第30話
俺は夢を見た。
「また夢か」
俺は、最近、よく夢を見る。夢を見る。夜中に悪夢にうなされた後のような、激しい眠気に耐えながら、俺はそれを何十回も見ているのである。
俺は夢の中で夢を見ている。それは、夢の中で見た夢を、そのまま自分の現実として受けとる夢だ。
「またか」と言うだけで、以前のことは何も覚えていない。
そんな夢だ。
ここはどこなのか、と思うとマリヤのアパートの部屋で、月明かりが窓から差し込んでいた。
俺は上体を起こす。傍らに、マリヤが眠っている。
マリヤはよく眠っている。裸の胸が、呼吸するたびに、わずかに上下する。
少し離れた所に、珠希が立っていた。
裸で、お腹が丸く大きく膨らんでいる。
珠希は笑って、そして、少し寂しそうに俯いた。
珠希は、無性だからこそ、人造人間なのに生殖できるのだろう。
俺はそう考えた。
おそらく、彼女もよく夢を見るのだろう。何年もエタったままの少女や、壊される人造人間や、マリヤや、俺のことを、頻繁に――。俺はそう思う。
俺は横になり、目をつぶった。そして、また、眠りについた。
何度も見た夢だとは思わない。ただ、起きてみて、よく知っている気がするだけだった。
俺が目覚めたのは、珠希とマリヤ、二人に起こされたからだ。
雨だと思ったのは、女たちだ。珠希とマリヤは、俺の夢を見たらしくて、俺のことを心配してくれた。俺は寝ぼけ眼で、二人の顔をかわるがわる見つめていた。俺の渇きをうるおす優しい雨は、夏の夕暮れを引き裂く雷を潜めている、そんな気がした。
二人は朝食をとった後、俺を、アパートの外に連れ出した。
俺がギガアントと再会したことは話したろうか。
彼女は大柄な体を利して、ビルの高所で足場を組んでいた。彼女の脚は逞しすぎて、俺が高所を歩く助けにはならなかった。それどころか、足場を上りきるまで、一瞬も休まなかった。そこで、
「用心棒は、おしまい。殺し屋もやめた」
彼女はそう言って、ゴシックでも、ロリータでもない、真新しい作業着を見せつけた。
「私がいなくなって、彼はどう思う?」
「アルビノか……彼なら、どうも、しないだろう。何も」
俺は答えた。
「一人で、殺しを楽しんでいるんじゃないかな」
そう、言った。
「彼は、殺し屋も、用心棒も、どちらも愛していた。彼は、私たちを助けてくれた。そして、賭けを抜けた。私たちの体を使ってね」
(賭けから……無限の、悪循環から?)
ギガアントは、彼に、俺のことを聞いてきたのだろう、俺の言葉を否定した。しかし、彼女の言葉を、俺は信じることができなかった。
「彼は自分のしたことに満足したんだろうか」
鉄骨の上のケンタウロスの微笑みは眩しかった。
(彼女を悲しませてはいけないよ)
だから、俺は、彼女の言葉を信じた。俺は彼女の言葉を自分のものとして信じた。それから、俺は彼女に別れを告げた。
男が一人。
(ウスノロだ!)
俺たちの前方に立ちはだかる。そして、モゴモゴと口を動かすと、
「――お前、名前は?」
「……誰、……ですか?」
「町内会のもの――や」
「ああ、自治会長」
「――ちゃうわ」
男は不機嫌になって鼻を鳴らした。
俺は思わず吹き出した。
「下郎か?」
「えっ、何……」
珠希は俺の後ろに隠れた。
「あら、おっちゃん、なんかけったいな音がするなぁ。喉の奥で、声が歪んでる」
言われた男はもったいぶって頭を振ると、
「お名前は?」
とまた訊いた。
「片端野獣だ」
俺は答えた。警察も、町内会も、みんな俺の名前を聞いてくる。
「カタワノ・ケモノさんですね?」
男が確認する。俺は苦笑した。
「じゃあ、改めて。俺の名前は、何だってんだ?」
「そないなこと、わしがよう知るか!」
男はそれ以上話を続けず、去っていく。それは、この町では当然の反応だ。
だから、俺は笑った。俺は笑うしかなかった……!
