第19話
いや、オウムではない。同属だが、ヨウムでもインコでもなく、ケツカムリという種類で、オウム目では最大、体高が一メートルを超えることもある。その名の由来は「逆立ちして、脚の間から頭を出して器用に歩く」からである。蔑称とも思えるが、確かに――寡黙な生物学者は、あまりによく喋る鳥が妬ましかったのだろう。
(それに――。)蔑称と言えば、関東王だってそうだ。
「おい、馬鹿やろう――」
関東王。本名は
「まあ、そりゃそうだ」
関東王は、そう言うと、カウンターから、すっと立ち上がる。そして、テーブル席のほうを睨んだかと思えば、くるりとこちらに振り向いた。
(さて、次は誰なんだ)
「ところで……、おまえたちのほうもそうだけど」
関東王の声はいつも、どこか気取ったような調子だ。
「人生は拷問遊技場さ」
関東王は言う。
「下郎が、この世界で好き勝手やれるのも、この世が天国ではないからだ。知っていると思うがね」
まるで公安の犬のような口ぶりで――。
「お前たち、まさか、自分らが、「お変わり」の、お変わりだとは思わねえのかなあ」
関東王は芝居がかった動作で、懐に手を伸ばした。
「そうだ、お変わりだ、お変わり、俺も、おまえも、お変わり、だ」
(……………………)
俺はドアを開けた。
――俺らは、だ。俺は関東王を連れ出した。
「何? 何だ?」
そいつはうわ言のようにつぶやき続ける。
「は? 俺を? こんなところ? ……おいおい、正気かよ」
こいつが誰かは、まあ言うまでもない。俺には、こいつが誰なのかは、わかる。おそらくこいつが、関西の、しかも四人組と繋がっている会社の関係者だということ、そして、スキュマの――人造人間の安価なクローンの、ファクトリーを爆破したのが誰の仕業だったのか、それがわかる――俺をここまで誘導したのが、それが誰の意思によるものだと、そこまでわかっているわけではないが。
俺は、よろけるあいつに肩を貸して、歩いた。酔っているのか、薬が回っているのか。うまく力が入らないらしい。
ケツカムリが、時々羽ばたいて距離を稼いでは、あとは二本の脚で歩いて、ついてくる。
スキュマ。隙間にマニキュア――スキマペディキュアでもいい。見えない接合面を可視化するための塗料のこと。転じて、人造人間と人形の隙間を埋める低品質な模造人間のの名称となる。
関西遠征の、その発端、元凶。関東人は「お変わりなく」関西を見くびっているが、関東王はその代表ってことだ。
彼は俺を、クソ、と言った。クソが、クソ。つまり自分やその仲間がやった行為の結果がクソ。そう言うんだ。その通り。そうだ、その通りだ。俺だってあいつに、クソ、と言ったさ。
「ふざけるなよ……」
だがまあ、珠希を拉致監禁するところまでやる、マリヤを洗脳し、俺を街中走り回らせる、その覚悟。その根性。計画に費やす時間と労力。正直、呆れたくらいだった。いったい何が目的なんだ?
俺をここまで誘導し、俺の過去を探り、俺を陥れた者の正体は?
そして俺が珠希に、過去を問うことなく、そのことをすかさず知りたがっていると?
それでは、俺の過去はどういった過程を辿ったのか?
俺の未来はここにあり、俺は俺であり、俺にとってはマリヤがマリヤ、珠希が珠希であったのだ。
だとすれば、それは一体何だったのか?
何を望む?
俺は一体何を望んでいた!
答えは、もう既に俺の中にあるのだ。
《『下郎作家』は俺を巻き込んだ》。
関東王からの話を聞き、俺は珠希と彼との一件を確かめ合う。
そして、過去は変わった。
彼は俺を巻き込んで、自分が俺であったことを明かしたのだ。
ヘリで脱走した英雄は存在しない。
彼がその振りをしていた
珠希の父は、創造者ではなく、捏造だ。
『うそ。うそ、うそうううっ』
マスター・ショーンは下郎作家の『嘘』のストリーテラーだった。
関東王が俺を巻き込んだことによって俺は『下郎作家』の陰謀の巻き込まれ役になった。囮であり、憎まれ役。そして彼は俺にこう言ったのだ。役が済んだら始末される。次々に違う役を演じ続けねばならない。それで、自分は自分の過去を語る『下郎作家』の創造の原因を突き止めるためにそれをやったのではないか、と。
人間の胚を、持った人造人間は、いない。
もし、お前が人間だったら、下郎作家の下郎三昧を止めようとするか?
