第5話 待ち合わせ

 次の日の朝、授業が始まる前に、アメルは教員室の前でテレンスを待っていた。

 廊下の先の方が何とはなしに騒がしくなり、女生徒たちが声高に挨拶するのが聞こえる。

 アメルがその方へ顔を向けると、案の定、テレンスがこちらへ歩いて来るのが見えた。今朝も、彼の背後には女生徒がぞろぞろと付いて来ている。


 アメルは何だか腹が立って、ずんずんと大股で歩き出す。

 テレンスの行く手をさえぎるように立ちはだかると、

「おはよう、テリィ」

 余裕たっぷりの笑顔をしてみせた。・・・テレンスに、と言うよりは、その背後で鈴なりになっている上級生たちに対してだ。


「ああ、おはよう」

 テレンスはいつもと変わらない様子で、アメルに挨拶を返す。

 上級生たちの視線が一斉にアメルへと向けられたが、アメルは臆さない。

「テリィ、お昼休みに昨日の場所へ来てほしいの。話したい事があるのよ、お願いね」

 一方的に用件を言って、アメルはくるりと回れ右すると、すたすたとその場を離れた。

 上級生たちが文句らしい事を言っている。けれどもアメルは振り向かずに、走らないで、前だけを見て歩いて行った。



 昼休み、アメルは急いで昼食を取り、庭へ出た。

 テレンスと約束をした、校舎裏の大きな木がある場所へと向かう。


 昨日と同じように、木の幹に背中を預けて地面に腰を下ろしているテレンスを見つける。アメルも昨日と同じように、テレンスの隣にペタリと座った。

 そして沈黙。

 聞きたい事はひとつ。それも簡単な質問だ。・・・なのに、いざとなるとどう切り出したら良いのか迷う。


 その逡巡しゅんじゅんを感じたのか、テレンスはアメルの姿を見やって言った。

「制服の寸法は合っているようだな。他の服も袖を通してみたか?」

 寸法?・・・アメルはすぐに「ああ」と理解して、

「・・・ううん」

 と、首を振った。昨日ウィルトン家から届いた荷物の話だ。


「何だか高価な服ばかりで・・・どうしたらいいのかしら」

「絹地の服もあっただろう、興味があったのでは無かったのか?」

「そうだけど・・・」

 ハッとしてアメルはテレンスの顔を見た。

「もしかしてテリィ、その事をお祖父さんに言ったの?それでお祖父さん、高価な絹の服を作ってくれたの?」

 テレンスは一拍の間を持ってから、声を上げて笑い出した。


「何を言うかと思えば・・・アメル、ウィルトン家の主な家業は紡績業、糸も布地も自分の工場で作っているのだから、別にジャックが奮発した訳では無いさ」

「そうなの?・・・でも、服だけじゃなかったわ。リボンも靴も・・・あんなには・・・」

 必要無い、そう思うがアメルの口から言葉としては出ていかなかった。


 襟に花の刺繍のあるウールのワンピースは、アメルが持っていた服の中では一番上等で、気合の入った外出にしか着て行かないと決めていた。

 だからそれを、祖父の家、ウィルトン家へ行く時に着て行った。その時は、まるで王女のように堂々とした気持ちだったのだ。

 けれどエリザ学院に連れてこられて、もっと華やかなで高価な服を着た同じ年頃の女の子たちを見て、自分の格好をみじめだと思ってしまった。


 だから昨日、服やリボンが届いた時、驚いたけれど安心した気持ちもあったのだ。

 でも、それを認めてしまったら・・・。


「・・・ウィルトン家の者は、主人であるジャックはもちろん、使用人のお仕着せまでウィルトン社の品を身に着けている。それはジャックの実業家としての信条なのだから、お前がそこに気兼ねするものではあるまい」

