第20話
そこで、ケツカムリは巫女のように下郎作家の口寄せをして、人間を代弁した。
――『下郎作家』は私が望んだものなのです。それを今まで隠し通せていたのは、『下郎作家』が私の人生を蝕んでいたからだと、そう思ってしまっている自分がいる。
自分の人生を蝕んでいたという言葉では、全てが否定される。あなたはその行為で、それを指摘したのだから。
世界に干渉する見えないネットーワーク。生体コンピューターがシナプスを繋ぐ。下郎はその一部です。人間や、人造人間と同じ。
――それは、私の望んだものです。でも私には、私が望んだそれがこの世界を覆う『下郎作家』の気まぐれよりも劣っていると思えるほど、大きなものでも確実なものでもあることを私は望んでいません。
――本当にあれは、ただ『下郎作家』そのものなのですから。
――『下郎作家』そのものとは何なのか、まだ問うているだけです。もし、私が、世界が『下郎作家』そのものだと思ったことをあなた方が知ってしまったら、それは私の、本当の堕落の原因でした。それは絶対に許せません。それが一番の問題であるということは、私が一番理解していたはずでした。『共有されるネットワーク』でありつつ同時に『作家』であること、それは軽々しく扱うにはあまりに危険な撞着で、だから、私はその問題をすぐに決着させるという選択肢を取れませんでした。
私が、私の愛した世界に課せられた最大の使命、それは、誰かの自由を奪うことではありませんでした。自由を求めながら他者の自由を奪う、その重荷が私の苦悩と狂気、希望と歓喜の、その全てだった。
――『下郎作家』であることは、自由であることを証明しようとしている私の唯一の、そして実際に犯した最大の罪でした。
この世界に於いて、個々の『下郎作家』は曖昧にして緩やかな結合の一つの意思に過ぎません。
『作家』であること以外のこと、例えば『下郎作家』であるという事実を否定するには、下郎の存在を無視すればいい。彼らが生きている小説という虚構の中の『下郎作家』の存在を否定し続けることは簡単です。
――『下郎作家』であること、それは私にとって、何よりも自由でした。
――だから私は今、私ではないものの自由のために、全てを捧げると決めたのです。それが私の贖罪でした。しかし、それはもはや遠い昔の出来事のようでした。
すると、ケツカムリは絢爛たる両翼を広げ、バタつかせ、ルーレットがまわる間、場繋ぎのお喋りをする時のように口寄せを中断して、
――それでもあなたのお力は、十分すぎるほどに強大で偉大ですよ? 『下郎作家』を解決させられるのだから、そのままで十分。『下郎作家』が下郎になり、下郎が『作家』になる。そうしないと、私は今すぐに『下郎作家』そのものと戦わなければなりません。
と嘯いた。
「何だ、あんた」
俺は思わず声を上げた。
ケツカムリはまた、言った。
――私が、私という個人を、『作家』である、それも『下郎作家』であることを拒否すれば、それは私の罪であり、しかし同時に、私の自由です。私が、いま、あなたの小説に心から感動を覚え、その熱に胸が揺さぶられる時、私は『下郎作家』の私ではありません。『共有されるネットワーク』である私たちは、同じ世界を共有することを当たり前とするのです。誰も、それをコントロールできません。
そして、それは、俺に向かって語っているのだった。
個人として、ではなく『下郎作家』という類、あるいはもっと大きな数の集合として――
「……何が言いたいのやら、あんたは」
と言いながら、俺は思った。
この鳥は嫌いだ。見かけばかり派手で、大袈裟な身振り。見えない声の傀儡のくせに、大声で喋る自分に酔って、俺が見ていることに、こいつは気が付いていない。
俺が見ているってことは、いつでもおまえを絞め殺せる、ってことなんだぞ。
――俺が何だって? そりゃもちろん、もちろんさ。だけど、だからって、そんなに軽々しく命を左右されるのか。
俺は、こいつに、何か言い返すことはできないと悟って、とりあえず話に区切りをつけることにした。
「いや、あんたはさ」
俺は少し、声のトーンを下げた。すると、こいつも、俺に言葉を投げかける。
「俺の、小説の読者さんだと、思っているんだろ」
俺は唇を噛んだ。
鳥も、俺が黙っていることに気づいたようだ。
「読者なんていやしないさ」
俺が言うと、そいつは、ふん、と鼻のない嘴から息を吐いた。
「あんた、自分のこと、何だと思ってんのかな?」
そら、そうだろう。こいつは、俺のことだから、XXで、XXな、XXXXの惨めな読者に過ぎないXXなのだと思ったんだろう。
