第14話

居る場所がないので、カプセルホテルに泊まることにした。


バカ・ホテルは日本全国からビジネスホテルを駆逐したカプセル・ホテル・チェーンで、このふざけた名前は、他のホテルに金を払って泊まるのがバカバカしくなるくらい快適、ってことから来ている。


服を脱いでカプセルの中に入れば、内部は生体培養液で満たされて、タイマーにセットした時間がくれば目が覚める。


食事も取らなくていいし、眠っているだけだから退屈しない。三十日は続けて眠っていられるから安上がりだ。


職を失った不法就労者や仕事が少ない時期の日雇い、下郎でも、指名手配の犯人でも、誰だって構わない。前金で払えばそれでいい。人造人間も人間も細胞は同じ組成だから同じカプセルで済む。眠っていれば犯罪は起こさない。それで警察も大目に見ていた。


法律で三十日以上の継続使用は禁止されていたが、年単位で長期滞在する猛者もいる。カプセルの中で眠った翌日は目覚めがいい。身体もすぐに起きるから、その日で一週間分過ごして、翌日も仕事をしていればその次の日にもカプセルの中で目が覚める。一週間は、つまり一年。あっという間だ。


働いては宿代を稼ぎ、あとは眠りつづける安上がりな人生。


チンケな安宿が一掃されるわけだ。


生体コンピューターのネットワークに利用されているという噂もある。


こんなに安く泊めてくれるのは理由があるのだと。眠っている脳を、夢の代わりの刺激で共有して――医学生理学的な、それとも人間工学的な、何か無許可の実験をしているのだとか、そういう話だ。

例えそうだとしても、宿泊者は多少搾取されることなんか、気にもとめないのだろう。


安けりゃいいさ。っていう事実には、理屈も、恥も外聞もないのだ。


だからなのか、バカ・ホテルは下郎の巣窟、そう呼ばれている。


俺もその一人だ。


「人造人間……? それが、この俺ってわけか? で、生体コンピューターの一部になる? 嘘かほんとうかもわからねえが……」


眠ることの恐怖だって?


深淵に落ちる?


また記憶が飛ぶのか?


そう、俺はそれが怖くてたまらなかった。そして、同時に、それが面白い。俺はその面白みを堪能しているに過ぎなかった。


珠希を、マリヤを、失うことに比べれば、何を惜しむことがあるだろう。俺の命が何だ!


危険には麻痺しているのか、エタるのに慣れているのか、下郎は崖っぷちでも平気で眠るのだ。


俺は服を脱いでカプセルに入った。


生体培養液が満ちてくる。


あっという間に顔まで沈むが、息は苦しくならない。


メモは手の中にしっかり握りしめていた。


俺はすぐに眠ったらしい。


翌朝目が覚めた時は、俺はもう、不眠の夜の疲労困憊から、完全に自分を取り戻していた。


俺は港湾労働者として働き始めた。


最初の三十分は苦労の連続だった。立って歩きながらも船酔いで寝込むのは当たり前で、水漏れが原因で遭難することもしょっちゅうだった。俺が水瓶を割って、「うわあ」と叫ぶことが肉体労働だ、と思ったのも無理はない。


しかし――、


「――おい。どういうことなの、これ」


足場から鉄骨が落下して、俺は倒壊した足場の下敷きになった。


俺はしばらく気を失っていた。ようやく頭が起きて、俺は自分の置かれている状況を理解した。脳が、何度でも、見えたものをフラッシュバックさせる。人間が船に跳ね飛ばされるわ、鉄骨が倉庫に刺さるわ……。そのたびごとに俺は鳴り響くサイレンを耳にしながら、全身麻酔をかけられたように麻痺していた。


「うわあ。これ、生きていけるの? どうしよう」


俺は思った。


幸い怪我はしなかったが、早々と駆けつけた重機が、足場から鉄骨を引き抜き、もう一度鉄骨が船べりへ落下するを防いだときには、すでに港は満身創痍だ。


俺を覗き込んだ同僚が、この先仕事がどうなるか心配している。俺は、ああ、と返事をした。もうこの職場で働くことは無理だろうな、と思ったのだ。まあ、俺に仕事を引き継ぎするやつは、今のところ一人もいないけど。


……俺ってやつは、運だけは断然強いんだ。そう思って立ち上がろうとする。しかし俺は気づいたのだった。身動きがとれない。さあて、俺はどうしたらいいんだー。俺は頭をひねった。そのとき、俺は妙なものを発見した。


俺はその奇妙なものを手に取り、しげしげと見つめはじめた。そういえば――。


俺にはその物体の材質に心当たりがある。というかこの大きさ、どう見ても金属じゃない。しかもこの軽さ。俺は思い出す。俺……俺って片端野獣という名前だったのか。俺はあごをのけぞらせて、そして息をのんだ。俺は、たしかにあの場所にいる。俺はふと、奇妙なことに気がつく。それは、まるで鏡だった。そう――。これは、俺だ。俺はそう感じた。だって、俺――。俺が、こっちを見ている。何か言おうと口を動かしているのは、俺だ。俺は、確かに――。