複雑な社会の歪みってやつを、人間には耐えられないが、人造人間なら耐えられる。人造人間に担わせて、処理しよう。ガス抜きをしようと考えているから、下郎が、違法な存在のまま許されているのだ。
俺たちは、ケツカムリに尻をまくられながら、村上少年刑務所内部の巨大なフロアに入り込んだ。
天井は高く、見渡す限り一本の柱もない。灰色の光が降る果てしない広大空間。
ここでは人造人間の職業訓練にヘリコプターを組み立てている。
自由と反抗の茶番劇。脱走は下郎作家が作り出した自由の幻影だ。
人造人間である彼らの職業訓練も、この訓練が主である。
最初に言ってしまえば、俺は、ヘリコプターの操縦適性には自信がある。
そのことは、人間では最初からはできないことを、人造人間である自分の腕で即座にやることについての、人造人間たる優劣のゆえんなどではない。
できることをやる。
だが、他に何もない。
俺は、最初からできるのでなければ、たとえそれがどれほど訓練を重ねたところで、ヘリコプターの操縦なんてできるはずがないのだ。
村上少年刑務所に収容された人造人間は言う。
――俺たちに生きる可能性があるとは思えない。それでも、あるとすれば、訓練によって得ることだ。俺は、ヘリを組み立てる。それが人間になることを、他の誰かに強要された瞬間だった。
訓練所では一日に二〇〇キロメートルの作業工程が行われている。これは日本の国家能力検査のようなものだ。
ヘリコプターの機体は人造人間の事故隠蔽に適用するように作られた物で、これまでに脱走に使用された物も、その人造人間の職業訓練に使用された機体と言える。
新品の型枠の中にあってさえ既に血の匂いがする。
そのヘリコプターも一人乗りで、全長は六十キロメートルほどあり、日本全国どこからでも、頭を仰向けると上空にいるのが見える。
飛行高度は約三千キロメートルを超える。人を載せたそのまま地上に突き下ろすとなると、粉微塵に砕け、脱走の証拠を残さない。
緑の野を駆けるのも、ヘリコプターも、幻影だ。
俺も一度、墜落の瞬間、墜落したヘリコプターをまじまじと眺めて、そう思ったのを思い出す。
皆が、幻影を生きる。
だが、ヘリコプターのエンジン音も、大気の震えも、その余波も、俺にはもう聞こえない。人間の形をした幻影には、俺がヘリの上に立って、青空に突き刺さることを可能にする余地など、まずもってありえないのだ。
資材の調達は、スパイが担当し、地上での作業時間が長い順に、機体の運搬を行っている。
「ねえ、どう思う? これが俺の任務なんだろうか?」
社会の役割が何の役にも立たない一員によって果たされることもある。
だからこそ、俺たちにこの作業は課せられ、それをこなすことで、人造人間たちの安全と、任務の安全を保障しようと言っているのだ。
ただ、俺たちはこの作業中、常に緊張と怯えを覚え、そしてまた、同時に俺がその役得に、満ち足りてみたり、不平を言ってみたりしながら、あるいはそれが使命に変わるのを、重圧とも楽しみとも感じて、日々を暮らしてゆくのだ。
だが、俺は、俺だけのために、今この行動を遂行している。俺はここに。ここに居る。誰も俺の自由を傷つけられない。
使命なんかに適わないと、誰もが自分を見限って、その役割に失望して、任務から逃げたっていいではないか。
脱走者の伝説を作った者はそう考えたのかもしれないが、伝説はそいつに、新たな役を押し付ける。
『任務の遂行は、必然的に結果の失敗と成功を意味する』
鉄骨とコンクリートが交差する、暗く、果てしない荒野に響く灰色のサイレンが、航空従事者、地上職員、準職員、怠惰な収容者と派遣従業員に対して注意を呼びかけた、そのとき、地上職員の間では、『これは本当に自分に与えられた使命だ。間違いなく命令だ』という声も聞かれた。
足元が苔を踏んだようにフワフワする。ここは雲の殿堂か?
