第18話
待ち構えていた警官は、俺の姿を見ると、あんぐりと口を開けた。
「はあ? 何の冗談だよ?!」
「す、すみませんっ、あのっ」
俺が、精一杯、少年らしい表情をつくって言う。
「自分みたいな若造が手伝いになんのか? え?」
俺は受付で資料室に回された。仕事の説明も何もなく、部屋には不機嫌そうな中年の警官が一人、いるだけだった。
「お疲れさまです。……あの、この書類とか資料をどうすればよろしいのですか?」
少年と呼ぶには薹(とう)が立っている、立ち過ぎていると自覚している俺はそれでも、アナログな資料の山を前に、警官の見え透いた演技に合わせて、せいぜい控えめに言った。
「それで、自分はあの夜、どこにおったんか?」
警官が言った。
「あの夜、って言いますと……」
「決まっとろうが。下郎作家の輩が撃たれた晩や」
警官は、俺を睨みつけた。
「あのね、この資料、自分のやねん」
「容疑者ってことですよね」
俺は、胸がはち切れそうな思いだった。月の夜、一緒にいた珠希は行方不明で、俺は疑いをかけられている。
「そやない。事情を聞いとるだけや」
薄笑いを浮かべる警官はおぞましい。
「まあ、ええわ。あの晩、自分、どこ行ったんか」
村上少年刑務所に存在するものはすべて脱獄者を阻止するための罠だ、というのは聞いたことがある。
俺が、そう思っているだけで、実は違うらしい。
おそらく、太陽の塔とセットで稼ぐの方の、脱出ゲームに興じるゲストに向けた観光パンフレットの情報が、ごっちゃになっているのだろう。雑居房はギャングが抗争をくりひろげる下町ではない。
だが、警官がここにいる。
こいつは警官ではないかも知れん。俺はそう思った。
村上少年刑務所に関する「……でも、何でそんなことを? どうして、そこまでするの?」という疑問、それに対して俺が言えるのは、
「馬鹿なの?」
――それだけだ。
こいつらは俺を、何だと思っているんだろうか?
俺は言った。
「それで、……俺を、ここへ連れて来た用件はなんですか? 俺は、仕事をしに雇われたんで、話をしている暇はありません」
「何だって? あんた、本当に?」
俺はきっぱりと言った。
「何の話だか。俺にはわかりかねますがね。どういうことか、説明してくれませんか?」
警官は答えず、目を細くした。そして、
「あんた、ほんまにあの子が好きなんか?」
と、言った。
「あの子、とは?」
「ええ、まあ、ええ子ですわな」
警官の男は含みを持たせるように言う。それが、珠希のことなら――この男が、俺をここにつれてきた理由なんて知りたくもなかったが、確かめないわけには行かなそうだ。
俺はそう思ってから口を開いた。
「はい。あいつは天才です」
俺は不敵な笑みを浮かべてみせる。
「あなたも知っておられるようで」
男は意味深長に微笑んだ。
「ええ、知ってますよ」
それから、鼻を鳴らして、言った。
「天才も凡人も、同じ人間なんじゃないのかしらね。少なくとも生物学的レベルでは――。なるほど、人は平等なんかじゃない。平等ではないかもしれないが、それでもお互いに愛していい。それで、十分なんじゃありませんか」
俺は思わず、
「何言ってんだよあんた?」
と、言い返しそうになった。
「ええ、いい機会ですから、あなたにお伝えしておきましょう」
男は人差し指を立てた。
「実は私、とある大学で心理学教授なんですわよ。今、私の研究室では、とある実験が行なわれているのです。当然のことながら、大学では補助金は不正に使われます。取得した予算は名目とは別のことに費やされ、新しい仮説が生まれます。それが学問というものですよ。実験とは仮説を証明するために行うのではない。そんなのは、素人学者の暇つぶしですわ。やろうとしたことだけをやっていては何の進歩もありゃしませんの。もちろん、大学の構内でやるわけには行きませんからねえ、秘密の隠れ処があるわけですが……」
男が笑みを浮かべた。だが、その笑みとは裏腹に、眼光は鋭い光を帯びており、そして声もまた、鋭利なものであった。
「――あなたにひとつ大事なことを」
そう、行ったとき、彼の顔は、まるで凍りついたかのように、固まっていた。
「何だよ? どうしたの、急に」
男は言う。
「はい。何でしょう?」
そして、男は真剣な顔で言った。
「天才! 同じ人間でも(まあ人間、人造人間を問わず、ですよね。当然)、自分だけができることをした時にそう呼ばれるんですよ。ただし、その行為が、大多数の人間にとって意味があると認められた場合、に限りますがね。あんたは、珠希が何をしたのか、ご存知ですか?」
一瞬、珠希は何も言わなかった。俺の頭の中で――俺はそう思ったのだが、……それがどうしたということであった。
「彼女は、自分が天才であることを証明しようとしたわけじゃない。つまり、我々の実験と同じことをやったんです」
そう言って、男は微小な自信を顔にを浮かべた。
「で、あなたは、何をするつもりなんです?」
