第2話 ルームメイト



 ひとりぼっちになってしまった寂しさで、アメルは昨晩、毛布を被って泣いてしまった。

 どうやらそのまま眠ってしまったようで、朝起きた時、アメルの目は赤く腫れていた。

 今日からこの学院での生活が始まるのだ。こんな顔で初日を迎える訳には行かない。冷たい水で何度も顔を洗って、どうにか腫れを引かせる。

 部屋の反対側では、ルームメイトも起きて支度を始めているようだ。


 昨日はこの部屋に入ってからが忙しく、寄宿舎の舎監先生に、学院を案内されたり規則を教わったり、つまりは1日引き回されて終わってしまった。ルームメイトとも、さして会話を交わさずに寝てしまったのだ。

 確か、ルイズという名前だったっけ。とりあえず朝の挨拶くらいはしておかないと、と思ってアメルはルームメイトの方を向く。

 ・・・そしてかける言葉を飲み込んだ。


 ルイズは、自分の巻き毛に引っかかってしまったブラシを外すのに悪戦苦闘していたのだ。

 ブラシは彼女の右耳の後ろあたりでぶら下がっている。巻き毛をしっかり噛み込んでいるようで、ルイズが無理に柄をひっぱろうとするものだから、ますます絡まってしまうようだ。

 余計なお世話だから、おせっかいだからと、アメルは見て見ぬふりをする。

 ・・・が、彼女の寝間着の袖口のレースまでが巻き込まれた時、とうとう我慢できずに身体が動いた。


「取ってあげるから手を離して。ああ、腕は下ろさないで、レースが切れちゃう。手を開いて、柄を離すの」

 突然背後に現れたアメルに、ルイズは鏡越しにびっくりした顔を向けていたが、アメルの言う通りに右手をゆっくり開いた。

「うん、そう。・・・ちょっとじっとしててね」

 まずは袖口のレースをブラシから外して、ルイズの腕を下ろさせる。それからゆっくりと、絡まった髪をほどき始めた。

 クルミの殻のような色をしたルイズの髪は、ふわふわの羊を思わせるような巻き毛だ。髪を引っ張って痛くならないよう注意して、アメルは少しずつほどいていった。


 そうしながら、もっと小さかった頃に欲しかったお人形を思い出す。雑貨屋にうやうやしく飾られていたビスクドールも、同じような色の巻き毛だった。

 当然、そんな高価なおもちゃを買ってもらえるはずもなく、それでもアメルの気持ちを汲んでくれた母が、端切れで着せ替え人形を作ってくれたのだった。


 無事に外れたブラシで、アメルはルイズの髪をかした。

 毛先からていねいに梳かしてゆけば、ブラシも難なく通って行く。

「リボン結ぶ?」

 アメルが聞くとルイズは嬉しそうに頷いて、洗面台のすみにあった銀の箱の蓋を開けた。

 アメルは目を見張る。中にはたくさんのリボンが入っていたのだ。


 波打つような光沢があるのはシルクサテン。こっくりとした毛並みが美しいのはベルベット。繊細な模様が編み出されたレースのものや、錦糸で花模様を織り出したものもある。

 色もさまざま、幅もさまざま。アメルにとって、どれもが読み物の中や、女の子同士の噂でしか知らなかったものばかりだ。

 アメルはドキドキしながら、幅の広い紺色のシルクサテンのリボンを手に取った。

 しっとりとして、ちょっと冷たい。そして朝日を受けた川面かわものような輝きを放っている。


 うなじから耳の後ろに通して、てっぺんでリボン結びにする。それを少しだけ右に傾けた。幅広のリボンは巻き毛をほどよく押さえて、顔の周りをすっきりと見せる。

 ルイズは顔を左右に傾けたりして鏡に映し、何度か頷いたあと、くるりと振り向いて、笑顔を見せた。

「とても素敵!ありがとう・・・えっと・・・」

「アメルよ」

「ありがとう、アメル」

 アメルも笑顔で返す。そして自分の洗面台の前に戻って、支度の続きを始めた。


 鏡を見ながらアメルは自分の髪を編み込んでいく。

 左右に作った編み込みの先をくるりとまとめて、ピンで留めた。

 その様子を、ルイズは感心しきりで見ている。

「すごいわねぇ、ひとりでできるのねぇ・・・12歳になったんだからって、ここに入れられてしまったけど、ばあやも居ないし、何もかもひとりでするなんて、わたしには無理」