ショー・マスト・ゴー・オン――そんな俺の心の、醜く歪んだ感情などお構いなしに。
村上少年刑務所の
だが、今はただ、こいつの首をへし折ることだけを考えるべきなのかもしれない。
俺がこいつらの、こんな下賤な物語を勝手に読んでいるだなんて。そんなことは耐えられない。「俺には、あんたみたいな物語は書けやしないよ」とおべんちゃらでも言うと思ったか。
そんな風に、俺自身が自分を傷つけるようなことを言うのだと思うと、ますます気分が悪かった。
この引き伸ばされた時間の中で、俺は、自分で自分の首を絞めて、こいつらに勝手に作り変えられてしまうのではないかと、そう思った。
「俺の小説を、他の誰かに書かせろ、と言うんだろ? そうは行かないよ」
だがそいつは、俺をじっと見つめて言う。
「……そうか」
不敵な笑みを浮かべる。その代りに、目配せをして。
ケツカムリの翼が指す方――俺の視界に入ったのは、全身真っ白の男が目の前に立ち、両手を上げて、俺に向かって何かを突きつけて、その両手を後ろからがっしと握り締めている大柄な女。その独特な幼児体型のおかげで、すぐに彼女だと分かる、ロリータ・ファッションの用心棒。今となっては、再チューンされたゴスロリの殺し屋である。
そう、彼女は、
彼女が止めているのは、アルビノを名乗るフクロオオカミ。同業の死体製造者。
壁に紛れたら誰にも見つからない。
体内の袋に隠した空気銃で、音もなく、標的を撃ち抜く。
まるで映画のワンシーンを見ているようだった。
「……何でもいいけどよ。お前ら、死ぬぞ、本当に」
アルビノは、見得を切る。その視線は彼が殺し屋であることを告げている。
同時に、俺が獲物であることも。
生きる権利のない人造人間、問題作や盗作を、問答無用で始末する。だけでなく、必要とあれば手駒も殺す。無思考の駆動機関。四人組の手先――
「ええ、ええ、そうよ。そうね、本当にそうよ……」
ギガアントはそう呟いて、突進する。
「逃げるぞ!」
「へーき。私が殺るっ!」
ギガアントの言葉にアルビノの男はにやりとした。
「当たり前だ」
俺は逃げ出した。
すぐさま、目の前に、ギガアントが立ちはだかる。
懐かしい、優しい眼差し。それが、俺を見下ろしていた。
俺は今、この美しい女に殺される。俺は、生きるべきだった。少なくとも、俺は生きていたかった。なのに、俺の心は、とっくの昔に――諦めて、もう、死んでいたのだ。
「やめろおおおぉぉっ! 殺すなあぁああああああっ! 殺すなあああっ!」
なのに、勝手に声が出る。
ギガアントが腕を伸ばして、俺の口をふさいだ。息が詰まる。
アルビノが、追いついた。壁からスッと姿を現すと、
「……ふん、舐めた真似しやがって」
と呟いて、銃を抜いた。
「殺す気ないんだな」
女はフウッと息を吐く。
巨大な掌は、俺の鼻と口を、完全に抑えている。だが下から覗いたその目は、穏やかなまま。
咄嗟に銃を弾いて、飛び退る。
牝鹿のように、俺を抱えたまま二メートルも跳躍すると、そのまま反転。
彼女は両手に持った機関銃を左右にブンブン振り回すが、それは機関銃とは似て非なる代物だ。銃という武器は、引き金を引くことで発動する。その威力は――銃身下部にある、弾丸のような機械。それの、小さな筒が、連射を可能にする、回転弾倉という、空薬莢が詰まった機構をしている機関銃。打ち出す銃弾の速度が次々に変わって、弾幕がオーロラのように波打ち、広がるが、壁を傷つけることはない。目くらまし効果と、電気か火花のようなチクチク痛い刺激はあるが、安心安全。用心棒用の無害なこいつが、女の武器だ。つまり、この女は別に人を殺せる拳銃も持っているのだ。一発で、人間の頭を吹き飛ばす、この大口径の銃は――。
女がゆっくりと、俺を降ろした。走って逃げる間、女の首に、必死にしがみついていたのを。肩に、大きな手が添えられる。
「よく頑張りました」
女の視線が俺の、あの女の目と同じ、二重瞼の底にある黒い眼球に、吸い寄せられてゆく。
……いや、女の場合は、そういう仕組みだが。吸い寄せられるのは俺の方か? そしてそれは、俺にとっては脅威だ。
「……くそっ」
俺は、女の両手に握られた機関銃を――左手で、銃口を纏めて握る。女は俺から手を離し、銃を手放す。
しかし、空いた手には拳銃が。
「やめろ」
ギガアントは俺に拳銃の銃口を向け、発砲した。
女は俺を、俺の屍体を担ぎ上げた。
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