第3話 講師



 全寮制の女子校であるこのエリザ学院は、学院長も女性であり、教師も女性が多い。

 少女神エリザの名を冠した学校であるので、校内に聖堂があり、神官が仕えている。これも全員が女性神官だ。

 寄宿舎内は男子禁制で、教師も生徒の家族さえも男性であるのならば、特別な許可を得なければ入る事は許されない。


 なので、そのエリザ学院の中でテレンスに会えるとは、アメルには思いもよらない事だった。

 ・・・しかも彼はなぜか多くの女生徒に囲まれている。


 アメルは呆然と、目の前で片膝を付くのテレンスを見つめていた。

 そんなアメルの頬に、テレンスの手が触れる。

「どうした?具合でも悪いか?」

 テレンスが心配そうに問いかけた時、一斉に女生徒たちの悲鳴が上がった。


 アメルはハッと我に返る。テレンスを囲んでいた上級生たちが、怖い顔を向けているのが分かった。

「ちょっとテリィ、あっちへ行こう」

 アメルはテレンスの手をつかむと、足早にその場を離れた。


 人目の無い方へ無い方へと、テレンスの手を引いて行く。

 そして、校舎の裏側へと出た。

 大きな木が1本立っている。後ろ側には高い鉄柵がめぐらされていて、その先は学院の外だ。

 こんな場所に、学生たちは近づかないらしい。柵の外側は道になっているようだが、人通りは無いようだ。

 さっきまでの黄色い声が嘘のように静かで、葉の落ちた枝を、風が音も無く揺らしているだけだ。


「疲れた」

 ボソリと言ったテレンスは、さっさと木の根元に腰を下ろしてしまう。

 いつもの通りだ。・・・そう思ったアメルは安心して、自分もその隣に座った。


「ねぇテリィ、どうしてここに居るの?どうしてあんなに女の子に囲まれていたの?」

 たてつづけの質問に、テレンスは軽く眉を寄せる。

 そして少しだけ考えるようにして、

「俺は教員室から、自分が使う教室への道案内をされていただけだ。それが移動してゆくうちに付いてくる生徒が増えた」

 と、答えた。

 アメルはその返答をしばし頭で噛み砕く。・・・教員室から自分が使う教室って・・・。


「テリィ、ここの先生だったの?!」

 アメルが驚きの声を上げる。そんな事は初耳だったからだ。

「今日からだがな」

 口元に笑みを浮かべて、テレンスが応える。

「じゃあ学校で会えるのね、テリィと!」

 アメルの顔がパッと明るくなる。テレンスは優しげに目を細めた。

「ああ、俺の授業がある日だけだが」

「それでも良いわ!」

 嬉しそうに言ったあと、アメルは感極まったように、テレンスの首に抱きついた。


「・・・ひとりぼっちになっちゃったと思ったの・・・もう、誰にも会えないと思ったの・・・」

 ふるえる小さな声。

 その長い腕で、テレンスは少女の身体を包むように抱きしめた。

「俺が居ると言っただろう。お前がどこに行こうとも、俺が必ずそばに居る」

 テレンスの首に顔をうずめながら、アメルは何度もうなずいた。


 校内に鐘の音が鳴り渡る。昼休みが終わる合図だ。

「行かなくちゃ。・・・テリィ、次はいつ学校に来るの?」

「明日だ」

「明日ね」

 立ち上がったアメルは、制服に付いた枯葉を払い落として、校舎の方へと駆け出した。

「テリィ、また明日ね」

 と、手を振りながら走って行った。



「ほんとうだ。可愛らしい花嫁様ですね。それになかなか利発なようだ」

 寄りかかる大木の後ろから聞こえた声に、テレンスは軽い笑いを返す。


「・・・遠慮したものだなオスカー。そんな柵、越えて来るがいい」

「ご冗談を。エリザ神の神域しんいきおかすなんて事、簡単にはできませんよ。あなたとは違いますから、盟主」

 鉄柵の向こう側の若者は、被っていたキャスケット帽のつばを少し上げた。

「それに・・・ここから若い娘たちが大勢居る気配に触れただけでも、渇きが増してしまいます。ひと仕事終えた後の身には毒ですね」

 そばかすのある顔がニヤリと笑い、唇を赤い舌が舐める。

 彼らヴァンパイアにとって、若い異性の血は大きな活力のもとなのだ。


「ご苦労だった。いつもながら間違いの無い仕事ぶりは賛嘆さんたんあたいする」

 木の幹に背中を預けたまま、振り返りもせずにテレンスが言った。

「痛み入ります」

 あるじの賞賛に、オスカーはうやうやしく頭を下げて謝意を示した。


 テレンスが正式にエリザ学院の講師となるためには、教職免許や身分証明などの書類が必要であったが、千年を生きるヴァンパイアであるテレンスが、そんな物を持っているはずは無い。