「さて、と」
マリヤは、俺がこの町で生きていることを喜んで、口笛を吹いた。
それは奇跡のようなことなのだと……!! 俺は知った。
俺はまた、(多少だが)知らなかったことを知った。俺が身を置くこの場所が、俺が生きる場所だということを――ああ、なんて、美しいことよ。珠希が目配せして、そうしてくれたのだ。
アパートに帰った時は、夕方だった。
部屋は灰色に染まっていた。
珠希はすぐカーテンを閉めた。明かりは、まだつけていない。
いきなり――
(形容できない音、衝撃)
――が、響いた――
耳が、キーンとした。
銃声だ、――と理解した時には、
(体が震える)
マリヤが、頭を撃ち抜かれて、倒れていた。
珠希!
と見ると、珠希は、微笑んでいる。
そう、見えたのは一瞬だった。全身が、影に覆われてように暗くなり、珠希はよろけて、がくりと膝をつく。
俺は、とっさに、彼女を抱きかかえた。
俺の腕と、腹を濡らして、温もる液体が広がった。
漏らした?
俺は一瞬、思った。
いや、違う、血だ!
珠希の下半身を赤く染めて、サーッと、血が流れでた。
同時に、珠希は漏らしていた。
薄くなった血の色が俺の足元に広がった。
見ると、めくれた服の下で、珠希の腹は、一直線に切り裂かれていた。
傷は深く、とても深く、裂けた内部があらわになって、そこからおびただしい血が溢れ出ていた。
顔を上げると、目の前に、珠希の生き人形が立っていた。
右手にかざした拳銃を棄て、左手で逆手にナイフをじっと、見つめている。
背後から、音もなく珠希の腹を切り裂いて、それから発砲したのだろう。
これは夢か? 夢なら覚めろ……
珠希の、思考が、俺の中に流れ込んでくる。
溢れんばかり。物凄い勢いで――
マリヤは、死んだ……
目ぇ見開いたままやけど……もう、息、してない。
灰色の髪が、頬っぺでほつれとる。
……姉ちゃんは、死んでもうた……
うちも死ぬ。
死ぬんや。
そうや、死んで無くなることが正しいんやない。
こうやって、死んでいれば、いつかどこかに、別の自分が現われて生を謳歌する、そんな運命に巻き込まれる。まだ、そんな、希望があるんや。
だから、いつか死んでしまうのではなく、死んでいること自体が正しいんやと。
……そう思う……
思うわけない!
(なんで、わからへんの!? なんでやの!? なんでやの!? なんでやの!? なんでやの!?)
混乱に、頭の理解が追い付かない。
まるで、その感情を理解するのが苦手で(お別れやて? そんなこと、考えたない)、頭の中を支配するのは言葉を拒絶しているかのような苛立ち。
まるで頭の奥底に、誰かがいるのを感じているかのような気が、している。
(死んでいなければ、死んでさえいなければ……いつか、現われる、死んでいなければ、いつかうちが、うちが、うちが)
その言葉を、珠希は自分で、どう受け止めていいのかがわからなかった。
わからない。
言葉が、出てこない。
うちの、こんな
(死んでいる自分とは、もう、なんの関係もないはずやのに、なしてこないに、あんさんの思いに応えようとするんやろ?)
……いや、そんなこと、うちが言うべきやない。
そう、なあ、そうやろ?
なんでこうなんか、なんでこないな風に、うちが。
今、死なな……
ならんの……?
(そういえば、うちは、死んだ後、あんたとの思い出の中で、誰なんか、ようわからんものに……なるんと違うか)
嫌や、そんなん……
……い……や、……や……
なんでや……、なんで……? なぜうちが、今、死ななきゃならんのや!?
俺たちは、目を合わして頷いた。
あと……
もう少し……
と願うも、現実はすぐに来た。
う!
(嫌や、嫌や!)
………………あ。
珠希は、死んだ。
……現実だった。
珠希の、死に顔は、悲しいほどに、静かだった。
これは、現実だ。俺はまた記憶を奪われ、避けようもなく、また一人になろうとしていた。
「人は顔にしがらみを負うものなんよ、わかる?」
そう、珠希が言ったことを思い出す。
俺の顔は、もう俺ではない。
パンツを脱いでゲス野郎になろう 異端将木 @a_i_atomosphere
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