――何か、することが――しなければならない、ってことがある。


俺が掴んでいた皮膚のような、紙のようなメモの切れ端に、珠希の手の感触が重なった。


顔を仰向けると同僚の顔を透かして、船べりに重なって、船の残骸が港に溢れ返っていた。時代を経て、錆びついた、ありもしない残骸が夢の中のようにはっきり見える。


しかし、夢うつつで、俺の手を握った人物、珠希の姿は見えないままだ。


こっちにもあっちにも姿が見えない、あちらの見えない廃墟が続く場所にいて――。俺は何か――。珠希が――いない。原因、それは俺だ。でも――。俺はなぜ、こんなところで、何をしてる? 俺はどこにいるんだろう――。


「なんや、こんなん! いつまで放って置くつもりや。見つかる前に、ちゃっちゃとなおしてまえ!」


近づいてきた現場監督が怒鳴る。


俺は病院に運ばれた。


きっと事故は隠蔽されたのだろう。警察の聴取は受けなかった。


「ああ……!」


どうやら俺、死ぬらしい。そう思った。だから俺は「機械になっちゃうのよ」と担当の女医に言われても、ジョークなのも分からなかった。俺は人造人間に類する存在だという。だから、くたばりかかったら、バラバラにして、各部分ごとに生かして置けるのだろう。俺は、俺自身から隔離され、生体コンピューターを体外に持つことになる。


だが、それは、きっとどこか、人間の、人造人間の体の外にあって――――。俺は人間の埒外……、人間じゃない場所にいるんだ。俺という生命を内包した何かが――。


人間の体と切り離されると俺はどうなるのだろう。俺にとって、そいつは好都合だ。そのはずだ。俺が機械なら――俺は、きっと幸せなのだから――そして俺は死んでから、新しい世界の制御を始めるはずだ。しかし、どうなるのだろう? 反応は制御される身で、俺を生かしつづけるのが俺ではなくなって、それでも俺は、と言えるのか? 俺はどうして欲しい? なぜ俺は――。俺、俺、と俺を呼ぶ。俺、俺は何だろう。


何一つ手懸かりがない。俺はただ、ぼんやりと病院のベットに横たわって、天井を見る。何も、分からない。


分別くさい考え事がアホらしくなって、俺はケララケラと笑い出した。麻酔が変な効き方をしたらしい。


俺は天井を見る。何も――――。


「はいはい、ちょっと。静かにしてや。愉快なのは結構やけど、笑いすぎや」


足を組んで、CT画像をじっくり眺めていた医者が、俺をたしなめた。


「問題なし。で。会社は入院してもええ言うてるけど、どないすん? あんたがどうしたい、かや」


「俺は帰る」


「まあ、そやろな」


女医は俺を少年院送致と決めた。


収監ではない。単なるバイトの紹介だ。職を失って、労基に事故を密告(チク)られても困るので、逃げられない職場で仕事に就かそうってことだ。


「それか? まあ、あんたとて何にも得があるわけじゃないしな」


だから俺は女医の紹介を受け入れた。


村上少年刑務所は全ての少年の憧れの的だ。現在は人造人間の矯正施設になっているが、未だ、かつての魅力を失っていない。


少年女子Aだろうと、少年男子Bだろうと、少年なら誰もがそこから脱獄したいと考えている。


俺はそれを承知で、今いる少年院送りにされたというわけだ。――それにしても、その女の唇が……綺麗だな。俺は不意に気づく。

これも麻酔のせいだろうか。


いつのまにか、俺の体は彼女に触れていた。


女に対する激しい欲望が、火薬庫跡地に建つ――少年院の勇姿を思い起こさせる。あの、自由への渇望を掻き立てる――灰色の壁、高い監視塔、格子窓に、打ちっぱなしの床を。無理やり清潔に仕立てた囚人服、不味くて少ない食事、陰険な刑務官、理不尽なルールを。


少年時代を生きるものなら誰でも知っている、キナ臭い夢の数々。


俺は貪るように女の唇を求める。


「なあ、あんたが、それ、ほんまに、ほんまにそれ」


女が身を反らして呻く。


「ええんか、ほんまに。それ、知らんがな」


俺は唇を放す。彼女は身をくねらせてベッドを降りる。そして、その白い脚が俺に向いて、俺を捕まえた。俺は咄嗟に両手を広げて体を抱えようとする。


女が唇を押し当てた。柔らかくて力強い感覚が鼓動のように走った。


村上少年刑務所は、もう、少年院ではなく、刑務所の装いに似合った秘密の研究所になっている。真っ白で清潔な空間。施設の本体は、闇の中のinnovationにしても――、らしい。


俺がそう言うと、


女は壁のように蒼白になる。


女医の言うには、女だって、人造人間を更生させることのできた職場、というのがそこらしい。俺はそら、お目見えするんだ、とだけ言って、女医が去っていったのち。


置いていった名刺を見ると。


女の名刺には、


産業医・女医ジョー・ジョイス


とある。――変な芸名だ。





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