 テレンスは盟約者オスカーに命じて、その書類を作らせた。

 オスカーの特技は、ヴァンパイアが人の社会に混じ入るために必要な、身分身元を捏造ねつぞうする事なのだ。

 免許証や権利書などの公文書から、個人の手紙に至るまで、その筆跡さえも完璧に贋造がんぞうする。

 そんな彼を、いつしか眷属けんぞくの間では「代書屋だいしょや」と呼ぶようになっていた。


「せっかくんで頂いたので、もう少しこの街を見物して行こうと思います。急ぐ用事も無いし、マーサのミートパイもまだ食べていませんし、それに・・・」

 オスカーは帽子を深く被りなおす。

「この柵の中に限らず、新興の街というのは、若い生気にあふれていますからね・・・」

 帽子の奥の瞳が、朱色に光った。テレンスが機嫌よく笑う。

「俺からの褒美ほうびだ。・・・存分にするが良い」

「ありがたく・・・」

 オスカーは言葉だけをそこに残して、あっという間に姿を消してしまった。


「気が早いな、日暮れにはまだ間があるのに・・・」

 口の端に笑みをのせたまま、テレンスは昼過ぎの明るい空を見上げていた。



 午後の授業で、アメルとルイズは教室の廊下側の一番後ろの席を陣取った。

 ルイズいわく、一番先生に当てられにくい席なのだそうだ。

「あの先生、そう、テレンス=レナトス先生は古語の講師としていらっしゃったらしいの。古語は5年生からの選択授業で、水曜日と金曜日に授業があるのですって。だから毎日ではなく、その日に学校にお見えになるそうよ」

 授業をしている先生に聞こえないように、ルイズはアメルにぴったり頭をくっつけて、小声で話した。


 アメルがテレンスと校舎裏へ行っている間に、ルイズはテレンスについての情報を集めていたようだ。

 たった短い時間によくこれだけ調べたものだと、アメルは感心を通り越して、少々唖然としてしまった。


「でもアメル、気をつけて。あんなに素敵でお若い殿方の先生は、この学校にはいらっしゃらなくてよ。理事長のケイン先生も素敵な殿方だけど、奥様がおありになるし、授業をなさる訳ではないし・・・。古語は人気の無い科目だそうだけれど、この秋からはどうなるのかしらね・・・」

 言いながら、ルイズは目を輝かせる。

 どうやらテレンス本人に興味がある訳ではなく、テレンスによって起きるであろう騒動を面白がっているようだ。


「・・・気をつけるって、何を?」

 アメルの問いに、ルイズは「うふふ」と笑うだけで答えはしなかった。

 そんな事だから、アメルは授業にまったく身が入らず、何を習ったのかちっとも覚えていなかった。


 

 1日の授業が終了し、放課後となった。

 これから夕食までは、生徒たちの時間だ。クラブ活動や補習などが行われるほか、外出許可が下りれば門限まで校外に出る事もできる。


 だが、アメルたち準備生は、まだクラブに入る事もできないし、放課後の外出も許可されない。夕食までは校内で過ごす他は無かった。


 アメルは、テレンスがまだ校内に居るのか気になっていたが、確かめようが無い。

 ルイズが購買で「占いキャンディー」を買うと言うので、付いて行く事にした。


「ちょっと、そこの準備生!」

 教室を出たところで呼び止められる。

 アメルとルイズが振り向くと、そこには3人の上級生が立っていた。


 準備生と本生徒は同じ制服を着ているが、胸のリボンが異なっている。

 準備生は細い紐のリボンだが、本生徒は幅広い朱子織しゅすおりのリボンだ。

 廊下に立ちはだかる3人の胸には、幅広のリボンが結ばれていて本生徒、つまり上級生だと分かる。大人びた風貌ふうぼうから、5年生か、6年生だと思われた。

 けれど、3人は学年を明かさなかったし、もちろん名乗りもしなかった。


「テレンス先生と親しく話しをしていたのは、あなた?」

 3人のうち、真ん中に立っていた生徒がアメルに言った。

 金髪を縦巻きカールにしているが、夕方で時間が経ってしまっているせいか、伸びたバネのようになっている。

「あなたと先生とはどういう関係なの?」

 腕組して、アメルに問いただす。

「親戚だとか?」

 左側に立っていた、真ん丸い顔の生徒がたたみかけた。

「まさか親子じゃないでしょうねぇ!」

 右側の生徒が、枝のように細い身体をくねらせて言った。

 同時に他の2人が「いやーっ!」と、金切り声を上げる。


「違います」

 アメルがきっぱりと否定する。

 それがあまりにも冷静な声だったので、3人の上級生は不愉快そうな顔でアメルを見下ろした。

 金髪の伸びたバネカールが、アメルの前に出る。

「じゃあ、説明してくれない?先生とどういう関係なのか」

「どうしてあなたに説明しなければならないんですか?」

 アメルは相手の目を見据えて、引かない構えを見せた。


 下級生の、それも一番年下の準備生に切り返されるとは思っていなかったらしく、3人は返事に詰まって互いの顔を見合わせる。

「わたしがテリィとどういう関係だろうと、あなたたちには関係無いわ」

「テリィですってぇぇぇっ!」

 左側の丸い顔が、悲鳴混じりの声を上げる。

「いぃぃやあぁぁーっ!」

 残りの2人が身をよじって甲高く叫んだ。


 ・・・・・。

 これは、付き合っていられない。

 即座に判断したアメルはルイズの手をつかんだ。

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