 ルイズの口調は不満に満ちていた。どうやら自分からここへ来た訳では無いらしい。

 でも、それにしても12歳で、自分と同い歳だったとは。同じ準備生だと聞いていたから、ひとつ年下の11歳だと思っていたので、アメルは内心少し驚いて、そして安心した。


 満11歳から入学を許可されるエリザ学院には、準備生という制度があった。

 秋の新入学を前に、寄宿生活と学校生活に慣れるため、入学予定の生徒をその年の初めから受け入れているのだ。

 アメルはすでに12歳なので、本来なら1年生に編入するのだが、準備生として入り入学試験を受けて、この秋から新1年生として始めるという事になっていた。

 街の学校とこの学院とでは勉強の内容も進み具合も違うからと説明されてはいたが、やはりひとつ年下の子たちと同じ勉強をするというのには、不安と不満が少なからずあったのだ。


 その経緯いきさつをアメルがルイズに話すと、ふたり同い年であるのをおおいに喜んでから、

「入学試験よりも編入試験の方が難しいのですって。それに準備生として事前入学した生徒は、試験結果がよっぽど酷くないかぎり、合格が約束されているという話よ」

 そう教えてくれた。

 そして自分はこれまで学校というものに行った事が無く、家に来てくれる家庭教師から勉強を教わっていたのだと話した。

 アメルは学院の制服に着替えながら、ルイズの話を聞いていた。

 彼女も同じように着替えながら話をするのだが、今度は制服のリボンを結ぶのが上手くできないようだ。


 開けっ放しのルイズのクロゼットからは、何着もの服が掛かっているのが見える。

 どの服も、袖にもスカートにもひだがたっぷり入っていて大きくふくらんでいる。レースやフリルの飾りも付いていて、上等なものばかりのようだ。

 家庭教師が居て、ばあやさんが居て、たくさんの服やリボンを持っている。ルイズはたいそうなお金持ちの子供だというのは、アメルにも察しがついた。

 この学院はそういう家の子ばかりなのだと、昨日初めてここに来た時に何となく分かってはいたのだけれど。


 アメルは脱いだ寝間着を、自分のクロゼットに掛けた。

 他には、何の飾り気も無い普段着用の服が2枚ばかりと、ここに来る時に着てきたワンピースが1枚。それは襟に花の刺繍が入っているのが自慢の、アメルにとっては大事な晴れ着・・・の、はずだった。

 けれどここへ来て、もっとずっと華やかな服を着ている子たちの中では、なんとも質素に感じてしまう。


 隙間ばかりが目立つクロゼットを見つめているアメルに、ルイズが気遣わしげに声をかけた。

「・・・大丈夫よアメル、すぐにおうちの人が届けて下さるわよ」

 どうやらルイズは、荷物の到着が遅れているだけだと思っているらしい。

 だけどアメルが持っている服は、昨日もらったこの制服と、ここに掛けてあるものと、引き出しにしまってある数枚の下着や靴下だけ。それで全てなのだ。


 持ってくる服ももう無ければ、来てくれるお家の人ももう居ない。

 そう思うと、目の奥が痛くなって胸が苦しくなる。アメルは大きなため息をついて、その先に感情が向かうのを押さえ込む。

 そして、クロゼットの扉を閉めた。



 その日、アメルは初めてエリザ学院の授業に臨んだ。

 今まで通っていた学校の授業より難しいかと心配していたが、教師の方でもアメルの事情を承知していたらしく、何かと気をつかってくれる。

 授業の内容も、付いていかれないというほどでは無さそうだ。

 それに、教室でもルイズが隣の席に座ってくれて、先生では教えてくれない学校内の事を話してくれた。


 購買にあるという「占いキャンディ」とか、校内にあるエリザの聖堂には、人の手が届かない場所に落書きがあるとか、図書館の奥にあるソファーは、最上級生でないと座れないだとか・・・そんな情報を、アメルは興味深く聞いた。

 自分の意思に関わり無く入れられてしまったエリザ学院だが、ルイズと一緒なら少しは楽しいかもしれないと、アメルは思った。



「あれは何の騒ぎかしら?」

 昼食を済ませて、食堂から校舎につながる渡り廊下に出た時、ルイズが庭の方を指差した。

 庭の一角に、女生徒たちが集まっていた。

 アメルが目を向けると、その人垣から頭ひとつ分、背の高い人物が見える。

 体格から男性のようで、女生徒たちはその人を取り巻いているらしい。

 遠目でもはっきりと見える漆黒の髪に、アメルは目を見開いた。


「・・・テリィ?」

 ぽつりとアメルの口からその名がこぼれる。

 その距離では聞こえるはずのない遠い呟きに、黒い髪が揺れてこちらを振り向いた。


 藍色の瞳がアメルを見る。彼は厚い壁のように立つ女生徒たちの間を割って、こちらへまっすぐに歩いて来た。

「お前の方から見つけてくれるとは、手間がはぶけたな」

 そう言って、アメルの目の前で細身の身体を屈める。

「テリィ・・・」

 テレンスは額にかかる髪をかき上げて、柔らかく微笑んだ。

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