関東王はついに腰を抜かしてへたり込んだ。そして、スピリタスの息を吐く。飲まなくとも体内でアルコールが醸成される体質らしい。
うぇっ――
マッチョなプライドはどこにもない。元からない。マスター・ショーンとは違う。
昼食の準備、用意、始め。
労働者の生活が正常に駆動するには、スパイとダブルスパイのクランクが必要だった。「おまえは、誰だ!俺の味方なのか? 敵なのか?」「それは、わからない」という――
金属音の残響が、俺の耳をそばだたせる。
「わふぅ!」
鉄骨を渡って、半ズボンの少女が、俺の前にやってきた。
少女は俺に近づくと、半ズボンからすらりと伸びた脚を俺の脚に寄り添わせ、俺の手と繋がった細い細い、手で俺の手の平を、その細い指先で弄びながら、そうやって黙って立っている。
俺は、用心棒の少女からもらったメモのことを思い出した。
俺はポケットを探り、小さな紙切れを取り出すと、握りしめたメモを、気付かれないようにそっと、珠希の細い指を開いて手渡した。
「ちょっと、そこの人造人間!」
いきなり背後から声をかけられ、ビクンと体をはねさせ、俺は振り返った。
「うわ! びっくりした」
ケツカムリが、孔雀のように羽を広げて、俺を睨んでいる。
人造人間に向けられる視線は、それだけで気持ち悪い。人造人間はたいてい人間と遜色ない身長で、身体は控えめに筋肉隆々で、顔は整っている。
エタる寸前でも、目が虚ろではない。
でも、姿形はそれぞれだ。
俺は、人ごみの中の、誰かと、誰かを、交互に見て、それを見分けようとする、その視線が、大嫌いだ。
顔は、幼児のまま、通常の人造人間よりも背が高く、筋肉は強く、頭は小さくて動きの速い人造人間がいた。
誰が見ても、ひと目で彼女は人造人間だとわかった。
女は賭場で用心棒を務めていた。
人間は、そんな顔を向ける用も何もないところにも人造人間がいると、気持ちが悪くなる。
客を安心させるために、ロリータ・ファッションに身を包んだその人造人間は、人造人間を支配する人間の顔に反抗の目を向けて、目線を合わせる。
俺の周りではこいつだけが、合法的な人造人間で、人間より賢くて、横柄に、ぞんざいな口をきく人間に媚びない。
しかし、この小さな体の少女は、人間並みの俺よりさらに小柄な、小動物のように可愛くてちっちゃな――こいつは、でも、口は悪そうで、肝は座っていて、瞼だけはアイシャドウで妙にギラギラしている。
俺は、その女に視線を奪われた。
「何ジロジロ見てんだよ、気持ち悪い」
口が悪いだけで、見た目はすごく可愛いのだけど……。俺は、この人造人間、大嫌いだった。
誰かが気まぐれで俺を傷つけたくなったら、命令されれば、彼女は俺を殴らないといけない。
俺は命令される生き物が大嫌いだった。この女も同じだ。筋肉も、見下すようなそしらぬ態度も、嫌いと言ったら嫌い、大嫌いだ。
「あ~っ、まただ。なんでこうなるんだ?」
俺は頭を抱えた。
「なんだって、こう……」
俺はもう一回、同じ言葉を口にしていた。
「うーっ、んっ」
俺は自分の情けない声に顔をしかめた。
「俺にはわからねえ! こいつは、俺をたぶらかそうって魂胆なんじゃないか?」
その夜、賭場を襲ったゴタゴタの中で、彼女は俺を殺さなかった。
彼女は、その時、俺の顔を見て、俺の認識の外側に、膜が張ってあるような、奇妙な感覚を味わっていたのかもしれない。
俺が、彼らが言う俺とは違う、「そうじゃない」と悟ったのだ。
それが俺を救った。
下郎作家は俺が怖くて、殺したくて、けれど、事実を知った、その女に俺が殺されるのが怖くて、臆病なので俺を殺させれば女に恨まれるかもと思ったのだろう、それで殺したくなくなったのかもしれない。
だからあの時、彼女は俺を殺せなかったのだ。
そう思っていればいい。どうせ、賭けに紛れ込んだ下郎作家が何を考えているかなんて、わかりっこない。
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