目に見えないほどの汗の粒。
彼が手に持っているのは『失名者の名簿』だった。
名前を失った者のリストだから、名前が順序正しくリストアップされているわけではない。ネットから落とした情報の断片が、ランダムに、紙の上に印刷されただけの、アナクロな代物だ。
俺にも今は名前があるとは言え、一時は名無しだった。もしかすると、特定はできないが、そこには俺の情報が記されているかもしれない。
珠希や、マリヤのだって。二人の名前にしたって、元からそうだったとは限らない。
こいつが、警官じゃないとしたら誰だろう。俺は考えた。
警官なら、とっくに、どこかの指名手配犯の情報を、全部、俺に押し付けているところだし、大学教授なら、自分の知らないことまでもっと自信あり気に話すだろう。
下郎作家じゃないのか――。俺は思った。下郎作家なら、自分が、何をしたいのかわからないのもありそうなことだ。
「よろしいですか? ここで、未知の世界からやってきた、あなたをごらんの通りの実験動物に、私がしてさしあげましょう」
男は
珠希は黙っていた。俺の中で、その問いかけに対し――やはり、珠希は何も答えなかった。
湿った指が、紙の上に指跡を残す、リストのページを捲りながら。
「さあ。さあ。さあ。さあ。どうぞ。さあ!」
と男が言った。
「ええ……。そうっすね、……はい」
俺は応えて、部屋をでる。
廊下を半ズボンの少女が走っていった。
少年の着衣と同じで、一種の制服なのだろう。それが少女だとわかったのは、珠希に似ていたから、かもしれない。
彼女もまた、俺の後を追いかけているのだ。俺が、君の元へ行かない限り……、君も俺を見限ることはないだろう。
君が俺に、何を望んでいるのかは知らない。それは、君の自由だ。俺が君のことを、何一つ知らなくとも。一瞬のことで区別がつくはずもなかったが――もし、君が少女の姿で現れたのだとしたら、と俺は思った。――君はどこかで眠っている。
俺は確信していた。
これでスピリタスの匂いがすれば、関東王がいる。
もう一度、彼と勝負して、珠希を取り戻さねばならない。
俺は半ズボンの少女が消えた方角へ向かって歩き出した。
やがて、俺の前に、小さな光に照らされる、シルエットがひとつ。あの半地下の、賭博場だ。珠希……。君は何を感じているのだろうか。俺はきっと、君に見ている世界を、今、見ている。
その小さな光の下で、俺は君の美しい姿を眺めている。
この夢が現実だったならば、俺は間違いなく君の目の前に、現れてみせるだろう。それが俺の目的だから。君はどこかのカプセルの中で、生体培養液に浸かって眠りながら、きっとそれが確実なものとなる未来について、考えているはずだ。
その時、君の前に立つのは、果たして君が知っている俺だろうか?
俺が君に求めるもの。それはきっと――俺だ。君が俺にもたらすもの。それは、俺自身だ。俺が望むものを、君はいつでも俺の前に示している。君にはそれが見えるはずだから……。
俺のいるその部屋で、君はいつ、目覚めるだろうか。それまでは――
ああ、そうだ。俺はいつも君の側にいる。君の側にいるために、いつも君を探している。君だって、俺のことを待っている。きっとそうだ……。そうに違いない。
(ま
ただ(
ディラーのオウムが、ゲームの開始を宣言する。
「この一瞬を生きるものだけが、賭けることができる。では、始めます」
あの夜の賭博場と同じ、賭けるものは身一つ。
珠希は目を閉じる……。珠希は夢の中へ、吸い込まれるように消えていった……)
『――(珠希は夢の中にいる。))俺が、お前を見ている――。君はいつも……俺たちと一緒にいるだろう。マリヤが、耳元でそう囁く。唇が、頬に触れる。俺がお前を見ているうちに、きっと――。
(お前は、変わる――
「おお、始まったようだな」
関東王が手を差し伸べる。
「俺は敵ではないよ。君は、誤解しているようだが……」
)(ああ。俺は、何も変わらない)(俺は……誰だ?)あの夜、終わることない馬鹿騒ぎの、あの夜更けに、貧相で気取ったおしゃれな関東の、あの男が何を、見せたのか。
俺は……)(そうだな。俺が、君の見ている前で、君を変えるのだ。今、変われ――。
君の、心のままに――。
『(俺はいつも、君がいる)』
あの夜の……俺たちが賭けていた……賭け試合のことか。(今……俺は君ではない。
『(でも……)』『(今のままでは……もう、いられない)(俺が、変わってゆけるならば――。)
珠希の目が開く。
「お待たせ。さて、行きますか――」
あの夜と同じ、ギャンブル勝負を、再び始めるのだ……)関東王は、そう言った……(そうか、ならば――)
珠希(
ディール・バードが言う。
「さあ、皆さん、よろしいですか。ご用意を――」
ひねこびたコメディアンのような裏声で。
相変わらず、よく喋るオウムだ。
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