第4話 絹の服
「逃げよう」
短く言ったアメルは、ルイズの手を強く握って、目の前で「きゃあきゃあ」と身もだえする上級生の間を全速力で走り抜けた。
背後から「あっ!」と驚く声の後に「待ちなさいよ!」と怒り声が追いかけて来たが、かまわずに逃げる。
足の速さには自信がある。まだよく覚えていない校舎の中だが、アメルはとにかく前に向かって
「ま、待って、待ってアメル・・・」
引っ張られているルイズはたまらない。
ハアハアと息を切らして、今にも足がもつれそうだ。
「あ、ごめん」
立ち止まって後ろを見たが、あの上級生たちは追って来ないようだ。
「すごいわ・・・すごいわアメル・・・」
肩で激しく息をしながらも、ルイズは目を輝かせている。
「ずっと退屈だったけど・・・面白くなりそう」
そう言って、ルイズはまた「うふふ」と笑った。
そんな様子に、アメルは大きなため息をひとつ吐く。
「何だか疲れちゃったわ。部屋へ帰りましょう、ルイズ」
やっと息が落ち着いてきたルイズは頷いて、寄宿舎へと歩き出した。
宿舎に戻ってみると、自分たちの部屋の前に2人ほどの人が立つのが見えた。
アメルはギョッとしたが、2人とも黒い飾り気の無い足首丈のワンピース姿で、どうも生徒では無いようだ。
2人はアメルとルイズに気づくと、揃って丁寧なお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
白い
アメルはルイズを見た。けれどルイズは「違う」と首を振る。
「ウィルトン家よりアメルお嬢様のお荷物をお持ち致しました」
「えっ!わたし?」
メイドの言葉に、アメルは驚きの声を上げる。
見れば、メイドたちの後ろには、大きな蓋付きの箱が置かれていた。
けれどアメルはウィルトン家に荷物なんて置いていなかった。自分の荷物は、すでに部屋に片付いている分だけで、他には何も持っていないはずなのだが・・・。
「失礼致します」
訳が分からずに立ちすくむアメルをよそに、メイドたちは部屋の扉を開けて、中へと箱を運び込んだ。
長方形の大きな箱は、つやのある濃い茶色で、金の持ち手が付いていた。
メイドは2人がかりで箱を持ち上げている。その様子から、それなりの重さがあるようだ。
アメルは箱を
メイドたちは箱をベッドの前に据えて、蓋の留め金を外す。中にはたくさんの服が入っていた。
「大旦那様のお言いつけにより、お作りしたお嬢様の御衣装でございます。お召しになられて寸法に不都合などございましたら、何なりとお申し付け下さいますように」
蓋を開けたメイドが、
「大旦那様って、お祖父さん?」
「さようでございます」
アメルの問いに、メイドは顔を上げずに答えた後、箱の中から服を取り出しはじめた。
「まずはワンピースドレス3着、ブラウス4着、スカート2着でございます。上着はお部屋用と外出用が2着ずつ。コート1着、こちらはお寝間着とガウンで・・・」
メイドが説明をしながらベッドの上に服を広げてゆく。それを、もう1人のメイドがどんどんクロゼットへ納めていった。
アメルは目を丸くする。
ブラウスは全て絹で作られていた。下着は木綿のようだが、光沢のある上等の織りで、どれも繊細なレースで飾られている。
服のほかにも、靴、帽子、ショール、髪を飾るリボンや髪留めは、専用の小箱に入っている。裁縫道具、洗面用具、筆記用具、薬箱まであった。
全ての荷物がクロゼットに片付いてしまうと、メイドたちは「失礼致しました」と頭を下げ、空になった箱を持って部屋を出て行った。
突然始まって、口を挟む間もなく終わった出来事に、アメルは閉じた部屋のドアを呆然と見つめる。
対して、ルイズは
「早く届いて良かったわね」
と、さも当然の事のように受け取っているようだ。
「アメルはウィルトン家の人だったのね。それでテレンス先生を知っているの?」
「えっ?」
ルイズを振り返る。それが驚いた顔だったからだろうか、
「この学院はウィルトン家の経営でしょ、だから・・・」
少しあわてたようなルイズが、言葉を付け加えた。
アメルは返答に困る。それは、自分でもわからない事だったからだ。
そんな様子を察したのか、ルイズはアメルの返事を待たずに、
「リボンを見せてくれる?」
と、言い出した。だからアメルも
「もちろんよ、一緒に見ましょう」
明るく答えて、さっき渡されたばかりの布張りの箱を取り出す。
箱には、様々なリボンがきちんと巻かれて入っていた。
髪留めは金と銀で、細かな細工が施されている。他にもブラシやくし、小さい
