第6話 面談室
「失礼、アメル=ブライスはいますか?」
教室内に響いた声に、残っていたクラスメイトたちがいっせいにアメルを見る。
当のアメルも驚いて、声がした方へ顔を向けた。
教室の入り口に上級生が立っていた。
彼女はアメルを見つけると、自分から教室内に入って来た。
昨日の上級生たちのように文句を言いに来たのだろうか。・・・けれど今日は大丈夫、ちゃんと話ができるもの。
アメルは胸を張って声を上げた。
「わたしがアメル=ブライスです」
そして自分から上級生へと歩み寄る。上級生は頷くと自分も名乗った。
「私は7年生のエヴァ=アンカー。代表生をしています」
周りがザワリとする。・・・代表生?アメルは聞きなれない言葉に首を傾げる。
そんなアメルを
最上級生ともなると大人と変わらない背格好だ。クセの無い栗色の髪を、すっきりと高い位置で1本に束ねている。青い瞳をふちどる
「お話ししたいことがあります。私と一緒に来てください」
穏やかで丁寧な物言いではあるが、「指示」だと感じたアメルはちょっと眉をしかめる。
「わたし行きません。これから約束があるんです」
エヴァの顔をまっすぐに見上げて、アメルはきっぱりと断った。
怒られたってかまわない。言っても分からない人なら、また走って逃げればいい。アメルはそう決めていた。
「アメル、ダメよ」
小声で言ったルイズが、アメルの腕を引いた。
「代表生は生徒の監督もしているの。舎監先生の代わりにもなるのだから、その呼び出しを断ったりしたら大変よ」
監督・・・その言葉はうっすらと記憶があった。学院に来た日に受けた舎監先生の説明に、そんな言葉があったと、アメルは思い出す。
「そんなに時間は取らせませんよ」
断られるとは思っていなかったようで、エヴァは苦笑しつつ言葉を重ねてくる。ルイズも目で「そうした方がいい」と言っている。
これは行かなければ収まらないようだ。
舎監先生は、ガラスのような瞳で怒ったような顔をした、痩せた婦人だ。口調も厳しくて怖い感じだが、エヴァはそれと比べると、綺麗で優しげだから、話をするならこっちの方が良いかもしれないとアメルは思った。
だから仕方なく、
「・・・わかりました」
と、承諾した。
「ありがとう。では付いて来てください」
そう言ってエヴァは、くるりと
アメルは後ろ髪を引かれる思いで、エヴァの後に付いて行った。
廊下を曲がったり階段を下りたり上がったり、どれほど歩いただろうか、エヴァは「面談室」プレートの付いた扉を開いた。
「こちらへどうぞ」
飾り気の無い部屋には、テーブルと椅子が置かれていた。アメルはエヴァと向かい合わせに座るように
エヴァはテーブルの上で両手を組んで、ひとつ息を吐いてから話を切り出した。
「お話ししたいのは、あなたとテレンス=レナトス先生との事です」
ほら来た。思っていた通りだ。
アメルは背筋をしゃんと伸ばして、力強く言った。
「テリィは、わたしのお祖父さんのお友達なんです」
だからわたしは他の生徒とは違うんです。わたしはテリィと一緒に居られる、ちゃんとした理由があるんです。
アメルは心の中でそう付け加えた。そしてエヴァが、納得して同意して許可してくれるのを待ちかまえた。
だが、エヴァはさっきと同じように苦笑を浮かべて、
「あなたが学院の経営者であるウィルトン家のお身内である事も、テレンス先生がウィルトン家の推挙でご就任された事も知っていますよ。ですからこうして、あなたとお話しする時間を設けたのですからね」
そうあっさりと言った。
「え・・・」
思いもよらない言葉に、アメルは目をぱちくりとさせる。
エヴァは
「あなたとテレンス先生が、この学院に来る前から親しい間柄であったのは理解できます。ですが、校内では他の先生方に接するのと同じように、テレンス先生と接するようにしてください。公私の区別をつけてほしいという事です。例えば個人的な用事で先生を呼び出したりする事は、他の生徒の手前、慎んでください」
それはとても穏やかな口調だったが、言われた事はとても厳しく、そして冷たいものだった。
どうして分かってもらえなかったんだろう。・・・自分がもっともっと小さい頃から、テリィと一緒に居た事を言うしかないのだろうか。
