おうちにかえりましょう、と言ってくれる親はもう・・・。
アメルは泣いた。
ずっとずっと泣いていた。
2日が過ぎていた。
朝、アメルは教室に向かって廊下をぼんやり歩いていた。
窓から見える空は、アメルの心と同じように、すっきりしない天気だった。
昨日も授業に出てはいたが、何の授業だったかは、ろくに覚えていない。
泣きはらした顔のままだったせいなのか、それとも学院の代表生に呼び出されたからなのか、クラスメイトは挨拶をするぐらいで、それ以上の話をしようとはしなかった。
昨日は「もしかしたらルイズが帰ってくるかもしれない」などと、微かな希望を持っていた。
けれど今朝、部屋を出た時に、ルイズの名前のプレートが外されているのを見つけて、それも捨てたのだ。
「アメル」
廊下で呼び止められて、アメルは振り返る。
誰に呼ばれたかは、声ですぐに分かっていた。
その顔を見上げて、涙が出そうだった。
背の高い細身の姿、漆黒の髪、藍色の瞳。呼びそうになる名前を、グッと呑み込む。
「アメル、どうした?」
テレンスはアメルに近づくと、膝を付いてアメルの顔を見た。
今日は、背後に女生徒の姿は無い・・・けれど・・・。
「おとといは何かあったのか?」
おととい・・・アメルはテレンスとの約束をすっぽかした事を思い出した。
「・・・ごめんなさい」
下を向いて、小さな声で謝る。
テレンスは柔らかく微笑んで、首を振った。
「いや、いい。・・・お前にしては珍しいと思っただけだ」
テレンスの優しい言葉が、アメルの心に刺さる。
アメルはこれまで、テレンスとの約束を破った事は無かった。
どんな小さい事でも、必ず果たしていた・・・のに・・・。
「今日はどうする?」
テレンスの手が、アメルの頬に触れる。
アメルは・・・アメルはお腹の底から・・・言葉を絞り出した。
「行きません」
その固い声に、テレンスの目が見開かれる。
「もう、ふたりきりで会いません。テ・・・テレンス先生」
泣きそうだった。
でも、泣いてしまってはこの決意すら無駄になってしまう。
「・・・アメル?」
テレンスが顔を覗きこんでくる。
だめだ、と、アメルは思った。
テレンスには分かってしまう。自分が心からそう言っていない事を。
だからアメルは一歩後ろに退いて、距離を取る。
テレンスの手だけが、そこに残された。
「授業が始まりますから、失礼します」
ペコリと頭を下げて、テレンスの背を向ける。
そして走り出した。
テレンスが膝を付いたまま、ずっと自分を見ていたのを知っていたが、アメルは一度も振り返らなかった。
金曜日は週で最後の授業がある日だった。
寄宿制のエリザ学院では、ほとんどの生徒が、金曜の放課後から自分の家に帰っていた。
金曜日の午後、すべての授業が終了したのを告げる鐘が鳴ると、学院の正門が大きく開かれて、生徒を迎えに来た馬車が次々と入ってくる。
玄関ホールでは、家の馬車を待つ生徒たちがあふれていた。
馬車は順番に玄関に横付けされ、学院の職員が生徒の名前を呼ぶと、ホールで待っていた生徒が来て馬車に乗って行く。
中には馬車ではなく、徒歩で迎えに来ている家もあった。
それは汽車を使う遠方の家で、正門の外で待たせてある辻馬車で、駅まで行くのだ。
玄関ホールには、アメルの姿もあった。
今日の夜から日曜の午後までウィルトン家で過ごすようにと、昨日連絡を受けていた。
家に帰る生徒たちは、皆、華やかな私服に着替えているのに、アメルは制服のままで、荷物も持たずに、ホールの端っこに立っていた。
服は他にたくさんあったが、何を着て良いのか分からなかったのだ。
ウィルトン家からもらった服は、やはり自分の服では無いような気がするし、かと言って、自分が以前から持っていた、襟に花の刺繍が入ったワンピースを着てウィルトン家へ戻るのも、悪い気がした。
・・・そして、そんな気を使わなければならない事に、いい加減うんざりし始めていたのだ。
自分の家に帰れる生徒たちは、誰もが嬉しそうにはしゃいでいる。
それはそうだろう。規則に縛られた寄宿生活から解放されて、慣れ親しんだ自分の家に帰れるのだから。
けれどアメルは、「家に帰る」と言われてもピンと来ない。
一度しか訪れていない、それもほんの数時間ほどしか滞在していないウィルトン家の屋敷を自分の家だとは、どうしても思えないのだ。
家・・・。
アメルはふっと、玄関ホールの天井を見上げた。
家はある。
街外れの街道沿いの、「ブライス亭」の看板を掲げた家。
ギュッと両手を握り締める。
あの時は・・・テレンスと一緒に家を出た時は、もう帰れないと思っていた。
両親のいなくなった家に、ひとりで居るのは辛いと思った。
けれど・・・知らない家にひとりで居るのなら、自分の家にひとりで居た方がずっと良い。
それに、近所には昔なじみが居る。
昔から良くしてくれた近所のおばさんたち。アメルが帰っていると知ったら、きっと手助けしてくれるだろう。
家に着いて店の明かりを点ければ、常連さんたちが気づいて来てくれるかもしれない。
自分の家に・・・帰ろう!
そう思った瞬間、アメルはくるりと反転して、玄関とは反対方向の校舎の中へ走って行った。
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