アメルとルイズは、そのひとつひとつを取り出して眺めたり、使ってみたりして楽しんだ。
ふたりともそれきり、テレンスの事を口に出さなかった。
その日の夜更け、アメルはベッドの中でテレンスの事を考えていた。
物心ついた時にはすでに、テレンスがそばに居た。
父アーサーが経営していた食堂の、いわゆる常連客なのだという事を知ったのはいつだったか。
そういった客はテレンスの他にも何人か居て、近在の農家の主人や、街道を行き来する行商人たちだった。
だが、テレンスがどこの誰なのかを、アメルは全く知らなかった。
「あいつは
こう言ったのは、
ジェフリーは、アメルの母ジェーンの兄の子で、よくアメルの家に遊びに来ていた。
だがジェフリーの両親が亡くなって、遠くの寄宿学校に入ってしまった。
それでも、長い休みには必ず泊りに帰って来て、一緒に過ごしていた。ひとりっ子のアメルにとっては兄のような存在なのだ。
ジェフリーがそんな事を言ったのは、彼が寄宿学校に入った頃だったと思う。
その時アメルは初めて、「お祖父さん」という人の存在を知ったのだ。
ジェフリーの口からは、お祖父さんの悪口しか出なかった。
「自分の会社の金儲けと、家のメンツしか頭に無ぇ奴だからな。テレンスは祖父さんの命令で、この家を見張っているんだ。ウィルトン家の邪魔になるような事をしないように、ってな」
ウィルトン家の邪魔というのがどういう事なのか、アメルには分からない。
でも、テレンスがそんな役をしているとはどうしても思えなかったので、
「テリィがどこのどんな人でも構わないわ。わたしはテリィが好きだもの」
と、ジェフリーに言い返した。
それ以来、ジェフリーはテレンスについてアメルに何も言わなかった。
またアメルも、両親や他の者に、テレンスの事を聞かなかった。
あの時の想いは今でも変わらない。
テレンスが何者であろうと、好きだという気持ちに変わりは無い。
けれど・・・
アメルは今日何度目かのため息をついた。
テレンスが祖父と何だかの繋がりを持っていた事は、昨日、祖父の元に行った時に分かった。
具体的には何も聞けなかったが、ウィルトン家でのテレンスと祖父の様子を見てそう思ったのだ。
でも、ジェフリーが言っていたように、祖父の手下という感じではなかったように思える。
テレンスはウィルトン家当主である祖父を前にして、頭ひとつ下げなかったのだから。
寝返りをうつ。
雲がかかっているのか、今夜は月明かりもなく、部屋の中はただひたすらに真っ暗だった。
テレンスがそばに居る。本当にそれだけで良かったのだ。
そこに何があるのかなんて、知らなくてもいい。知りたくも無い。
でもきっと、それでは通らないのだと思う。・・・少なくとも、ここでは。
ジェフリーみたいに従兄であるとか、バートみたいに街の警察官で父の友人であるとか、そういうはっきりと言葉にできる何かが必要なのだろう。自分がいらないと思っても。
アメルは横になったまま、ベッドの隣に据えられたクロゼットを見上げた。・・・とはいえ暗闇の中で見えるはずもないが、その存在は感じられる。
特に今日は、いろいろな物がたくさん詰まっているせいか、とても重々しく感じられた。
けれど今夜着ている寝間着は、今日届けられた物では無く、アメルが自分の家から持ってきた木綿の寝間着だ。
祖父から届いたたくさんの服、生活に必要な細やかな品・・・そう、つまりはここで暮らさなければならいという事。
入学試験の結果がどうであれ、きっと秋にはここの本生徒になるのだ・・・きっと。
部屋の反対側から、何やら寝言のような声が聞こえた。アメルは思わず笑いをもらす。
このルームメイトとは気が合いそうだ。・・・噂好きで面白がりなのはちょっと困るけど・・・優しい子だ。この子と一緒ならここの生活もそれなりに楽しいかもしれない。
それに何よりテレンスが居る。週に2日しか会えないようだが、それでも学校でテレンスに会えるのは、アメルにとって何よりも幸せな事だった。
だから・・・だからこそ、その幸せを守りたいと強く思う。
自分とテレンスがどういった間柄なのか。誰もが納得できる答えがあれば、テレンスとふたりで会っても文句が出ないはずだ。
明日は水曜日だ。明日テレンスが学校に来る。だから・・・
アメルは毛布の中にもぐった。昼間あれだけいろんな事があって疲れているはずなのに、少しも眠れる気がしなかった。
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