それは同時に、聞かれたく無い事に触れられるかもしれないけど・・・だけど・・・。
アメルは勇気を出して、もう一度説明しようと試みる。
「あの・・・わたしとテリィは・・・」
「アメル=ブライス、生徒が先生を愛称で呼ぶ事は禁止されています。テレンス先生、もしくはレナトス先生とお呼びしなければなりません」
ピシャリと言葉で頬を打たれたような気がして、アメルはビクリと身体を震わせた。
テリィをテリィと呼んではいけない。
テリィをテリィと呼ぶのは禁止。
エヴァの言葉が、アメルの頭の中でグルグルと渦を巻く。
「・・・厳しい事を言っているのは分かっているわ。まだ準備生ですものね」
呆然とするアメルの様子を気遣ったのか、エヴァは堅苦しい態度を緩めて、柔和に微笑んだ。
「何もずっとそうしていろと言っている訳じゃないのよ。校内ではそうして欲しいと言っているだけなの。このままあなたの態度が改まらなければ、テレンス先生は学院をお辞めにならなければいけなくなるかもしれないわよ」
「えっ!」
驚いたアメルは、思わず大きな声を上げる。エヴァは話を続けた。
「テレンス先生があなたを特別扱いしている、と、他の生徒から苦情が出たり、その保護者の方が学院に訴えたりなされば、学院側も放置する訳には行かなくなるでしょうから」
アメルは目の前が真っ暗になった。
辞めさせられる。
テレンスが学校に来なくなる。
学校で、テレンスに会えなくなるのなら、いったいどこで彼に会えばいいのだろう。
これまでは、テレンスが父の食堂に来てくれた。
でも、もう父は居ない。食堂も営業していない。
「・・・アメル、大丈夫?」
真っ青になったアメルの顔を、エヴァが心配そうに覗いている。
でも、それでもエヴァは、アメルが承知するのを待っているのだ。
アメルは泣きそうだった。
泣いたら、話はここで終わるかもしれない。この部屋から出してくれるかもしれない。
けれど、それだけの事だ。
明日また、エヴァは同じ話をしに来るのだろう。
アメルはテレンスに相談しようか、とも考えた。
テレンスはきっと何とかしてくれるだろう。
しかし、それこそが特別扱いではないだろうか。
結局、テレンスは辞めさせられてしまう。
テレンスがいなくなってしまう。
どこかへ行ってしまう。
それが、アメルには何よりも怖かった。
だから・・・
だから・・・
「わかり・・・ました」
それは、自分に呪いをかける呪文だった。
小さな、本当に小さな声だったのに、エヴァは聞き漏らさずに、
「ああ、良かったわ。分かってくれてありがとう、アメル」
安堵の表情で、アメルの手を握りなおす。
アメルは、もう引き返せないと思った。
「さっきも言ったけれど、学校内での事ですからね。家に戻った時は、これまで通りでかまわないのよ」
エヴァはアメルをいたわるように、優しい声をかけてくる。
家に戻った時とエヴァは言う。
戻る家なんか無いのに。
アメルは懸命に湧き上る涙をおさえた。
泣きたくなかった。
今は絶対に泣きたくなかった。
それからどうやって面談室を出て、寄宿舎へ帰り着いたのか、アメルはよく覚えていなかった。
他にもエヴァは何か言っていたようだし、もしかしたら宿舎の入り口まで送ってくれたのかもしれないけど、アメルの頭の中は
テレンスとの待ち合わせは覚えていたが、到底そこへ行く気にはなれなかった。
アメルはとにかく、部屋に帰りたかった。
部屋では、ルームメイトのルイズが心配して待ってくれているはずだ。
何があったか話してしまいたかった。
話したからといって、何も変わらないのは分かっていたが、とにかく今は、誰かに話をして、なぐさめてもらいたかった。
ルイズは優しい子だ。きっと話を聞いてくれる。
テレンスの胸で泣く事ができなくなってしまった今、アメルはルイズだけが頼りだった。
廊下を曲がって、自分の部屋の扉が遠くに見える。
その時、閉じているはずの扉が開かれて、何やら騒がしい物音と人の声が聞こえてきた。
アメルは胸騒ぎがして、部屋へ向かって走り出した。
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