 穏やかな口調でテレンスに言われて、アメルは「うん」と、とりあえずうなずく。


 そしてふと、ある事に気づいた。テレンスは祖父を「ジャック」と、ファーストネームで呼んでいる。

 ・・・と、いう事は。


「テリィはお祖父さんとお友達なのね」

「・・・お友達?」

 アメルの言葉に、テレンスは思い切り眉を寄せた。

「そうなのね。パパとバートさんがお友達同士なのと一緒で、テリィはお祖父さんのお友達なのね。良かった、これで説明できるわ」

 アメルは心底ホッとした表情を浮かべる。だがテレンスの方は、ますますいぶかしげな顔になって、

「説明とはどういう事だ?」

 そう問いただしてくる。


 アメルは話すのをためらった。けれど、テレンスはまっすぐにアメルの目を見て、答えを待っている。

 だから仕方なく、

「・・・わたしとテリィがどういった関係なのかを、知りたい人たちがいるのよ」

 と、小さく言った。

「俺の花嫁となる者だ、と言ってやればいい」

 テレンスに真顔で言われて、アメルは真っ赤になる。

「テリィ、お願いだから他の人にはそれを言わないでちょうだい。お祖父さんのお友達だと言ってちょうだいね」

 困りきったアメルに、テレンスは再び眉根を寄せた。

「・・・どうも回りくどいな。ここでは『ブライス亭の客』では通らないのか?」

 テレンスの問いに、アメルは口を結んで下を向く。


 「ブライス亭」とは父アーサーが営んでいた食堂の名前だ。テレンスはそこの常連客という事で、近隣には通っていた。


「・・・アメル?」

 返答しないアメルの頬に、テレンスの手が触れる。

「・・・だって・・・そしたら・・・パパとママはどうしたのか・・・話さないといけなくなるから・・・」

 やっとの事、アメルは言葉を搾り出した。

 ハッと、テレンスの目が見開かれる。

 何か言おうとしたテレンスを、鐘の音がさえぎった。昼休みが終わったのだ。


「もう戻らなくちゃ」

 アメルは顔を上げて、テレンスに笑いかける。

「そうだテリィ、テリィは授業が終わったらすぐ帰っちゃうの?放課後は会えないの?」

 テレンスが優しい微笑みを浮かべた。

「お前が望むのなら、ここに来よう」

「ほんと!じゃあ放課後にね」

 うれしくなったアメルは、手を大きく振って校舎へと駆け出した。

 が、ふと思い立って、途中で足を止め振り返る。


「あのね、わたしね、本当はどうでも良かったのよ。テリィとどんな関係でも。テリィがどこの誰でも。だって、テリィはテリィだから、それで良かったの。だって・・・」

 とりとめのない言葉が、アメルの口をいて出た。

 けれど、この先が続かない。大好きだと言いたいのに、上手く言葉が出てくれない。

 もっと小さかった頃は毎日でも言っていたのに。今はすごく力が必要な感じがする。

 こんな時は、小さいままの方が良かったかも、と思う。


「・・・またあとでね!」

 やや強引に話を締めくくって、アメルは大急ぎで走って行った。


 残されたテレンスは、大木に背を預けたまま、アメルが走り去った方を見つめていた。

「どこの誰でも良かった・・・か。お前が総てを知った時、果たして今と同じ言葉を、俺は耳にする事ができるのか・・・」

 そのかすかな呟きは、吹く風にまぐれて、誰に届く事も無かった。



 午後の最後の授業が終わり、アメルが待ち焦がれた放課後になった。

 アメルの心は晴れ晴れとしていた。

 これからテレンスとの事を聞かれても、「お祖父さんの友達」と言えば済むのだ。

 それさえはっきりしていれば、テレンスと一緒に居ても何の文句も出ないのだと、アメルは信じて疑わなかった。


 だから放課後になったからといって、人目を避けるように跳び出して行かなくても良いのだ。

 ルイズが、「これから図書館に行かない?」と誘ってくれたが、

「ごめんなさい、先にテリィと約束しちゃったの」

 と、堂々と言える。

 胸のつかえが取れてスッキリした気持ちと、どこか誇らしいような、ちょっと自慢したくなるような、そんな気持ちもある。


 アメルは、このまままっすぐ校舎裏へ向かうか、一度宿舎に戻ってからにしようかを考えていた。

 昼間、テレンスは祖父から届いた服の事を気にしていたから、それに着替えて行くのも良いかもしれない。でも、あまり時間をかけてはいけないし・・・。


 そう思いを巡らせていた時、

「失礼、アメル=ブライスはいますか?」

 教室内に声が響いた。

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